量子脳で覚醒、銀の血脈、異世界のデーモン狩り尽くす

藍沢 理

地球温暖化

1 獣人と

第1話 首斬り

 鼻をくすぐる腐葉土の香り。風が木々を揺らし、葉擦はずれの音と共に頬に触れる。ここは湿り気に満ちた陰鬱いんうつな森の中だ。


 俺はどれだけ意識を奪われていたのか。半身を起こして辺りを見回すと、ヒトより大きなキノコが目に飛び込んできた。こんなもん、地球に生えているはずがない。


 ついに異世界へ来ることに成功した。かたき討ちの第一歩だ。


「こっちの世界は夜か。……ん?」


 周囲はふかふかの腐葉土で覆われており、歩くと足が沈み込むような場所だ。

 しかし、足音と吐息……、いや、地面に鼻を押し付けて匂いを探っているが聞こえてきた。その気配・・がどんどん近付いてくる。おそらく大型の獣だ。


 ――音? 気配?


 研究室に閉じこもっていた俺が、武道の達人みたいに、微細な音や気配を感じ取れるわけないだろ。あり得ねぇ。なんて思いつつ、心臓が高鳴り、呼吸が早くなってきた。


 風向きが変わった途端、鼻に強烈な獣臭が突き刺さる。


 ――――嗅覚も強化されているようだ。


 という事は……、こっちに近づいてくる獣は、今まで俺の匂いを探っていたのか?


 それに気付くと同時に、未だ見えぬ獣がこちらへ向かって駆け始めた。


 草食獣なら何とかしのげるかもね。俺はこの世界に来てから嗅覚や聴覚が鋭くなったし、体も軽く感じる。なんて呑気に構えていると、大きさが二トントラック並みのヘラジカ・・・・が見えてきた。


 というか、あれヘラジカなの? 地球にも大型のヘラジカがいるけど、こっちの世界のヘラジカは別物だ。

 頭角とうかくは刃物のように鋭く、月の光を鈍く跳ね返してる。


「草食獣って……というか野生のヘラジカが、ヒトに向かって走ってくるかな?」


『きませんね~』


 脳内に聞こえたのは、ニンゲンの女性を模したAGI汎用人工知能の声。独り言に反応するとは、……設定を見直さないといけないかも。


 そんなことを考えているうちに、ヘラジカとの距離が詰まっていた。その目は獰猛に輝き、よだれをまき散らしている。


 ヘラジカはをむき出して、飛びかかってきた。

 ヤッベ、こいつ肉食だ!!


「くっ!?」


 おもわず出した左腕にかみ付かれ、ものすごい力で振り回される。


 気がつくと、俺は地面に叩きつけられていた。


『噛まれた箇所の痛覚は切りました。反撃して下さい。データが必要です』


 こっちは、かみ付かれて振り回されてんだ。周りの木や地面に打ち付けられているのに、汎用人工知能の冷静な声が気に障る。


 しかし、今は愚痴をこぼす状況ではない。このままでは、あっさりと命を奪われてしまうだろう。


 タイミングを見計らって、右手で角の根元を掴み、噛まれた左腕を引き離すように力を込めた。


 ――――メリッ。


 それと同時に、湿った音が響き、簡単に片方の角が折れてしまった。


 意外と脆い。根元の部分だから?


 ヘラジカは片方の角が折れて痛そうにしているものの、未だに俺の左腕を咥えたまま離さない。


 ――――ブチッ。


 あ、食い千切られた。


『左腕の痛覚を遮断』


 ひじから先が無くなった。

 吹っ飛びながら、体勢を立て直して着地する。ヘラジカは俺の腕を旨そうに喰って……ないな。吐き出しやがった。


 ヘラジカの口元には、液状リキッド生体分子ナノマシンが付着している。それのせいで味が悪かったのかもしれない。


 でもなんかムカつくぞ……。


 俺の腕食い千切ったんなら、ちゃんと食えよ!!


