第3話


「ねぇ、何ボンヤリしてるの?」

 隣に座るねこが訊ねてきた。

 僕たちは今、常磐線を走る列車に揺られている。僕の地元に向かう勝田行きの電車だ。平日の昼間ということもあって車内は空いているので、ねこと並んで座ることができた。互いにカレンダーとは関係のない仕事をしているのでいっしょに出かけるのに人混みを心配する必要はあまりない。人がぎゅうぎゅうの状態で彼女のことも気遣いつつ吊り革に掴まることを考えるといささかしんどいので、互いの生活リズムが世間のサラリーたちと同じでないというのは、たまたまであるがありがたいことだと思う。


「どうせまた、あの子たちのこと考えてたんでしょ」

「違うよ」と僕は応える。


 モチロン、ねこは猫ではない。

 たしかにあまり素直な性格とはいえないし眠る時にちいさく丸まって寝る癖があるけれども僕よりふたつ歳下の人間の女の子である。


 では、何故ねこ、なんて呼び方をしているかというと、彼女の名前が垣根琴葉だからだ。「カキネコトハ」――苗字の最後の文字と名前の最初の文字を抜き取って「ねこ」。彼女が学生時代、さして仲のよくなかったクラスメイトが突然その仇名を付してきたらしい。だからもしも名前が名前なら彼女は「いぬ」と呼ばれていたのかもしれない。しかし日本人女性で下の名前が「ぬ」からはじまる人は見たことがないからそれは杞憂というモノだろう。結局そのクラスメイトとはそれからも距離を縮めることはなかったが、その呼び方だけは彼女の周りで定着したようだ。その名付け親はねことの相性はわるかったようだけれど、なかなかのセンスの持ち主だったと、僕なんかは思う。ねこという呼び名は、彼女によく似合っている。


「じゃあ、何考えてたの?」

「ん? ニュースのこと」

「あ、最近変わった、あのおっぱいのおっきいお天気お姉さんのこと考えてたんでしょ」胸がちいさいことを気にしているねこは、それこそ本物の猫みたいに目を三角にする。「この浮気者め」彼女は凄まじいイマジネーションと激烈な嫉妬心を併せ持っているのだ。


「ねこが1番かわいいよ」僕はためしにそう言ってみた。

「そんなこと言ったって騙されないんだから」


 彼女と交際をはじめて、そろそろ2年になる。だからこそわかることなのだけど、彼女がこうやって頬を膨らませて、自分の膝の上に置かれた握り拳を見つめている時は、そう機嫌がわるくないことを示しているのだ。そしてそれは僕の科白があながちお世辞ではないことがきちんと伝わっているからだろう。とりわけ僕は正直者というわけではないが、他人の機嫌を取るためだけの心ないお世辞というのはどうも苦手なのだ。ねこは、本当にかわいい。僕はそう思う。


 ともあれ。


 そんなねこと、僕の地元に向かっている。ある古典文学のタイトル風にいうのなら


 連れ合いはねこである。


 だろうか。しかし彼女には既に名前があるし、そもそも僕はその作品をまともに読んでいない。


 しばらくの沈黙のあとで、彼女が僕の肩にちいさな頭を凭せかけてきた。丹念に切り揃えられた繊細な黒髪からシャンプーの香りが仄かに立ち昇ってくる。僕は彼女の手を軽く握った。僕よりちいさくて、少しだけあたたかいねこの手を。

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