第15話 魔女にかける魔法 1
森のおうち。
私は、おじいちゃんとおばあちゃんが住む家をそう呼んでいた。
でもこの春から、森のおうちは、私のおうちになった。
大都市では無いけれど、それなりに便利な街で暮らしていた私が、過疎が進むこの町に引っ越してきたのは、法事やお葬式の時に料理を出したりする「仕出し屋」を、お父さんが継ぐためだった。
おじいちゃんが2年前の冬に転んで足を骨折してから、長時間厨房に立ったり、重い物を運ぶのが大変になったため、ホテルの厨房で働いていたお父さんが、引っ越すことを決めた。
夏休みに1日だけ遊びに来るには、とっても楽しい所だったけど、暮らすとなると話は別で、夜はお店も街灯もほとんど無くて真っ暗で怖いし、森が近すぎて熊や猿が出てきそうで怖いし、時々謎の生き物の鳴き声が突然聞こえてビックリして怖い。
怖いし、暗いし、何も無いところだけれど、ワクワクするものを見つけた。
森の入り口のような場所に、今は使われていない小学校の校舎があって、その近くに、洋館のような小さな木造の図書館が建っていた。
引っ越してきた翌日に車から見えたその建物は、最近読んだ「魔法の杖」と言う外国の本に出てくる、魔法使いの家のイメージにピッタリで、この町に来て、初めてワクワクが体中を駆け巡った。
新しく通う小学校は創立100年以上の歴史があるらしいが、校舎は20年くらい前に森から離れた場所に新しく建てられたそうだ。学校には図書室があるし、車で30分の隣の町には大きな図書館が有るから、利用する人がほとんどいない図書館と廃屋と化した旧校舎は、来年の夏に取り壊すことが決まっていると、昨夜おじいちゃんが言っていた。
せっかく見つけたワクワクが、1年経てば無くなっちゃうなんて、悲しすぎる。
だから私は、自分の荷ほどきもそこそこに、お気に入りの白い自転車に乗って目的の図書館に向かった。
アスファルトで舗装されている道の直ぐ横は、森が広がっていて、湿った土と木の匂いが息をするたびに身体の中に入って来て、森の中を進んでいるような気分になる。図書館を知るまではただ怖いだけだった森も、今は魔法使いが住む森のように思えて、自転車を漕ぐたびにビクビクがドキドキに変って行くから不思議だ。
去年発行された「魔法の杖」は、魔法使いが活躍するお話。主人公の魔法使いの友達の妖精やフクロウが、人間に悪戯をして事件を起こし、面倒見のいい魔法使いに解決を求めるお話で、とっても面白い。
引っ越して来る前に図書館で借りて、2回は読んたけど、古い図書館を見たら、また読みたくなった。
もしかしたら、あの図書館は魔法使いの図書館で、魔法の本がたくさん並んでたりして。
物語の世界と現実と重ね、妄想を膨らませながら図書館の前に自転車を止めた。自転車を漕いだから心拍数が上がってドキドキしているのか、本当に物語の中に入ってしまうかもしれないとドキドキしているのか、分からないまま少し汗ばんだ手で、キー、と軋むドアを開けて足を踏み入れた。
古い木と乾いた紙の少し埃っぽい匂いと、大きな窓にかかるカーテン越しに差し込む春の温かい日差しが、時間の流れを止めているみたいで、この図書館が建てられたくらい昔にタイムスリップしたような気持ちになる。
ドキドキしていた体は、いつの間にかフワフワに変わっていて、木の床をしっかり踏みしめているのに、少しだけ宙に浮いているみたい。
天井まで届くんじゃないかって思うほど高い木の本棚がいくつも並ぶ館内を、首が痛くなるくらい見上げながら、ゆっくりと進む。
本棚にはきっちりと上まで本が並べられていて、聞いたことがある世界の名作集とか、私でも知っている偉人の伝記とか、表紙の絵が怖くて読んだことは無いけど、名探偵が活躍する日本の推理小説とか。奥の方には、重たそうな図鑑が、日本語だけじゃなくて、外国の文字で書かれた物までずらっと並んでいた。
私は時々本を手に取って、表紙や中身を少し読んだり、布で作られている表紙の手触りを確かめたりした。たくさんの本の中に、新しそうな本は無くて、どれも少し色あせたり傷んだりしていた。
高い本棚が並ぶ中、一番奥の中央に、大きな窓を背にした貸し出しカウンターがあった。
木製で楕円を半分にしたような形をしていて、窓から降り注ぐ光を浴びて艶々と黒光りしている。
私は光る竹を見つけた翁のように、吸い寄せられるように近づき、木のカウンターを撫でた。
滑らかな木の手触りは、丁寧に磨き込まれていることが分かり、それだけで何だか嬉しくなって、フッと笑顔が漏れた。
おじいちゃんのお店の二階へ上る階段も木造で、その手すりの木も艶々に磨かれていて、すごく手触りが良くて好きだけど、このカウンターは、それよりも艶々で滑らかだ。
カウンターを触りながら観察してると、すぐ横にある小さな本棚に、「新作」と書かれた紙が貼ってあり、表紙を向けて数冊の本が並んでいる。
難しそうな分厚い本や、動物の絵が書かれた絵本、有名な作家の文庫本、仏像の写真が載っている写真集。そんな中に、黒いとんがり帽子と箒と木の杖が描かれた本があった。
「魔法の杖」
私は思わずタイトルを口にして手に取り、ゆっくりとページをめくる。
最初のページに書かれている「この世界のどこかで生きる友に捧ぐ」っていうのが、カッコよくて好き。
そして、目次の次のページから物語が始まる。
「その本、とっても面白いわよ」
背中から声がして、驚いて振り返ると、赤い縁の眼鏡をかけたお姉さんが、数冊の本を抱えて立っていた。
「あ、はい」
「初めまして。この図書館を管理している、
自己紹介をしたお姉さんは、微笑みながらカウンターに持っている本を置いた。
「
私はお姉さんを見上げながら、手に持っている本を見せた。
「引っ越してきたばかりってことは、吉本さんのお孫さんね。もちろん借りられるわよ。貸し出しカードを作るからちょっと待ってね」
お姉さんはカウンターの中に入ると、私の貸し出しカードを作ってくれた。
「この本、1年前に出版されてるから、新刊じゃないですよね?」
私は、本の裏表紙の内側に貼られている返却日を書き入れている紙に、2週間後の日付を描いているお姉さんに、気になった事を聞いた。
「よく知ってるのね。この本だけじゃなくて、この新刊の棚にある本は全部去年出版された本なの。この図書館は来年には取り壊されちゃうから、新しい本はもう入らないのよ。だからこの本棚にある本は、この図書館にある本の中では最新刊なのよ」
お姉さんの眼鏡の奥の目は少し曇って、悲しそうに見えた。だからかな?お姉さんの目の色が濃い青色に見えて、思わずその目をジッと見る。
「お姉さんの目。青いけど、外国の人なの?」
私から目を逸らさずに、お姉さんが瞬きをすると、目の色は濃い茶色になった。
アレ?見間違えかな?
「えぇ、外国の血が入っているの。だから目の色と顔立ちは日本人と比べると、違和感があるかもしれないわね」
お姉さんは嫌な顔もせず、微笑みながら答えてくれた。
「それから、私は七々子。お姉さん、じゃ無くて名前で呼んでくれるとうれしいな。
はい。返却は2週間後」
七々子さんは貸し出し手続きを終えた「魔法の杖」を差し出した。
「ありがとうございます。七々子さん」
私はお礼を言って受け取ると、図書館を後にした。
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