第19話 魔女にかける魔法 5

 毎日当たり前のように雨が降り、土や木に雨が混じって、森の匂いを変える。

 私は赤い傘をクルクルと回して、同じ色の少し大きな長靴をズコズコと鳴らしながら、七々子さんの図書館にたどり着いた。

 こんな雨の中、ここに来るのは私くらいかと思っていたのに、玄関の脇にある傘立てには、大きな黒色の傘が立てられていた。

 私は、少しだけ驚いて、でも同じくらい嬉しくなって、赤い傘を同じ傘立てに入れると、図書館の扉を開けた。

 「お前、雨でも来るんだな」

 私と入れ替わるように、悠一君がボソッと呟いて、今閉めたばかりの扉を開けて出て行った。

 「悠一君もじゃん」

 嬉しかった気持ちはすぐに反発心に変わって、扉で見えなくなった悠一君の背中に向かって、少し口をとがらせて言い返した。

 「こんにちは、七々子さん」

 でも、それも一瞬だけで、前を向いたのと同時に笑顔になって、本棚に本を返している七々子さんに挨拶をする。

 「こんにちわ。花音ちゃん」

 外は雨で、どんよりとしているのに、この中はまだ春のように柔らかい光が満ちている。古い木と乾いた紙と少し埃っぽい匂いと、大きな窓にかかる白いカーテン越しに差し込む光は、季節まで止まっているように感じて、物語の中に入り込んだ気分になる。

 私以外に利用者がいない事は、玄関で分かっていたので、七々子さんの作業に付きまといながら、いつものように借りた本の感想を一方的に話す。

 「この本に出てくる魔女は、私と同じくらいの子供なのに、箒に乗って空も飛べるし、呪文を唱えてケーキも出せるんだよ。私も魔女なら、雨の中、歩かずに箒で飛んでくるのになぁ」

 カウンターに戻って、本の返却手続きをしている七々子さんは、可笑しそうに目を細めながら、私の話に付き合ってくれる。

 「雨の中を箒で飛んでも濡れちゃうんじゃない?傘をさしながら箒で飛ぶのは大変そうだしね」

 七々子さんはカウンター越しに、雨で濡れた私の肩を、白いハンカチで拭ってくれた。

 「箒で空が飛べるんだから、傘をささなくても濡れない魔法もちゃんとかけるよ」

 「そっか。でも魔女は自分の為に魔法は使っちゃいけないのよ」

 「えぇー。この本の魔女は自分の希望を叶える魔法を沢山使ってたよ。あっ、でも。それがお母さんの魔女にバレて、魔法が使えなくなる魔法をかけられるんだった…」

 「…魔法が使えなくなる魔法かぁ…」

 私は本当に魔法が使えなくなったような気持ちになって、少し落ち込み、目だけで七々子さんを見た。七々子さんも私と同じように、少しだけ沈んだ声で呟きながら、自分の手を見ていた。

