第22話 精霊を涜すもの
俺たちは慌てて隠れ家へ戻り、窓から外を見守っていた。
ミッシー・デシルバ・エリオットは庭には入らず、道路から弓を構えている。矢はまだつがえていない。
あいつの周囲に漂う白い霧がかすかに見える。それが魔法なのか技なのかは定かではないが、危険な雰囲気は感じ取れる。
『対象の魔力を可視化しています』
俺の目を弄ったのか? まあでも助かる。
というのも、白いモヤが渦巻きはじめ、ミッシーが持つ弓に集まりはじめたからだ。
「あいつ、攻撃してきそうだな……そろそろ矢が放たれる」
白いモヤが矢に変化した。
「どうして分かったにゃ?」
「あの弓に魔力が集まってるからな。それよりここ大丈夫か?」
脳裏をよぎったのは、ミッシーとフィリップが戦った跡地だ。周囲の家屋は跡形もなく破壊され、更地のようになっていた。
ここは木造家屋だし、攻撃されたらひとたまりもない気がする。
「大丈夫。ここにはアリスがいる」
エリスは余裕の笑顔で俺を見る。
そのアリスはどこへ行ったのか、姿が見えない。
俺以外の三人は、アリスがどこへ行ったのか知っているようだ。この三人は逃げるが勝ちではなく、戦いを選んだのだろう。
俺は正直言って、巻き込まれた感が強い。だからといって「あ、ごめん、俺関係ないから」と言って離脱するのも違うと思う。それなら俺も微力ながら加勢しよう。
――やっぱ俺、自覚できるくらい性格変わったな。死ぬかもしれない、という状況で、こんなにも落ち着いていられるなんて、これまでの俺なら考えられない。
とりあえず逃げ道がない。ここは入り組んだ住宅街にある一軒家で、裏口がない。周りに被害が出ないようにするためには……。
おや?
逃げ道を探そうと隠れ家を見渡すと、キッチン付近の空間が歪んでいるように見える。磁性粒子加速器で開いた異世界へのゲートと似ている。というか同じだ……。
「これは……。量子もつれの状態にある世界の重ね合わせで出来たゲートだ。何でこんなものが……」
ゲートに近づいて確認しようとすると、突然大声が聞こえた。
「伏せろっ!!」
ミッシーが矢を放ち、ブライアンが注意をしたのだ。俺はその声に驚いてしまい、思わずゲートの中に入ってしまった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――昨日。
ミッシーは、エルフの軍を二カ所に分けて、ベナマオ大森林に待機させていた。
獣人自治区から退却してくる仲間のエルフたちを無事に保護するためだ。
しかしミッシーは、熊獣人のフィリップ・ベアーとの戦いで、スキル〝
その後はトライアンフの冒険者たちが続々と集まり、ミッシーは劣勢に追い込まれていく。
ミッシーは辛うじてその場を脱出。その足でエルフの軍と合流するために移動すると、そこは虎獣人のジーン・デイカー率いるゴライアスのメンバーによって、焼け野原と化していた。
二つに分けた片方のエルフ軍が、壊滅していたのだ。
呆然と立ち尽くすミッシー。
焼け焦げた木々、真っ黒に染まった大地。いったい何をどうすればこうなるのだろうか。生き残りはいたのだろうか。上手く逃げ切ることはできたのだろうか。
ミッシーはそう考えつつ、息のあるエルフを探していく。
しかし、見つかるのは黒焦げになったエルフの遺体ばかりだ。
日が沈み辺りが暗くなっても、ミッシーは諦めずに生き残りの仲間を探していた。
その時、ミッシーを呼ぶ声がした。
振り返ったミッシーが見たのは、こちらへ向かって歩いてくるマイア・カムストックだ。
「獣人自治区で罪人となった、ミッシー・デシルバ・エリオット。あなたに書簡を持ってきました」
マイアに手渡された書簡を見ると、ミッシーは嬉しさで涙した。
『ベナマオ大森林のエルフ族長、ミッシー・デシルバ・エリオットへ。
エルフの里が
デーモンを使役する獣人の残虐な行いは日々激化しており、看過できるものではない。
