第6話


 あらゆる発明はすべて愛から産まれている――これは、いったい誰が遺した言葉だったか。昔、何かのテレビドラマのなかで聞いた科白だ。電車の中吊り広告――とある週刊誌のモノだ――を見て、ふと思い出す。そこには「防衛大臣、核保持の容認を示唆か」と大きく書かれている。よく名誉毀損であるとか過大広告だとかで訴訟を起こされている雑誌だ。だからその記事に対する信憑性について、僕としては判断を決めかねるところである。ここ数日の報道番組でそのような内容の発言をしていた様子はなかったし、もし記事が事実であるなら大きく報じられていて然るべきだろう。しかしその自分の考えにさえ、僕はもうひとつ自信を持てない。だいいち防衛大臣の顔がどんなだったかも思い出せないのだ。僕が報道番組で思い出せるのは、かろうじて総理大臣と好みの女性キャスターの顔くらいである。


 そう思い至ったところで、ふと、僕はどうしてこんなにもニュースの内容を覚えていないのだろう、と疑問が湧く。だって、いくら美人キャスターばかりに目がいってしまうとはいえ、番組の放送中ずっとそのお姉さんが画面に映っているわけではないのだ。曜日によって人が変わるし、アナウンサーというのは所謂テレビ局の会社員だから盆や正月前後には交代制で休暇に入ったりもするので毎日好みのキャスターが出演しているわけではない。にも拘らず、いくらなんでも覚えていなさすぎじゃないか、と我ながら首を傾げたくもなる。だいたいがたいした記憶力でないことは自認しているが、かといって重大な欠陥があるわけではない。たぶん、ないと思う。忘れモノで怒られた経験も、モノ忘れで困った経験も僕はほとんどないからだ。モチロン都合のわるいことをうまいこと隠蔽だとか抹消だとかをしているわけではない、と予め読者には注意を喚起しておく。持っていくのを忘れないように、と玄関に置いておいたモノを忘れるという経験だって僕にはない。学生時代に宿題を提出しなかったのは、その存在を失念していたのではなく、やる気の源泉が致命的に枯れ果てていただけのことだ。


 ともあれニュースのことである。あるいはそれらが僕の記憶に残らないのは、報道番組のほとんどが事実の1部だけを――それも目に留まりやすい刺激的な部分だけを――ある種プロパガンダの如く放映するきらいがあるからかもしれない。各局のTV・ニュースでは、法務大臣の失言や全国の紅葉予想や市議会議員が受け取れる年金額や自転車で逃亡を試みた賽銭泥棒といった何から何までもを取りあげる。しかしそういった何もかもの、何もかもを教えてくれる訳ではない。放送時間の関係もあるし、視聴率に関する骨肉の争いがあるからだ。とはいえ、致し方のない要素を差し引いたとしても彼らの姿勢は決してフェアとは言えない。それは喩えるのなら黒ずんだバナナの断面を見せているようなモノだ。その断面部分だけ熟成が進んでしまっている可能性もあるし、敢えて黒ずんだ切り口を見せるために彼らがそれを捏造した可能性も否定できない。視聴者がコトの裏側を何も知らされないまま「見てください、このバナナ。こんなバナナを売っているこの店は――」なんて真摯そうな顔のキャスターに言われたら、なるほど、と膝を打ってしまいたくもなるだろう。そういう公正さを欠いたスタンスから発せられた情報を鵜呑みにすることに、おそらく僕は抵抗があるのかもしれない。その上ニュース・ショーというモノは本当に知りたいことだけは教えてくれないのだ。勇気の出し方や彼女の機嫌の直し方、愛の正体といった本当に知りたいことについて、誰に問うても有効な返答を得られないのはその証左であろう。


 中吊り広告には他にもいろいろな言葉が書かれている。軍隊、収賄、居眠り議員、給付金詐欺、秘密の愛……


 愛――


 ふと、そうか、と僕は思う。

 自己愛だって立派な愛なのだ。たとえそれが、身勝手な自愛だとしても。そんな思いつきに、つい苦笑が漏れる。


 誰かの愛に依って産まれ誰かの愛に依って存在し続ける電車は、誰かの愛に依って産まれ誰かの愛に依って建ち続けているビル郡の間を走る。僕以外、車内で中吊り広告を見ている人は見当たらなかった。

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