第3話 魔素と反魔素

 俺はこの世界で何をすべきか考える。かたきを討つのは当然として、異世界に地球人を入植させるなら、コネが必要。それも国を動かすほどの。無理だろうけどね。なんて考えながら目をやる。現実を見なければ。


 猫獣人が入っていた牢のぶっとい鉄格子がひん曲がって、隙間が空いている。

 筋力以外で何か別の力がなければ、あんなことをするのは無理だ。


 そう考えて、ふと気づいた。

 俺に流れる血は、銀色のリキッドナノマシン。汎用人工知能からの指令で、自己増殖し、筋力を増やしたり体内の臓器を回復したりする。


 俺は昨晩、小一時間で腕が生えそろった。しかし、無から何かを造り出すことは出来ない。


 あのシカもどきを栄養源にしたとしても、あんなに短時間で腕が生えるなんて無理がある。

 それにもかかわらず、異常な速度で回復したという事は、何か別の力が働いたのだろう。


「試してみるか……」


 ヨーロッパで異世界へのゲートが開いた直後、民間の研究所で新しい素粒子が発見された。


 それは元々地球にある素粒子だったそうで、魔素と呼ばれていた。長い間秘密にされていたらしく、世界規模で暴動が起こった。なんで隠してたんだと言って。


 魔法が使えたって動画が、SNSにたくさん上がっていたな……。


 そんな事を考えながら、人差し指からリキッドナノマシンを針のように伸ばし、熱を意識すると赤くなっていく。その熱は俺の指先に痛みを与えた。失敗だ。


 次はこちらに熱が来ないように意識しつつ、太陽の表面温度をイメージして針を伸ばした。成功だ。こっちにまったく熱を感じない。


 針に触れた鉄格子は赤くなって、柔らかい飴のように溶け落ちた。赤い塊は、石畳を焼いて異臭を放つ。


「魔素……か。いまのが魔法ってやつか? そのせいでこっちに熱を感じないとか?」


 思わずアホな事を呟いた。だけど、魔法かどうか分かんねぇけど、魔法みたいな事はできた。


『魔素と反魔素の対消滅を確認しました』


『……それで起きる現象が、魔法だって報道されてたな』


『魔素及び反魔素を魔力と称し、魔法が使えたという動画は多数確認されています』


 確かにそうだ。既存の物理現象をねじ曲げると言って、大騒ぎになってたし。


 まあいいや、さっさと脱出しよう。

 他の牢に入っているニンゲンたちは、俺の方を向いて口をあんぐり開けている。鉄格子を溶かしたのを見ていたのだろう。


 うーん……彼らにも一働きしてもらおうかな。


 同じ要領で、他の鉄格子を溶かしていくと、やはり皆さん奴隷になるのは嫌だったようで、次々と出口へ向かっていく。俺を入れて三十六人もいる。


「全員逃げきれるか?」

「引っかき回しゃ平気だ。マジで助かったぜ」


 俺の言葉に、馬車で同じだった男性が応えた。仕立てのいい立派な服を着ているが、糞尿まみれで臭い。それでいて気品のある雰囲気をまとう不思議な男だ。あんだけ屁をこいていた人物には見えない。


 そして俺たちは、ドアから出て一斉に走り去るという、イチかバチかの賭けに出た。


 外に出ると、様々な種族のニンゲンが歩いていた。俺のイメージで合っているのか分からないけど、ゴブリンやオーク、それにオーガまでいる。別にヒトと争っているわけではない。何ごとも無く、ヒトと同じように歩いている。


 地球上では、ゴブリン、オーク、オーガ、この辺りはだいたい敵というか、魔物やモンスター扱いされている。もちろん創作物の話だ。


 だからいまの平和な街を見て、ものすごい違和感を覚える。こういうのって、何かの認知バイアスだった気がする。先入観を払拭しなければ。


 人種で問題を抱える地球なんて、ちっぽけだな。異世界はヒト種以外とも仲良くしてんぞ。


 そんな雑多な街だからなのか、俺たちに眼を向ける者は居ない。


「さあ、行くぞっ!」


 屁こき男が声を張ると、俺たちは一斉に走り出した。すると奴隷の町エステパの人々は、走る俺たちを何かの競技と勘違いして声援を上げた。


 あの屁こき男、何も作戦なさげだったけど、こうなることを見越していたのか?