 ……恐怖心が扁桃体を刺激し、ドーパミンがドバドバ出ているのだろう。ちょっとテンション上がって、思わず妙なことを考えてしまった。



 汎用人工知能が痛覚を切ったのはいい。

 だけど左腕から流れ出る代替血液――液状リキッド生体分子ナノマシン――の量が半端ない。


 このままだと大量出血で、すぐにショック状態になってしまう。


『左腕の血流を停止。データ収集に努めてください』


 なんだこの汎用人工知能は……。日本での実験では、血流の停止なんて出来なかったはずだ。でも助かる。このまま逃げ……られないな。

 腕一本では足りないみたいだ。ヘラジカは再度、俺に向かって走り出した。


 地面に倒れ伏したままの俺。


 なんとか身体を起こしたが、残りの右腕一本ではどうにもならない。


 ヘラジカは俺の腕を鼻で払いのけ、喉元に牙を食い込ませてきた。


 クッソ、息の根を止めに来やがった。


 ヘラジカが喉に牙を突き立てたまま、力強く引っ張る。


 すると俺の喉仏のどぼとけが簡単に引き千切られた。


頸部くびの痛覚を遮断』


 溢れ出す銀色のリキッドナノマシン。


 こりゃ死んだ、と思っていると、ヘラジカの角で首を斬り飛ばされてしまった。


 クルクル回りながら宙を舞う俺の頭部。


 嗚呼、異世界なんて来なきゃよかった……。


 これが死というものか。こっちの世界に天国はあるのかな?







 ……おかしいな。なかなか死なないぞ。

 斬首されたヒトは、数秒間だけ意識がある、そんなの本をいつか読んだ。だけど、もう数十秒は経っているんだけど……。



『どういうことだ?』


『生命維持の為、サバイバルモードへ移行しました。脳への酸素供給をリキッドナノマシンで行い、脳神経伝達回路を変更しました。身体に残留したリキッドナノマシンと、ソータの頭部は現在も接続中です。思考すればいつものように身体が動かせますので、頭部と接続してください』


 汎用人工知能は、俺の言葉から推察して答えた。一般的な人工知能でもそれくらい出来る。

 だけど、俺が死なないように、自ら設定を変えて指示を出してくるなんて、さすが汎用人工知能と言うべきか……。


 異世界へ来る前に、俺の五感を通して、マルチモーダル学習を一週間だけやった。おかげで性能は上がったけれど、それが原因で機能不良マルファンクションを起こしたのか。


 てか何で俺は死んでないの……?

 頭部を接続だなんて、俺はロボットじゃないんだぞ?


