敗北宣言
僕は……俺は回想から戻り、下ろしていた視線を上げて、倉橋に目を向ける。
彼女は少し目を丸くしていた。一気に得た情報をさばき切れていないのだろうか。ならばここで早口でまくし立てるなりをして、会話の主導権を握るべきか。
そうしてみた彼女の眼は、すこし歳相当の少女のように見えた。
俺は首を振る。
「いや、やめよう」
「え……」
倉橋は何が言いたいかわからないのではなく、その選択をとった思考の意味がわからないとでもいうようにつぶやいた。
「俺の精神年齢は見た目より幼いんだ」
「……知ってる」
「でも外見がそれなりに大人だし、戸籍上も結構な年齢だから大人ぶらなきゃいけなかったんだ。それが必要なこともある。でも君も」
俺は腕を組んで黙っている雨村を振り返った。
「雨村さんもそれを別に期待していない。彼女は俺を大人扱いしていない。素人にカウンセリングなんてさせるわけないだろ。ただ形式上それが必要だったというだけで」
俺は前を向く、雨村が肩をすくめた気配がした。
「俺は主導権を握ろうとはしない。君と話すだけだ」
「それは」
倉橋は二回ほど瞬きをした。情報を処理し終わったのだろうか。
「敗北宣言なのでは?」
「そうかもね。そもそも会話に勝ち負けなんてねえよ」
「そうやって話の矛先をずらして言いくるめる気なんだ」
「いや、違うが」
「違うなんて言われても、しっかりそうだって内心思ってるじゃない」
「違うね。思ってることと伝えたいことは違うんだ。君がいくら主張しようと、俺が主張したことが俺が君に伝えたいことだ」
「『自分でも強引な言い分だと思ってる。これで何とか騙されてくれないだろうか』そう聞こえる」
「騙されてくれるか?」
「いいえ」
「駄目か。じゃあどうして欲しいか教えてくれるか?」
「教えない」
「でも俺は教えてるよ。君の考えも教えてくれてもいいんじゃない?」
「……」
倉橋は黙り込んだ。一理あると思たわけではあるまい。いい加減話を交わし続けるのに疲れたようにも見える。
「疲れたのではなく」と倉橋は言った。「飽きたのかも」
「そうなんだ。あんまり面白いようには見えないもんな」
「確かに……楽しくはない」
心が読めなくてもわかる。本当につまらなさそうだ。
「なら……」
「でも面白いって思うこともあるの」
「うん?」
「倫理的に言えば、心なんて読めないほうがいいって言いたい。下劣な品性や罵倒も見えるのは嫌だって思うことのほうが多い。でもこの『秘密の日記帳』を覗くのはたまらなく楽しい。そう思うことがある。最低だけど、心を読んでいるともっと最低な人に出会う。じゃあいいんじゃないかって」
「俺は別にいいよ」
「よくないと思ってる」
「うん、でもな……本来心を読むことはできないんだし、心の奥底に閉まってることなんて何の罪にはならないんじゃないかな。実行しなきゃな。思うことは自由だし。でも思いたくないって気持ちもあるんだろうね」
「じゃあ本来心を読むことが出来ないんだし、本来を崩してくる私が悪いってことになるよね?」
「そうだね。そう思うよ。その点に関しては君が悪いんじゃないかな」
「じゃあどうして」
俺が口を開く前に、彼女は俺の言いたいことを察した。
伝わったと思うが、俺はそれでも口を開いた。
「別に悪くてもいいんじゃないかな」
そこで初めて、倉橋は言葉をつまらせた。
背後から、雨村が手をたたく音がする。
「はい、そこまで。これ以上は患者の体力に関わる」
明らかに話を打ち切りたいといった雰囲気だ。俺は倉橋のほうを見る。少しうつむいていた。
「それじゃあ、またな。話してくれて、ありがとう」
俺はそういって、部屋を後にした。
廊下に出ると雨村がついてくる。
「わかってると思うが、お前も彼女もカルト宗教の元信者としてマークされてることは忘れるなよ」
「わかっていますよ」
「ならなぜ『悪くてもいい』など言った。不良娘の粗相とは違うんだよ」
わかってる。
俺は何も言わずに、用意されたホテルに向かうことにした。
俺が夢から覚めて、10年後の世界を見た日。
世界は思ったより変わっていなかった。俺は、教団が起こした事件の被害者として、あるいは加害者として何度も裁判と研究所に通った。声の主……雨村は精神が逆行していなければ、加害者扱いの線が濃厚だったので感謝するようにと言っていた。本来教団から与えられていた資金の一部の権利を放棄し、研究データを流すこととなった。10年の記録はある程度は脳内端末に残されていたが、それは記憶ではなく記録だった。
そして離婚届けにも判を押した。
「大変なことになったね」と言う遠藤は、歳をとっても笑顔に面影を残していた。
それから今まで一度も出会っていない。
ずっと研究機関に監禁されることになるのかと思ったが、得るものを得られたら用済みとばかりに、社会に放り出された。
社会は見た目と精神年齢が一致しない人間には厳しかったし、仕事もあわなくて何度も辞めることとなった。
想定していたよりは自由はある。青春とその次である朱夏を失ってまで得たなけなしの自由だ。
少なくともこれ以上失うことは避けていきたかった。
その後、一回目の面会を終えてから何度も倉橋と出会っていた。俺的にはそれなりに上手く話せている気がする。
超常的な子供を「普通の子供」と定義することが、人を一人の人と認めることに繋がると聞いたことがある。ただ彼女はそのことを否定したがっているように感じた。それはある意味で思春期的な不安定な発想にすぎないのかもしれない。しかしそれを断定すれば話が終わってすべてが解決するというわけではない。そして彼女自身自分を「普通の子供」と定義づけられることは嫌っていても、「平凡な子供」という自虐感はあるような気がした。
ただこの事実に俺が気が付いた時、倉橋は露骨に不機嫌になった。
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