 俺たちはすでにバラバラになっている。色々聞きたかったけど、あのヒト族の男もどこかへ走り去ってしまった。まあいい。無事に逃げてくれ。


 俺は走りながら街並みを確認する。

 電柱や鉄塔、アスファルトやコンクリートは見えない。

 眼に入ってくるのは、木造建築の家屋や商店。馬をつないだ厩舎もある。今走っている場所は石畳。


 まるで映画で見る中世ヨーロッパのような街並みだ。


 そうなると、スマホやパソコンといった電子機器や、ガソリンエンジンの自動車や電気自動車もないだろう。


「魔法のあるファンタジーの世界か……」


 全力で走りながら、森の中へ逃げ込んだ。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 本日は奴隷市が開かれる日。奴隷の町エステパは、合法非合法を問わず、国中から奴隷商人が集まっている。

 その種族は様々で、ヒト族、エルフ、ドワーフ、翼のある翼人やトカゲのようなリザードマンまでが、街を闊歩していた。


 地下牢のドアが開き、中へ入ってくる人物がひとり。

 彼の名は、ロイス・クレイトン。非合法の奴隷商人で、板垣いたがき颯太そうたとエリス、ヒト族の男を運んでいた人物だ。


「おや?」


 これから出品する奴隷が、全員いなくなっている。

 ロイスは瞬時に察した。逃げられたと。


 猫獣人のエリス・バークワースは、親が高額な金を払って、取り返しに来るはず。犯罪奴隷としての立場は変わらないが、同じ家で暮らすことが出来るのだ。


 それと、テッド・サンルカル。この国、サンルカル王国の第二王子も居なくなっている。御家騒動で奴隷落ちという、悲惨な状況だったが、敵対する貴族に高く売れる。


「契約の前に逃げられるとは!! クソッ、大損じゃないか!!」


 奴隷商は奴隷が反抗できないように、魔法を使う。そのタイミングは、顧客との売買が成立したとき。主人と奴隷、双方の血が一滴必要になるからだ。


 握り締めた拳で、ロイスは壁を殴り付けた。


 この地下牢には、魔法を阻害する魔法陣が張り巡らされている。それなのに、金属製の檻は、火の属性魔法で溶かしたようになっていた。

 そこから奴隷たちが逃げ出したのは一目瞭然。


 しかめっ面をしていたロイスは、表情が一変。ニヤリと笑みを浮かべた。

 ロイスには、一人だけ心当たりがあったからだ。


「異世界人のクソガキ。お前だろ? こんな事が出来るのは」


 異常を知らせる半鐘の音が聞こえてくる中、ロイスはそんな言葉を残して出ていった。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 地下牢を抜け出した猫獣人は、近くにある森の中を走っていた。

 一刻も早く獣人自治区へ戻って、身の潔白を証明しなければならない。そう思っての行動だ。


「困ったにゃ……。ベナマオ大森林を抜けるのが一番早いんだけど……」


 立ち止まって考え込む猫獣人。牢を抜け出したまではよかったが、その先の道のりまで考えてなかったようだ。

 本来なら街道を使って獣人自治区を目指すのだが、彼女は脱走奴隷。必ず追っ手がかかるので、見つからないように魔物が生息するベナマオ大森林を通るつもりのようだ。


「この匂いは……」


 猫獣人は鼻をヒクヒクさせ、誰の匂いなのか思い出した。


「あのヒト族にゃ……。奴隷商の奴らに追われてる?」


 板垣と他に複数の匂いを嗅ぎ分けた猫獣人は、ニンマリと笑みを浮かべ、大きな木に登り始めた。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 見つかるの早かったな……。上手く逃げ果せたと思ったのに、背後から追っ手の気配を感じる。

 ただ、俺の身体は思いのほかよく動く。もちろん汎用人工知能とリキッドナノマシンのおかげだが、森の中をこれだけの速度で走って息切れひとつしないとは。


 どんどん走っていると、急に森を抜けた。目の前は崖になっていたが、ギリギリで踏みとどまった。


 目の前の風景を見ると、遠くに大きな山脈が見え、頂には白い帽子がある。かなり標高がありそうな山だ。切り立った山の斜面は、途中からなだらかになり、裾野から平地を覆い尽くす広大な森となっていた。


