定められた過去


「簡単に言うと予知能力ですよ」


 多くのフラッシュが僕を刺した。

 僕はあのカメラの形が怖かった。時に生き物のようにも見え、群れて人を追い詰める。眼鏡型カメラなどの見えないカメラが擬態して餌を借る蛸であるなら、見えるカメラはサメのように獰猛に感じた。


「我々はすでに予知能力を取得しています。子供も含めてです。だからこうして一人代表として来てもらいました」


 『先生』の言葉に、記者たちは失笑で答えた。中には怒りや、無表情の人もいた。僕は記者の一人が言う言葉を知っている。それでは、その予知能力を証明してくださいよ、と言うはずだった。


「それでは、その予知能力を証明してくださいよ」


 先生は大きくうなずく。


「それはできません」

「なぜですか? やはりインチキだから?」

「未来は変えることが出来ないからです。以前言った公開講習でも言いましたが、例えば二つの箱にボールを他人に隠してもらって、予知能力者はどちらに隠したかを分りはします。しかしながら隠していないほうの箱を指して答える未来を予知したのならばその通りに言うわけです」


 記者の間に笑いが漏れる。


「しかしその理屈であれば、予知能力があると主張している未来を予知して、そう主張しているだけですよね?」

「そうだともいえます。しかしながらむしろそう主張しているからこそ、予知能力を持っている人間性自体は変化していると言えます」

「すみません。もう少しわかりやすくいってもらえるでしょうか?」

「哲学的な理屈ではなく結果の話です。我々は予知能力を持っていて未来を変えられませんが、性格の変化は確実にある。だからこそこのこと自体には意味があるということです」

「性に奔放な教団で幾度となく公然わいせつ容疑で捜査が立ち入っているようですが、地位を利用して信者に性的なことを要求しているのではないですか?」

「操作はたびたび入りましたが、何度も『問題なし』と言う判断がなされています。教団内で性交渉が行われることが多いですが、皆が皆同意をしっかりとしてやっていることです。18歳以上信者の性交渉は原則禁止しています」

「仮に本当に同意をもって信者たちがその能力を得ているとしても、その子供たちに特殊な精神性を植え付けるのは問題があるのでは?」

「能力と言っても、あくまでテクノロジーによって行われています。インターネットや携帯端末によって、古くは書物によって人々の考え方は変わってきました。この予知もその一つにすぎません。照射の会の名前の由来はブラックボックスを照らす……未来派に限れば、未来を照らすからです」


 記者会見が終わり、支部に戻ると僕は先生に連れられて食堂に向かって歩いていた。


「少し食べていこうか」


 先生は予知したとおりそうつぶやく。かなり美味しい蕎麦が売っていて、僕は不器用ながら喜ぶはずだった。店の中は近くの教団の真っ白の制服を着た人が多かった。信者の皆は先生を見ると深くお辞儀をした。

 先生は壇上などにいると『カリスマがある』と言われる雰囲気をしているが、人ごみに紛れると見失ってしまうような顔をしている。

 蕎麦を口にして僕は頬を緩める。「美味しいです」と僕はつぶやき、先生は「ああ」とだけ答えた。

 内心ではもしかしたら予知より美味しいことを期待していたが、そうでもなくてガッカリしていた。二回目のほうが美味しい料理は確実に存在しする。予知は大抵のものをつまらなくするが、三大欲求はその限りではない


