第2話 奴隷商人
耳を澄ませると、ガタゴトという音が聞こえてくる。それは木製の車輪が轍にはまる音。フォービートの足音は、
こんな暗い森の中を移動する馬車なんて、怪しいとしか言いようがない。
でもこれはチャンスだ。逃げた四人の情報を得るには、話しかけたほうがいいだろう。それにこの世界の事を少しでも知っておきたい。
ただし、俺はシカの血にまみれているから、不審者そのものだ。
どうしようかな……。あれ?
皮膚から滲み出たリキッドナノマシンが、血を落としていく。シャツやデニムにも付着した血を、……吸収してんな。なんだこれ……?
リキッドナノマシンってこんなこともできるのか? 腕もすでに治っているし。まあ、これで不審者じゃなくなったから、良かったかな。
藪をかき分けて、音のする方に目をやると、やはり四頭立ての馬車が見えた。御者台にひとり座り、松明ではなく白い明かりで道を照らしている。
白い光は人工的なものなのかな。現代風のLEDみたいだ。驚いているうちに、馬車は俺の前までやってきた。
御者が俺に話しかけてくる。でも異世界の言葉なんて、さっぱり分からない。こんな夜中に森で何をしているんだ、とか言ってるんだろうか。
御者は身振り手振りで、何かを伝えようとするけど、意味が通じない。困ったな……。異世界の言葉が日本語じゃないなんて、当然だよ。冷静だと思ってたけど、じーちゃんを殺されてパニックになってたみたいだ。言葉の壁にぶつかるとか、完全に考えが足りなかった。
「……あなたは……どこから……」
「え?」
クオンタムブレイン内の汎用人工知能が、翻訳を始めたらしい。データ収集、教師なし学習、言語モデルの学習、転移学習、多言語学習、これらを短時間でこなすとは、さすが汎用人工知能だ。
「言葉が解らんのか、このクソガキ!」
「クソガキじゃねぇし!! 俺はこれでも二十六歳だ!!」
ちょび髭で小太りな男は、随分と気が立っていた。言葉が通じなかったからだろうけど、思わず言い返してしまった。
シルクハットに、水玉のスーツ。おまけに団子っ鼻なので、まるでサーカス団員のように見える。
「言葉解ってんじゃねぇか! 魔物に襲われる前に、さっさと乗れクソガキ! 助けてやるんだから感謝しろ!!」
「クソガキじゃねぇし!! だけど助かったよ!」
「いいからさっさと乗れ!」
いきなり喧嘩腰の会話だったが、とりあえず馬車に乗ることが出来た。
てか、魔物? 魔物が居る世界なのか、ここは。……なるほど、さっきのシカは魔物だったのか。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
俺はアーチ状になった
荷台の奥から、鎖を引きずる音が聞こえた。外から差し込む月明かりで判明したのは、人間大の猫。いや、猫の獣人といったところか。
もうひとりいるな。こっちはニンゲンの男性。
しかし、……魔物や猫獣人か。まるでファンタジーの世界だ。
その猫獣人とニンゲンの男は、泥と糞尿にまみれ異臭を放っている。
見た目で決め付けるのはよくないけど、たぶん奴隷だ。爛々と光る目は俺を警戒し、尖った気配を放っている。手を伸ばしたらすぐに噛み付かれそうだ。
「なあ……、この馬車はどこに向かってるんだ?」
猫獣人向かって、話しかけてみた。ニンゲンの男は、横になって屁をこいている。
「奴隷市場にゃ……」
「やっぱそっか~」
普通に話せたな、と思いつつ天を仰いだ。
俺はかたき討ちに来た。じーちゃんを殺し、クオンタムブレインの作成法を持ち逃げした、佐山たち四人を捕まえ、法の裁きを受けさせる為に。その前に全員ボコるけど。
だけど、知ってしまった。
御者といい、猫獣人といい、この世界には知的生命体がいる。ということは、彼らの住む村や町、それらを統治する国もあるはず。