イーデン教はエルフの後方支援をし、共に獣人自治区を制圧する。
このことは既に長老たちから快諾をもらっているが、族長の
ゴブリンの里から、既に承諾をもらっていることを付け加える。
この提案を受諾する条件は――』
そう書かれていたのだ。
ミッシーたちエルフは、表向きは戦費を補うため獣人自治区の財を
その結果、本来の目的である、
しかし、エリス・バークワースの件で、獣人自治区を敵に回してしまうという、大失態を犯してしまった。
――獣人を敵に回し、エルフの里だけでどうにかできるとは思えない。しかしこの提案は、小競り合いの続くゴブリンと共闘して、獣人自治区を制圧するという内容だ。
そう考えたミッシーはその場で快諾し、マイア・カムストックと固い握手を交わすのだった。
ゴブリンと交渉できるニンゲンは今まで居なかったというのに。
あまりの出来事に、ミッシーはそのことを失念していた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「まさか、イーデン教がエルフに付くとは思ってもみなかった」
美しい緑髪をなびかせながら、魔弓を引き絞る。
ミッシーの魔力と、周囲の魔素を取り込む、エルフ特性の弓だ。ここは路地裏で人通りはなく、ミッシーを止めようとするものは居ない。
「イーデン教がエルフを支援する条件は、エリス・バークワースの殺害。デーモンを使役する奴らは、元々殺す予定だった!! 私にはツキがある!!」
そして、ミッシーは矢を放つ。
一直線に飛んでいく魔力の矢が目指すのは、隠れ家の扉だ。弓に刻まれた魔法陣のおかげで、爆発の属性までついた必殺の一撃。
しかし、突然矢が消え去り、
何が起こったのだ? 動揺したミッシーは、矢が消失した理由を探るため、隠れ家の敷地に足を踏み入れようとした。
「むっ!?」
足が地面につく直前、そこに黒い穴が開いた。
ミッシーは、その穴へ倒れ込むように落ちていった。
暗闇をしばらく落ち続けた後、ミッシーは柔らかな草の上に静かに着地した。
「一体何が……。ここはどこだ……?」
――ようこそ、
暗闇の中で、ミッシーの耳元に生臭い息遣いと共に低い声が響く。
人間ではない何かが無理して話そうとすると、このような声が出るのだろうか。ミッシーはその声の主から距離を取るように飛び退いた。
「くそ……暗すぎて何も見えない。お前は一体誰だ! 精霊の国がこんなに暗いはずがない!」
目が慣れたのか、ミッシーは周囲の様子を
崩れかけた石造りの建物が並び、近くには枯れ果てた噴水が見える。かつて人々が暮らしていたと思われるその場所は、今や人の気配一つない廃墟と化していた。
石畳の上に
周囲を見渡したミッシーは、そこら中にその黒い粘体が存在することに気がついた。
「今の声といい、いったいここは何なんだ!」
――
背後からの返答に、ミッシーは振り返った。黒くて巨大な球状の物体が石畳に堂々と鎮座している。
さっき感じた柔らかい草の感触は、その物体の上に着地したからだとミッシーは直感した。彼は弓を引き絞る準備をした。
すると黒い物体がうねりながら、人の形を取り始めた。
「お前は……っ! エリス・バークワースかっ!!」
――いいえ、違うわ。私は
黒い物体が人の形を取り、色が変わると、服を纏ったエリスそっくりの姿に変貌した。
これほど邪悪な気配を放つ精霊は見たことがない。おそらくデーモンに違いない。そう確信したミッシーは、矢を放った。
――無駄よ。ここは私たちの領域だから。
その声が響くと同時に、ミッシーが放った魔力の矢は白煙に変わった。
その光景を目の当たりにし、彼女はこの場所が異世界であることを痛感した。通常ならば、魔弓から放たれる矢が消滅することはありえない。
「どうする。……元の世界とは大違いだ」