 首無しの身体に噛み付こうとして、ヘラジカはこちらに尻を向けている。だけど、リキッドナノマシンを嫌がっているな。

 身体を動かそうと意識すると、何も無かったように立ち上がった。


 冗談みたいに見えるけど、冗談では無い。

 ヘラジカは、首の無い死体が動いたことで驚き、後ずさりをしている。


 ヨロヨロと歩きながら近づいてくる、首無しの身体。ヘラジカが警戒しているうちに、さっさと首をつなげよう。


『頭を持ち上げて元の位置に移動してください』


 自発的に喋りかけてくる汎用人工知能の指示に従う。正直もう何が何だかの状態だ。

 頭を俺の首に乗せると、体組織が繋がり始めた。


 辺りに散らばった水銀のようなリキッドナノマシンが、生き物のように一粒ずつ動き出した。それらは、俺の足首から体内に吸収されていく。


 とりあえず死は免れた。だけど左腕は遠くに放り出されたままだ。


 驚いたまま、このまま退散してくれないかな、ヘラジカ……。

 やっぱダメっぽいね……。


 ヘラジカは俺を見て恐怖するどころか、怒りを露わにしていた。俺の首が繋がったことで、自分の獲物が奪われたと思ったのだろう。再び牙を剥いて、俺に襲い掛かってきた。


 緊張が限界に達しているからなのか、時間が引き延ばされたような感覚がする。


 悪魔に憑かれたように心が騒ぐ。


 牙を剥いてゆっくり近づいてくるヘラジカに向けて、何となく知ってる回し蹴りを放つ。


 蹴りは命中。


 俺の右足はすれ違いざまに、ヘラジカの首の骨を折った。


 気道をつぶして骨が砕ける感触、それが生々しく伝わってきた。


 だが、ヘラジカはそれでも死なない。


 首があり得ない角度に曲がったまま、ヘラジカは諦めずに飛びかかってくる。


「いい加減に死ねや! クソボケが!!」


 刃物になっている角を避け、全力でヘラジカの顔面を殴った。


 まただ……。時間が引き延ばされ、右拳がヘラジカの顔にスローモーションでめり込んでいく。

 目玉が飛び出し皮が裂け、砕けた骨が見える。俺はそれでも力を弛めず、巻き込むように右拳を振り抜いた。


 頭部がグズグズになったヘラジカは即死。その巨躯を大地に投げ出した。


 倒せたけど、しんど!! 異世界に来て早々死にかけるとか、マジで勘弁して欲しい。


『狂犬病ウイルスみたいなのに感染してない?』


『未知の細菌を確認しましたが、処理しました。仮に何かの感染症に罹患りかんしていても、リキッドナノマシンですぐに対処できます』


 ああ、そうだったな。リキッドナノマシンは元々医療用のものだ。俺たちの研究室で魔改造してしまったが……。


 止まっていた俺の代替血液――銀色のリキッドナノマシンが、左腕からドバドバと流れ出す。そのまま死んだヘラジカを覆い尽くし、銀色の塊になった。


 ……あまりいい気持ちはしない。リキッドナノマシンはたぶん、俺の首と腕を回復させるために、ヘラジカのタンパク質やカルシウム、様々な養分を吸い取っているのだ。


『左腕はくっ付けなくていいのか?』


『未知の有機化合物を検知。新しくつくり出す方がオススメです』


 近くに転がっている俺の左腕は、紫色になって白煙を上げている、ヘラジカにかじられて、ヤバい毒でも注入されたのか?


『つまり腕を生やすって事?』


『そうです』



 ……マジか。でも、割り切ろう。

 あとはリキッドナノマシンを動かしている、汎用人工知能に任せる。

 ものすごい勢いで腕が再生し始めた。我ながら気持ち悪い。俺ニンゲン辞めてるかもな。


 いや待てよ? 確かに気持ち悪いけど、俺はこの状況を見てあまり驚いていない。もしかすると、感情的な部分でも影響が出ているのか? 原因はおそらく、……俺の脳と接続している汎用人工知能。



『色々と疑問があるんだけど』


『はい?』


『腕を食いちぎられて、首も斬り落とされた。それなのに何で俺は生きてんの?』


『今さらですか』


 ほーん……。そういうこと言うんだ。


『この世界にある魔素・・という素粒子が、地球より濃度が高いという報道・・がありましたよね? 現段階では仮説ですが、魔素が原因で私とリキッドナノマシンの性能を引き上げていると思われます。そのおかげで板垣いたがき颯太そうた、あなたは生き残れたのです』


 さいでっか。

 つまり地球で実験していたときより、汎用人工知能とリキッドナノマシンの性能が上がっているのは確かなのだろう。首を切断されて生き残るほどに。


 首の後ろに手を回すと、頸椎けいついに出っ張りがある。この世界へ来る前に移植したデバイス、量子クオンタムブレインだ。


 脳神経のうしんけい模倣もほう工学こうがくをフル活用したこのデバイスに、俺は汎用人工知能をインストールし、リキッドナノマシンを制御している。

 これが無事でよかった……。


 しかし量子クオンタムブレインが、俺の精神に影響を与えている可能性がある。治験もせずいきなり移植したのはまずったかもしれない……。生き延びられた事には感謝だけど。


 とりあえず腕が治るまで休憩しよう。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 俺がこの世界に来た理由は二つ。

 一つ目は、俺の祖父――教授を殺害した同じ研究室の四人を捕まえて、責任をとらせる為。もちろん全員ボコる。


 二つ目は、俺の発明である、クオンタムブレインのデータが全て持ち去られていたので、それを取り返す為だ。持ち去った犯人は判ってないけど、おそらくあの四人だと思う。


 これだけは絶対に忘れないようしなければ。俺の性格が変わっていたとしても。


 リキッドナノマシンを体内に注入したことで、俺は常人より体力や持久力が高くなり、異世界で危機的な状況になっても生存率が高くなっている。

 逃げた四人も同様の移植手術をしているはずなので、捕まえるにしても油断は禁物だ。


 首はもう大丈夫。スベスベになっているので、千切れた箇所は完全に治った。しかし腕が生えるまで時間が掛かりそうだ。

 寝転んで星空を見つめる。広葉樹が生い茂ってあまりよく見えないが、小一時間ほど眺めていると混乱してきた。


 異世界へ来たはずなのに、地球で見られる星座がたくさんある。オリオン座やカシオペヤ座、北斗七星など、見覚えのある星が輝いている。


 この世界の月は地球のものと同じ大きさだが、模様が違う。北極星っぽいのがあれだから、ここは北半球だろう。星座の動きや自転の向きも地球と同じだし、重力や気圧、酸素濃度も違和感はない。



 周囲には地球にはない植物が生い茂っている。ヒトより大きなキノコや、刃物のような角を持つヘラジカなど、見たこともないものばかりだ。


 夜空だけ見ていたら、ここは地球だと思ってしまうかもしれない。


「でもなぁ、俺があの巨大キノコや肉食ヘラジカを知らないだけで、実はここ地球でしたってオチかもね? ……ん?」


 地べたでごろごろしていると、整備された道を移動する馬車と馬蹄ばていの音が聞こえてきた。……つまりこの世界には、知的生命体が居るって事だ。


 俺は音がする方へ移動を始めた。

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