「っ!?」


 木の上から猫が落ちてきた。

 いや、あの猫獣人だ。


「ちょっとお願いがあるにゃ……」


 あの見下した雰囲気は微塵も無く、なんともしおらしい態度で話しかけられた。

 とってもかわいい仕草だけど。


「臭い」


「ひどいにゃ!!」


「んで、お願いって何だ? 追われてるの分かってるだろ?」


 だいぶん引き離したはずだが、くっちゃべってたらすぐ追い付かれてしまう。


「あんたは異世界人にゃ?」

「いや違うよ?」

「ウソにゃ!」

「……ああ、この世界のニンゲンから見れば、俺は異世界人だろうな」


 ムキになって隠す必要性を感じないので、正直に答える。


「んじゃ取引するにゃ――」


 猫獣人は俺の返事を待たずに喋り出した。彼女は、エリス・バークワースと名乗り、互いに自己紹介を済ませた。

 彼女は俺にこの世界の常識を教えてくれるという。その対価は、追っ手をまいて故郷の獣人自治区まで、護衛して欲しいそうだ。


 護衛なんて出来るのか? と思ったけど、じーちゃんを殺した佐山たちの手がかりは皆無。この子から色々と情報を聞けるのなら。


「その話乗った!」


 安請け合いしてしまった感は否めない。しかし、このままでは目的もなくさまようことになりそうだからな。


「詳しく話すから、とりあえず隠れるにゃ……」


 目の前にいるエリスの存在感が急に薄くなった。目の前にいるのに集中してなきゃ見失いそうだ。なんだこりゃ……。驚いていると、エリスは木に登って俺に手招きをする。


「ソータ、あたしみたいに気配を消せる?」


 俺も木に登っていると、そう聞かれた。あと、名前呼びかよ。

 気配ねぇ……あ、いや、あの感覚か? 肉食シカから感じた気配・・や、今追ってきている奴らの気配・・。漠然としたものだが、それを消すって、――こうか?


「ソータ、上手にゃ」


 木の枝に腰掛けたエリスが、俺を褒めている。気配を消すなんて、何となくやって出来るものなのか? まあでも、よかった。追っ手から戸惑う気配・・を感じる。俺を見失ったのだろう。


「気配の消し方教えてくれてありがとな。これで一安心」


「それじゃ詳しく話すにゃ――」


 彼女はサンルカル王国、獣人自治区パトリアにある商家の一人娘。

 父親が経営するジョン・バークワース商会は、獣人自治区でも指折りの大店おおだなだそうだ。


 一年ほど前、エリスの母親が毒殺された。衛兵と冒険者で犯人捜しが行われたが、判らず仕舞い。


 そんな状況にもかかわらず、エリスの父親は、連れ子の居るエルフ、シエラと結婚した。連れ子の名はスノウ。突然エリスに継母ままはは継息子ままむすこができたのだ。


 シエラとスノウが財産狙いだと感じ、エリスが警戒したのは当然の流れだろう。獣人とエルフでは、子孫が残せないのだから。



 エリスはもうすぐ十五歳の成人を迎える。彼女は初仕事として、商会の品物を王都パラメダへ運んでいた。


 しかしその道中、彼女のキャラバン 商隊 が、ヒト族を中心とした盗賊に襲われた。もちろん、エリスは指をくわえて見ていた訳ではない。

 エリスはスキル〝身体強化〟を使い、魔石をはめ込んで強化された鉤爪かぎづめで応戦した。


 だが多勢に無勢。十名もいた護衛は三十名の盗賊によって、あっという間に皆殺しにされてしまった。

 エリスが仕留めたのは、もたつきながら積み荷を運んでいた三人だけ。


 その頃には他の積み荷はすべて無くなり、辺りには護衛の死体だけが転がっていた。


 エリスは獣人の中でも身体能力が高く、賊に後れこそとらなかったものの、初仕事で大きな被害を出てしまったのだ。


 残党が残っていないか確認をしていると、森の暗がりに一瞬だけ継息子ままむすこスノウ・バースワークの顔が見えた。


 その瞬間、エリスはめられた事を自覚した。


 そして今回の襲撃で、護衛の十名は全員鉤爪で切り裂かれている。


「ふんっ、あたしと同じ武器を使ったにゃ。つまり、あたしが護衛を殺して、積み荷を奪った事にする。そういう筋書き……」


 エリスの耳には、獣人自治区から来るひづめの音が幾十も聞こえていた。

 姿を確認すると、獣人自治区の衛兵たち。来るのが早すぎる、そう考えたエリスは逃走を図ったが時すでに遅し。


 こうしてエリスは奴隷落ちとなったのだ。


 魔石とスキルか……。そんな見当違いの感想を、俺は抱いてしまっていた。

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