地球では異世界へのゲートを開くことに成功し、移住すると息巻いているが、そんなことしたら侵略行為になるだろう。
傲慢な政治家たちは、地球の温暖化対策より経済を優先した。温室効果ガスは一向に減らず、世界の平均気温が上昇。砂漠化する地域が激増し、食料生産が激減する。その結果、人類は滅びに瀕しているわけだ。
食べ物がなくて地球が滅びそう。だからこの世界で受け入れて下さい、九十億人ほど。なんて言っても受け入れてくれないだろうな。人数的に。
侵略戦争なんてするなよ、地球人。
でも歴史的に見て、戦争ばかりしている地球の人々が、へえこらと頭を下げてこの世界に来る訳じゃ無いだろうな……。
話が
正義と悪なんて所詮、正義を標榜する者が、歯向かう者に悪のレッテルを付けているだけだ。
世間一般から悪とみられても、信念を持って行動する者は自分自身を正義だと思っている。中には何も考えてない悪もあるけど。
頼むぜ、地球人。戦争は絶対悪だ。踏み外すなよ……。
とりあえず、温暖化で滅びそうになっている地球の話は置いておこう。俺がどうにか出来る話じゃない。まずは佐山たちを探すために、奴隷市場で情報収集をしなければ。
俺はシャツとデニム姿。御者の着衣は革鎧。
明らかに服装が違う。だから異邦人扱いされない為、早めに服装を何とかしたい。
色々と考えていると、空が明るくなってきた。
この世界は、大きな亀の上に乗った平面世界ではないな。ちゃんとした惑星だったようだ。
レイリー散乱で、オレンジの朝焼けが徐々に青くなっていく。これは火星でも金星でも無い地球と似た大気である証拠。
磁性粒子加速器で開いた異世界へのゲートは、ニンゲンにとって随分と都合のいい惑星に繋がったもんだ。
……いや、どうだろう。
地球からみる満天の星空でも、人類は知的生命体のいる惑星を見つける事が出来ていない。
あれだけの恒星があるんだし、中には宇宙人が住む惑星もあるとは思うけど、公的には発見できていない。
そうなると、多世界解釈か? 量子の重ね合わせ状態が干渉性を失うことで、異なる世界へ分岐していくというあれだ。地球と似た世界があってもおかしくは無い。
硅素生命体や、ガス生命体など、想像力を膨らまさなければならないものより、よっぽど論理的だ。飛躍しているとは思うけど。
「あっ!?」
俺の声は思ったより大きかったようだ。
ウトウトしていた猫獣人が飛び起き、歯を剥いて威嚇してきた。かわいい顔してるのにな。ニンゲンの男性は、いびきをかいて屁をこいている。
しかし、俺の声に驚いた御者は慌てて馬車を止め、こっちを覗き込んだ。
「どうしたんだ? あんたは奴隷にするんじゃねぇから、安心しろクソガキ」
そうじゃない。
俺は佐山たちを追ってきたけど、どうやって元の世界へ帰るんだ?
じーちゃんを殺されて、頭に血が上って色々と考え無しで来てしまった。異世界人と言葉が通じないどころの話じゃない……。
「奴隷にしないのなら、どうするつもりなんだよ」
「そりゃ、衛兵に引き渡すに決まってるだろ? あんたが犯罪者じゃ無きゃ、すぐに釈放されるさ。だろ? 俺だって正規の奴隷商なんだ。妙な事に巻き込まれて、仕事が出来なくなっちゃ困るんだよ」
「……そこの猫獣人と、ニンゲンの男は?」
「ニンゲン? ニンゲンってのは獣人もヒト族もひっくるめた言い方だ。……知らねえのか? というか、これは俺の仕事だし、二人とも奴隷市で売り飛ばす」
奴隷商のおっさんが、訝かしげに俺を見る。異世界人だとバレたか?
猫獣人の方へ眼を向けると、先ほどとは違い怯えたように馬車の隅っこで小さくなっていた。男は三回目の屁をこいて寝ている。実は起きてんじゃね?