森の民であるミッシーは、この世界において十全な力を発揮できていない。逃げるにしても、この場所がどこかすら分からないのだ。
それに、目前には迫り来る脅威がある。自称精霊のアリスだ。
「――――風よ!!」
ミッシーは短縮詠唱で魔法を使い、ウィンドカッターをばら撒くように放った。
目標は精霊を名乗るアリスと、地べたで蠢く黒い塊。
幾十もの見えない刃がアリスや黒い塊を斬り刻んでいく。
しかし、切れた箇所がその場で塞がっていく。
矢は消え去ったが、魔法は有効。その違いは謎だが、この世界から脱出するには魔法だけで充分だ。ミッシーはそう判断し、風の魔法を再び行使する。
アリスを中心に巨大な竜巻が発生し、ミッシーは彼女をその中に閉じ込めようと試みる。
しかし、アリスは素早く移動し、竜巻に捕らわれることはなかった。
ミッシーの目にもかろうじて追えるほどの速さで動くアリス。
迫り来るアリスは、ミッシーに肉薄し、ワニのように裂けた巨大な口で噛み付こうとする。
黄色い乱ぐい歯がミッシーの頭にかぶりつこうとしたその時、アリスの身体が弾けるように吹き飛ばされた。
「今のは一体誰の仕業だ……?」
アリスの速さについていけなかったミッシーは、新たな存在が近づいていることを察知した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「あいてて……」
頭から地面に落ちた俺は、薄暗い闇の中で横たわっている。
幸い骨などには異常はなさそうだ。
『問題ありません』
俺の思考を読んで話しかけてくるようになった汎用人工知能がちょっと鬱陶しい。
『ごめんなさい……』
……いや、慣れたらきっと大丈夫だ。困惑しているだけだ。
『ありがと!!』
元気いいなあ……。この感覚には本気で慣れないと。
さて……どうしようか。
アリスが作ったと思われるゲートに入ると、落下する感覚があった。
実際に落ちていたみたいだが。
おまけに抜けてきたゲートは閉じてしまったのか、どこにも見当たらない。
「てかここ何なの?」
厚い雲が立ち込める街は薄暗く、その全貌を把握することは困難だ。しかし、この通りにはエリスの隠れ家と思しき建物がぼんやりと姿を現している。
他の建物も同様だ。獣人自治区にある通りや建物が、同じ配置で並べられている。ただし、全ての建物や通りは荒廃し、廃墟と化していた。
「獣人たちもいないし、まるで違う街だな……ん?」
近くで魔力の動きを感じた。
気配や音に敏感になるのはいいけど、魔力の動きまで感じられるようになるとは……。
ミッシーとアリス……。他に気配がないから、目立ってるな。
この世界へのゲートを作ったと思われるアリスに、抜け出す方法を聞かなければならない。
少なくとも何か知っているはずだ。俺は気配がする方へ歩み出した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
枯れた噴水のある広場に到着すると、路上に黒い塊がいくつか見えた。小さいのは数が多く、大きなものが一つ。
そこにいたミッシーが、大きな黒い塊に矢を放った。
気配はブラウニーのアリスだけど……魔物だよな、あの黒いのは。
あまりいい気配ではない。俺が勝手に魔物認定していると、黒いやつがエリスに変身した。
「……ああ、やっぱアリスだったか」
隠れ家ではチビっこくて愛らしい姿だったアリスは、エリスの姿でエグいくらい邪悪な気配を放ち始めた。
ミッシーが魔法を使い、周囲の黒い塊とアリスに攻撃しているが、全然効いていない。
「てか、食うんかい!」
素早い動きでミッシーへ近づいたアリスは、口がワニのように変化している。ミッシーの頭にかみ付くつもりだ。
咄嗟の判断だった。
俺はミッシーを食い殺そうとするアリスへ向けて衝撃波をイメージし、風の魔法を使った。
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