第23話 魔女にかける魔法 9
いつもなら、朝食を食べた後はダラダラとテレビを見ているんだけど、今日は早々に出かける準備を整えると、図書館の開館時間にはもうたどり着いていた。
七々子さんに「おはよう」と挨拶をしてから、この夏の定位置になっている机に、図鑑を広げながらワクワクした気持ちで入り口を見る。
時々、図鑑のページをめくったりはするけど、何が載っているのかも頭には入って来ない。
もう1時間は待っているけど、誰も来ない。
まぁ、朝とは言ったけど、時間は言ってないし。
来られる人って事は、来られない人もいるだろうし。
一人で自由研究をしたいのかもしれないし。
そう言えば、悠一君も一緒にやるとは、言ってなかったような気がするし…。
雪子ちゃんも、一緒にしたいと言ってくれたけど、お母さんに聞いてからじゃないと返事は出来ないって言ってたし…。
太輔君は、きっと水泳の練習があるんだろうし…。
一人で盛り上がっちゃって、バカみたいだな…。
入り口に向けていた視線を、開いただけの図鑑に落とした。
はぁ。
誰にも聞こえないくらいの小さなため息をついて、ゆっくりと図鑑をめくっていると、気持ちが段々と沈んで行く。
七々子さんは、外の花壇を手入れするって出て行ったままで、一人きりの図書館は、いつもよりも広く感じて、寂しくなってきた。
「ごめん。来るの遅かった?」
入り口のドアが開いたと思ったら、絶対に来ないと思っていた太輔君が入って来た。
「えっ?水泳は?」
「あぁ、今日は夜だけなんだ。だから、夕方までなら大丈夫。悠一は、今日は来られないって。その代わり、これ、預かって来た」
太輔君は鞄からスケッチブックを取り出した。使い込まれたスケッチブックを開くと、色鉛筆でいろんな草花が描かれていた。
「…これって…」
「悠一のスケッチブック。あいつ、絵、描くの上手いんだ」
太輔君が来てくれたことに驚いたのと、悠一君が大事なスケッチブックを見せてくれたことと、雪子ちゃんは来ていないけど、誘ったみんなが、一緒に自由研究をしたいと思ってくれた事が嬉しくて。
重く沈み始めた心が、重さなんて忘れたみたいにフワフワと浮かび上がって、まだ何も始めていないのに、楽しくなってきた。
「ありがとう、来てくれて。すっごく嬉しい」
私は今日一番の笑顔で太輔君にお礼を言って、スケッチブックをギュッと抱きしめた。
「嫌、俺も。誘ってくれてありがとう」
太輔君は、少し恥ずかしそうにお礼を言って微笑んだ。
「雪子ちゃんも一緒にしたいって、言ってくれたんだけど、お母さんに聞いてからじゃないとダメなんだって。だから、今日は来られ無いかもしれないけど」
「そうか。じゃぁ、とりあえず二人で始めよう」
「うん」
太輔君は、私の隣に座ると、ノートと筆箱を取り出した。
「確か、この山に生息する草花とか薬草とかを調べたいんだよな」
「うん」
私はフワフワした気持ちのまま一気に、考えていた事を話した。
太輔君がバカにする事無く私の話を聞いてくれるから、頭に浮かんだ事を素直に口にできて「魔女みたいだから」って事を、口にすることが今日は恥ずかしくなくて、「うん、うん」と時々笑いながらノートに書きこんでいる太輔君に、夢中で話をした。
「じゃぁ、絵は悠一で、雪子は字が上手だから、まとめたものを代表して書いてもらおう」
「うん。雪子ちゃんのお母さん、一緒にやってもいいって言ってくれるかな?」
「…そうだな。おばさん、雪子の事をとっても大切にしてるから。いつも自分の目の届くところにいて欲しんだよ、きっと。でも、雪子がちゃんとお願いすれば、きっと分かってくれるよ」
「そうだよね」
太輔君は学校にいる時よりも、たくさん話をしてくれて、たくさんみんなの事を教えてくれた。
「悠一は心配してた。花音ちゃんがやろうとしてる自由研究を一人でさせたら、一人で森の中に入ってしまうんじゃないかって。でも、自分だけがついて行くのも心配だから、時間のある時でいいから太輔も来て欲しいって、言ってきたんだ。悠一、いつもは無口で何も言わないけど、本当は優しくて心配性なんだよ。あんなに前髪を伸ばしてるのも、プールに入らないもの、みんなが自分の傷跡を見て、怖がらないようにと思っての事だと思うし、この図書館で本を借りて読んでるのも、本が好きな弟に読んでやるためだと思う」
「悠一君の弟は、悠一君が怪我した時に目を傷つけて見えなくなったんだよね?」
「そう。この近くの森の中で二人で木登りをして遊んでいた時に、怪我をしたんだ」
「だから、あんなに怖い顔で、一人で森には行くなって言ったんだね」
「多分。それからきっと、自分を責めてるんだと思う。本が好きだった弟の目が見えなくなってしまったのは、自分が守れなかったせいだと思ってるから」
小さなころから一緒に過ごしてきた太輔君が話す悠一君は、私が感じている何倍も、優しくて、弱くて、自分勝手だった。
悠一君が周りの人たちを心配するように、周りの友達も悠一君を心配している。だから、一人でいる悠一君に気を使って、無理に輪の中に入れようとしないし、私みたいに、余計な事を言ったりしない。悠一君がまたいつか、自分たちの側に来てくれるのを、静かに待っているんだ。そんなことは、悠一君も気が付いてるんだろうけど、今はまだ、一人でいたんだ。
「雪子は、小さい頃から、フワフワした服を着て、お母さんに大事にされてた。運動はあまり得意じゃないけど、歌やお遊戯は誰よりも上手くて、幼稚園の発表会は、いつも主役をやってたな。ピアノを習い始めてからは、みんな雪子にピアノを弾いてもらったりして、雪子の周りはいつも音楽が鳴ってた。小学校になってからも、フワフワした服を着て、ピカピカの靴を履いてる雪子は、みんなと違う事で、段々周りから浮いて見えるようになって、みんなは変わらない雪子をからかったり、仲間外れにするようになった。そんな事されても、雪子は何にも変わらなくて。でも、変わらないから浮いてしまって、今みたいな状況になったんだ。それを心配したおばさんが、少し過剰なほど雪子を心配するようになったんだと思う。でも、今は花音ちゃんが、雪子と話してくれるから、良かった」
太輔君が話す雪子ちゃんは、私が知ってる雪子ちゃんで、でも「うふふ」と笑う笑顔の中に、寂しさがあるのかもしれないと少しだけ思った。
雪子ちゃんの何も否定しない優しさは、過剰に見えるくらいのお母さんの愛があるからなのかな。嫌な顔や悲しそうな顔をしないのは、そう思わないんじゃなくて、見せないのかもしれないと、確信のように閃いた。
「雪子ちゃんの事、確かに浮いてると思ったけど、私たち4人は、あの教室では同じように浮いてるよ。でもね、今はそれで良かったって思うの。太輔君と雪子ちゃんと悠一君は、私が余計な事を言っても、黙って離れて行くんじゃ無くて、笑ったり、怒ったり、説明したりしてくれるから、怖がらずにたくさん話せる」
「確かに、花音ちゃんは素直すぎて、ちょっとびっくりするけど。俺たちだって、言葉にしないだけで、態度は花音ちゃんに負けないくらい素直だよな」
確かに。
無理に同調しようとしない3人は、私と同じくらい素直だ。
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