「今回の会見の態度は良かったぞ」


 先生が食事に一段落して褒めてきた。


「……ただ座って、質問されたことに答えただけですよ」

「余計なことは言わなかった。それは褒められるべきことだよ」

「はい……」


 先生は蕎麦をすする。


「しかし君は本当によくやっている。この調子で頑張ってほしい」と僕の目を見て言う。


 その目は何か値踏みをしているような雰囲気があった。


「ありがとうございます」


 僕は少しの違和感を抱きながらもそう答えた。そしてまた蕎麦を食べることに集中することにした。

 明日僕は教団内で大切な瓶を割ってしまい、先生に殴られることとなる。その時のことを思い、嫌だなあと思っていた。


 「先生、お迎えに上がりました」


 食べ終わると教団の人間が3人ほど立っていた。屈強なスーツ姿の男性二人に、僕より少し年上の少女が一人。先生は頷いてから


「悪いが他の用事があるからこの子だけ送ってあげなさい。この子は特別だから」


 そう言って、男性一人を連れて歩き去ってしまった。

 僕たちは支部から出て、車に乗り込み、教団に向かう。しばらく乗っているの隣の少女が突如クスクスと笑い出した。確か名前は――遠藤と言ったか。


「見てたよ、あの会見。緊張でガチガチだったね」


 僕はそれを聞いて赤面をする。それでいて平常心を取り繕いながら答えた。


「べつにいいじゃないですか……」

「いいよね別に。ただいつもすました顔なんでギャップ感じちゃった」


 僕は彼女を見て、よくいる普通の女の子だなと思う。


「そうだね……うん、緊張していたかな」と僕は素直に認めた。「初めてだったからね……」

「先生は君に期待していたんだね」

「そうかもしれない」

「じゃあさ、これあげるよ」


 遠藤はそう言うと、ブレザーの胸ポケットからキーホルダーのような物体を取り出した。幾何学的な形で、何か神聖なものを感じる。


「これは?」と僕は聞いた。

「ふふ……」彼女は不敵に笑った。「『未来』だよ」


 彼女はそう言うと、足を組んで座って目をつむった。

 もう本部に車はついていたが、僕はお礼を言っていなかったことを思い出すと慌てて遠藤の方を見て「あ……ありがとう」と言った。

 彼女は優しく微笑みながら首を横に振る。


「……またね。お勤めがあるから」


 そう言ってから、彼女は車から降りて、教団の部屋に消えていった。

 彼女は18歳だった。


 僕は部屋に戻り、布団にもぐり、思考を巡らせた。

 予知は大抵のことをつまらなくした。三大欲求はその限りではない。

 だから性に開放的になるという理屈はなんとなくわかる。性交渉のネタバレというのは快楽をそこまで損なうものではないようだった。数少ない娯楽として、教団では部屋から嬌声が聞こえることは珍しいことではなかった。

 このような体制なので、教団は血のつながりを重視していない。家族制度は採用しているが、生まれた子供は養子として教団内で適性の応じた男女ペアが育てることとなっていた。他の宗派や、関係ない孤児院から子供を引き取ることもあるようだった。

 端末でゲームをやって時間をつぶすが、数分で飽きる。飽きることがわかっていたのでなおさらつまらない。


「つまらない」


 僕は何度も繰り返いした言葉をつぶやく。本棚に目を向ける。

 覆せない未来予知を受け入れる小説が並んでいた。僕はそれらの話を楽しんだが、やはり現状がつまらないことには変わりなかった。予知の内容は数年先まで続いている。成功と挫折がすべてわかっていた。だからやっぱりつまらない。

 僕は予知の中で何度も祈りをささげていた。それは教団の信者として当然の行動だったし、僕の未来がそれを求めているからだ。しかし今思うと、その行動には意味があったのだろうか?


「つまらない」


 僕はもう一度そうつぶやくと布団にもぐりこんだ。そしてそのまま眠りにつこうとした。


『――それではこの夢から覚めるか?』



 ――?


 今の声は何だ? 飛び上がりたかったが、僕はそんなことをしないのがわかっていたので、寝ている状態のままだ。そう予知したから。予知していないことは起こらない。

 じゃあ何だこの声は。幻聴だとしても幻聴事態を予知しているはずだ。僕は目を開けたまま偶然寝返りを打った。そして先ほど女性にもらった幾何学模様のキーホルダーが視界に入った。

 あれから声が聞こえたような気がした。


『キーホルダーはいわば栞だ。記憶の中の起点として、存在している。彼女はその時代から教団に不信感を抱いていた。その模様は教団と敵対する組織の証だったんだ。我々は記憶の中のその模様を目指して、通信をしている』


「その時代」と言う言葉が引っかかる。つまり、予知能力があるってことは……


(つまり、時間通信が未来で完成したとか?)


 僕がそう考えると、声は答えた。


『それは違う。結局のところ予知能力もペテンだった。時間を超える技術なんて存在しない』


 幾度となく聞いた言葉ではあった。しかし僕たちは現に未来を予知していた。それを周りに証明できないだけで。

 しかしこの声は予知を覆しながら話しかけていた。それだけで聞き入るべき説得力が高かった。


(じゃあ今見ている予知は一体なんなのさ?)

『これは記憶の世界だ。今現在とは君が思っているより10年ほど未来に位置している。そして脳内端末内で、記憶をたどって、行動している錯覚を植え付けているに過ぎない。君は今、私から見れば脳波を制御するヘルメットをかぶりながら、研究所のベットで眠っている状態だ』


 僕はその可能性を考える。そこで矛盾点を見つけた。


『だとしたら記憶の世界ではない現実を生きた僕もいるってことでしょう。その僕は未来予知などしていないので、予知能力を信じるわけないじゃないか』

(定期的に同期を行っている。予知をしていない過去の記憶を、予知をしていた過去で上書きすることによって、現代の人格を構成している)


 嘘かもしれない。しかし今僕が見ているのが記憶の世界であるのならば、夢から覚めてしまえば、声の主の言ったことが真実であると証明される。


(いったい何のために教団はそんなことをしているんですか……?)