 自分の手のひらを見つめる七々子さんの目は、眼鏡のレンズの色が写り込んだのか、濃い青色に変わった気がした。

 七々子さんが少しだけ寂しそうに見えたから話題を変えようかと思ったけれど、私の空想話に唯一付き合ってくれる七々子さんに甘えて、まだ魔法の話を続けてしまった。

 「七々子さんは一度だけ、自分に魔法が使えるとしたら、どんな魔法を使いたい?」

 「自分に魔法?」

 「そう。私はね、背が高くなって、難しい勉強もスラスラにできるようになって、どんなスポーツも楽々こなせるようになって、余計な言葉が口から出てこない魔法をかける!」

 ずっと心の中にため込んでいた願望を、「もしも…」に便乗して口にしたら、ちょっとだけすっきりして、段々とワクワクしてきた。

 「花音ちゃんの願いは、魔法を使わなくても叶えられそうだけど」

 「えぇー。それって好き嫌いしないでご飯食べて、ちゃんと勉強して、苦手でも頑張って練習したら。ってことでしょ?私はそいうのパスして叶えたいの」

 「そっか。そうだよね」

 「何か、この図書館って、魔法の呪文が書いた本とかが置いてありそうだよね」

 「魔法の呪文が書いた本?」

 「そう!だって、古い本も多いし、外国の文字で書かれた本も多いでしょ。だから一冊くらい、魔法の本があっても不思議じゃないよ」

 私の勝手な希望を言葉にしていると、七々子さんは急に真面目な顔になって答えた。

 「…実はね。あるの」

 「えっ?あるの?」

 「えぇ、秘密よ。この図書館の中には魔法の事が書かれた本がいくつかあるの。でも、それを手にすることが出来るのは、本当にその本が必要な人だけ」

 「本当にその本が必要な人だけ?」

 初めて見る七々子さんの真剣な顔に引き込まれて、オウム返しの言葉しか出てこない。

 「そう。もし、花音ちゃんがどうしても魔法が必要になれば、本は在りかを教えてくれるはず」

 七々子さんの言葉に、私は神妙な顔をして頷いた。

 「…なんてね、冗談よ」

 いつもの様に明るい笑顔になった七々子さんの目は、一瞬だけ紫色に見えたけれど、すぐにいつもの茶色に戻って可笑しそうにクスクスと笑っている。

 「もうっ!七々子さんが真面目な顔して言うと、本当かと思うでしょぉ」

 私はからかわれたことに腹を立てるというよりも、まんまと引っかかってしまった間抜けさが恥ずかしくて、誤魔化すためにわざと怒った。

 「ごめん、ごめん。花音ちゃんが面白い事言うから、つい」

 七々子さんはにっこり笑ってすぐに、玄関の方に目を向けた。

 私もつられて七々子さんの視線を追うと、腰の曲がったおばあさんが本とビニール袋を提げて扉を開けて入って来た。

 七々子さんは、素早くカウンターを出て、おばあさんを迎えに行った。

 「まぁ、栄美えみさん。雨の中来て下さったの?大変だったでしょ?」

 「少し前に雨が止んだんだよ。そうしたら、七々子ちゃんに借りた本の事を思い出してね。忘れないうちにと思って、持ってきたんだよ。それから、これ、少しだけど、お裾分け」

 栄美さんと呼ばれたおばあさんは、古そうな本とビニール袋を七々子さんに渡した。七々子さんはそれを受け取ると、近くにある椅子を持ってきて、おばあさんに進めた。おばあさんが「ありがとう」と言いながらゆっくりと椅子に座ると、七々子さんも視線を合せるように跪き、受け取ったビニール袋をのぞき込んだ。

 「まぁ、キレイな緑色」

 「うちの畑でとれた豆だよ。見栄えは悪いけど、味はいい。筋を取って、さや事塩でゆでて食べればいい。甘くて美味しいよ」

 「ありがとう。早速今夜、頂きます。この本も、返却しておきますね。何か違う本を借りますか?」

 「いいや。本は、また今度にするよ。借りた本に書いてあった料理は、どれも懐かしい味で、母親の料理を思い出したよ、ありがとう」

 「そう、栄美さんのお役に立てて良かった。そうだ、栄美さん最近寝つきが悪いそうね」

 「あぁ、そうなんだよ。布団に入ってもなかなか眠れなくてね。この間なんて、夜中の2時まで寝られなくて。まぁ、歳だから仕方ないんだろうけどね」

 「それでは疲れが取れないわ。ちょっと待ってて」

 七々子さんはカウンターの中から小さな布の袋を持ち出して、栄美さんに渡した。

 「これ、いい香りのする袋です。これを枕元に置いて寝てください。きっと、いい眠りが訪れますよ」

 「まぁ、いつも悪いねぇ。この間もお茶をもらったばかりなのに」

 「いいえ。こちらこそ。いつも美味しいお野菜を頂いて、感謝してるんです。私がお返しできるのは、これくらいしかないので、受け取っていただけると、嬉しいです」

 「そうかい?じゃぁ、遠慮なく頂いて行くよ」

 栄美さんは上着のポケットに大切そうに袋を入れて立ち上がった。

 七々子さんは、栄美さんにそっと手を貸しながら外まで出ると、後ろ姿が見えなくなるまで見送った。

 私は、七々子さんと栄美さんのやり取りを見ながら、七々子さんの後ろで一緒に見送った。

 七々子さんのところには、時々こうしてお年寄りが野菜やお漬物を持ってやって来る。七々子さんはいつも、とっても嬉しそうに受け取り、お返しにお茶や小さな袋に入った何かを渡していた。

 栄美さんが言っていたように、雨は止んで空は青く晴れていた。

 「あっ、虹!」

 広い空にかかる七色の橋を見つけて、指を指して教える。

 「…虹…だ」

 七々子さんも私を同じように空を見上げながら、ポツリと呟いた。

 虹を見上げる七々子さんの目は、虹を映しているのか、七色に輝いていた。

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