俺が知っている奴隷とは、人類史の大半に出てくる制度だ。たしかメソポタミア文明から六千年くらい続いていたはず。
地球では長い間、奴隷が存在していたのだ。この世界のように。
まあ、いまでは社畜と呼ばれる奴隷制度があるし、人身売買という犯罪も後を絶たない。
しかし、この世界の奴隷は、どのような扱いになるのだろう。
「なあ、クソガキ。あんたみたいな服装の奴らが、奴隷と聞くとだいたいそんな顔をするんだ。こっちの世界じゃ、奴隷は召使いみたいなものだ。下働きと言ってもいい。ひどい扱いは受けないから心配すんな」
御者はあごを触りながら首を傾げ、いい笑顔でサムズアップした。
そっか、それなら大丈夫なのか。
つか、俺が異世界人だとバレてるし……。
「俺たちの世界を知ってんの?」
「俺たちの世界? いんや、知らね。ただ、別の世界から、あんたみたいな服装の奴らが稀に来ることがある、とは聞いている。そいつらは、奴隷制度が嫌いらしくてよ。こっちゃ、まともな商売やってるのに、面倒くせえ奴らなんだよクソガキ」
いちいちクソガキうるさいな。
んじゃ何でこの猫獣人は不衛生な格好をしてるんだよ、と言い掛けると、御者が遮るようなタイミングで口を開いた。
「この獣人と、ヒト族は犯罪奴隷。通常の扱いは許されてない」
「……犯罪奴隷?」
「そうだ。獣人は凶暴すぎるからな。そこの猫獣人は三人殺してるし、そっちで寝てる男はヒト種だが、何人殺したか分からねぇくらいだ。それでも奴隷落ちで済んでるのは、こいつら二人とも家が金持ちだからだ」
法もある程度は機能しているみたいだ。しかし、金持ちだから刑が軽くなるという法は危険だ。
いや、お金を積んでどうにかしようとするのは、地球でも同じか。
あー、やだやだ。どの世界でもお金があれば大抵のことは済むってことか。
馬車の外はもう明るい。
幌が貼ってあるので、ちょっと外の眺めを見てみよう。
「おっと、クソガキ。そろそろ時間だ」
御者の声が聞こえると、急激な眠気に襲われた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
大きな物音と、異臭で目が覚めた。
御者に何をされたのか分からないけど、リキッドナノマシンが身体を修復しているのが分かる。
『何があった?』
『魔素と反魔素の対消滅が検知された途端、あなたは眠りに落ちました。現在解析中です』
『魔法で眠らされたって事か……。他に何か分かったら教えてくれ』
『分かりました』
両手両足を動かし、どこにも痛みが無い事を確かめて起き上がった。
「一杯食わされたみたいね。荷物も奪われてたにゃ」
馬車で一緒だった猫獣人が、向かいにある鉄格子から両腕を垂らして話しかけてきた。先に起きていたらしい。彼女の言うとおり、サバイバルキットが無くなっている。
辺りを見回すと、ヒト、猫獣人、犬獣人、何の獣人か解らないニンゲンたちが牢に閉じ込められていた。
「あの御者にしてやられたってことか……。あ、靴も取られてるし」
当然のように、俺も牢に閉じ込められている。
「にゃっはっはっは、ザマァみろ、ヒト族。あんたは奴隷にゃ~」
猫獣人が煽ってくる。こいつほとんど喋らなかったのに、随分と態度を変えてきたな。怯えた様子もなくなり、俺を見下したような表情になっている。いや俺より背が低いので、見上げてるけど。
まあいい。ここから脱出する事を考えよう。
俺はリキッドナノマシンのおかげで、常人より強化されている。日本の留置所の鉄格子くらいなら、力ずくで曲げる事も出来るのだ。
もちろん、異世界へ行く事を見越しての措置だが、この鉄格子は想定よりかなり太い。
重機でも使わないと、壊して脱出など不可能だろう。早くも予想とは違う展開に、少し苛立ちを覚える。
「ん?」
「にゃはっ! お先に失礼するにゃ!」
いい笑顔でピッと片手を上げた猫獣人は、通路を歩いて出口へ向かっている。その手には、一瞬何か黒いものが見えた気がした。
クッソ、俺も早く脱出しなければ……。
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