「支配だよ。時間の奴隷にはならないというが、湾曲な言い回しによる嘘だ。特殊な状況で人格を変化させて、自分に従順にさせるのが目的だ」

(だとしたら回りくどすぎる)

「一応逮捕された教祖が語った内容によると、『予知をできる人間』という進化した人間の精神を再現したかったとも言っている。それも本当かもしれない」


 逮捕……という言葉が重くのしかかる。

 僕はどうしたいのだろうか。いや、すでに決まっている。ずっと退屈だった。現状を打破してくれるのであれば、罠であろうと飛び込みたい。この喜びを表す手段は何か。飛び上がるか。踊りだすか。心臓を高鳴らせるか。どれもできない。もどかしい。それでも表したい。


(じゃ、じゃあすぐに戻してくださいよ! 僕はもううんざりしてるんだ! 予知のない世界を生きたい!)

『それは大変難しい』

(難しいって、なんで……)

『君は厳密な意味で人格は別れていないが、便宜上わかりやすく説明するのであれば、別れていると言える状態に近い。つまりは現在生きている君の人格と過去の記憶をたどっている君がいるんだ。なのでその違いをなくすにはしっかりとこの10年のシュミレーションを経過しなければならない。そうしなければ、脳に異常が残る』

(なんで10年なんだ? 同期するって言ってもそんなに離れてたら予知の疑似感覚も植え付けられないだろ?)

『記憶とは時系列通りではない。昨日と一昨日の食事の順番を覚えていても、記憶の棚に順番通りに保管しているのではなく、昨日と一昨日という情報を一緒に覚えているからだ。つまり、10年前の君に通信できたのはたまたまだ。君自身が時系列に沿って記憶をたどっていると感じているのは錯覚だが、君自身の存在が錯覚に近いので、体感的にはしっかり10年を生きることになるだろう』

 

(ふざけるなよ! じゃあなにもかわらないだろ。なんで教えたんだよ! 知らなければ希望も抱かなかったのに!)

『難しいと言ったんだ。不可能ではない』

(結論から先に言ってくれよ……どうにかなりそうだ。結局どっちなんだ)


『――君のほうが主人格になるんだ。そして現在の人格をなかったことにする』


 声の主はあっさりと言った。あまりにあっさりと言ったので、本当になんてことないことかのように。

 それは……つまり。


(……現在の人格に死ねと?)

『先ほども言ったが正確には人格ではないので死と言うわけではない。記憶がなくなるだけだ』

(でも……そこの結果できるのは大人でありながら精神年齢が子供の大人だろ……)

『嫌かね?』

(嫌って……)

『何をしても自由意志が欲しいんだろう? じゃあこの10年をスキップするなんて大したことじゃないかい?』

(そんなわけないだろ……10年がなかったことになるんだぞ……)

『おや、そうかい。じゃあ仕方がないな。我々からしたら一瞬だが、君にとってはちゃんと10年の体感時間で経過する。それにあと数年もしたら君も18歳だ。最初の頃は渋っていたが、一回やるとかなりのめりこんでいたようだ。そこまで退屈しない10年間だろう』

(やめろ! それ以上言うな!)


 体が反応していたら、鳥肌が立っていたかもしれない。


『じゃあどうするんだ』

(仮に……仮に僕が主人格になるのだとしたら、見方によっては都合が良すぎる……何でそんなことを提案するんだ……)

『第一に……現在の君は死にたがっている』

(……)


 衝撃なことを言われた気がしたが、納得できる気がした。この生活を10年。そして嫌がりながらも予知のあるのを前提として10年を過ごしてた生活を手放すこと。頭の中で自身の人生を辿るイメージをすると、死にたがることに納得が出来た。



『第二に……私は君たちの敵だ』


 声の主は少し言葉を落とした。


『君たちの精神年齢が退行すると好ましい。万が一教団が復活すると非常に困る。そして現在の君は非常に有力な力を持っていた。だからだよ』


 利己的な理由。それはきれいごとより信じやすい言葉だ。しかし胡散臭い程度の評価が、明確に悪人であるという評価に変わることでもある。


(そもそも僕の許可がいるのか?)

『許可はいる。記憶の世界では予想通りのことしか起こらないので、例外は最小限にしたほうがいい。だからあらかじめ知らせておいて、廃人化を防ぎたいんだ。断るのであれば、現在の君をしっかりとケアをして、死にたいという気持ちを取り除く方法に転じるだろう。こっちは望みは薄いがね』


 つまりは、精神が子供のほうが操りやすいということなのだろう。

 子供を支配する主が変わるというだけかもしれない。ならいっそ一番ましな選択をとるしかない。

 でも主観的に初めて得た選択肢には違いなかった。ほんのわずかな……コップのぬるま湯の中に残った氷のような。ないよりはましか、ないと同じととるか。

 僕は……僕は……

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