第13話 ドレスとおまじない 7
「私、佐伯小春。よろしくね」
4月。
小学校6年生、最初の登校日。
新しいクラスで緊張している私に、後ろの席の佐伯さんが声を掛けてくれた。
人と話すことも、自分の意見を言う事も苦手で。友達なんていない。
新しいクラスでも、一年前と同じことの繰り返しだと、諦めて、自分を納得させていた。
でも、席に着いたとたん、佐伯さんは笑顔で挨拶をしてくれた。
私は、驚きで、直ぐに言葉が出てこなかったけど、佐伯さんの可愛い笑顔は、私の言葉を待ってくれている様に思えた。
「…河野マチです。よろしく」
マスクをしたままの私の声は、小さくくぐもっていたけど、佐伯さんには聞こえたみたいで笑顔で小さく頷いた。
初めて同じクラスになった日は、初めて佐伯さんに名前を言った日でもあったけど、初めて話したのは、5年生の春の遠足の時だった。
誰かの願いが叶ったような、良く晴れた遠足日和。
お昼休憩は、緑豊かな公園だった。
緑の芝の上で、仲の良い友達同士でレジャーシートを広げて楽しそうにお弁当を食べている、みんなの視界から外れるように、私は一人、大きな木の木陰でお弁当を食べ終えた。そして、いつも休み時間にしている様に、リュックから本を取り出して読み始める。
45分間の昼食を兼ねた自由時間は、友達のいない私には暇を持て余すだけだと分かっていたので、持ち物リストには無い読書用の本を持ってきていた。みんなが楽しそうに遊ぶ声を、鳥の鳴き声と同じだと思いながら栞が挟まれたページを開く。
ママが子供の頃に友達に勧められて夢中になって読んだと教えてもらった「魔法の杖」シリーズは、魔法使いが活躍する、冒険ファンタジーでとっても面白い。初版はママが小学生の頃で、今も新刊が発売されるほど、長く愛される人気シリーズだ。シリーズ6作目のこの本を、前作を思い出しながら読み進める。
最初はみんなの楽しそうな声が気になって、なかなか集中できなかったけど、読んでいるうちに物語に入り込んで、私の頭の中では、主人公の魔法使いが得意気に魔法の使い方を説明している。私は自分が作り上げた魔法使いのイメージを思い浮かべながら、文字を追う。
「ここ、涼しくていいね」
直ぐ近くで声がしたから、急に現実に引き戻されて、驚いて顔を上げた。
声の持ち主は、隣のクラスの佐伯さんだった。
5年生で一番可愛いと言われている、美少女の佐伯さんは、本当に可愛くて見とれてしまう。
「本、読んでる邪魔しないから、少しだけここに居てもいい?」
「…うん」
「ありがとう」
佐伯さんは、私の近くにしゃがんで、白い花を咲かしているクローバーを優しく掻き分けて何かを探し始めた。
長い髪に木の葉の間から僅かに差し込む光が当たり、キラキラと反射している。その横顔は微笑んでいて、楽しそうだ。
「あ、ごめん。邪魔しないって言ったけど、ここに居るだけで気になっちゃうよね」
私の視線に気が付いた佐伯さんは、しゃがんだまま私を見て、謝った。
「…ううん。何探してるのかなって思っただけ」
佐伯さんが可愛くて見とれていたなんて言えなくて、とっさに嘘をついた。
「あぁ、四葉のクローバー。持ってると願いが叶うんだよね?探してお守りにしようって、みんなが」
「そう」
私は佐伯さんの足元に広がるクローバーに視線を移した。
「あ、それっ」
私は佐伯さんの靴のすぐ側にあるクローバーを指して、声を上げた。
「えっ?何、何?」
佐伯さんは驚いて自分の足元を見る。
私は本に栞を挟むのも忘れて、近づくと佐伯さんの靴のすぐ横に咲いているクローバーを摘んだ。
「四葉」
驚いている佐伯さんの顔の前に差し出す。
「わっ、ホントだ。凄い。じゃぁ、この近くにまだ有るかな?」
佐伯さんは自分の足元に視線を移して、丁寧にクローバーを掻き分ける。
「あっ!あった!」
佐伯さんも声を上げながら四葉のクローバーを摘んだ。
「小春ちゃーん」
佐伯さんが四葉のクローバーを見つけて直ぐに、遠くで佐伯さんを呼ぶ声がした。
「はーい」
佐伯さんは名前を呼んでる友達の方を見ながら、手を振って返事をする。
「一緒に探してくれて、ありがとう。私たちの願いが叶うといいね」
佐伯さんはお礼を言うと、見つけたばかりの四葉のクローバーを顔の横に持ち上げてニッコリと微笑んで、友達が待っている太陽の下へと駆けて行った。
私だけに向けられたあの優しい笑顔は、四葉のクローバーが叶えてくれた願いだったのかもしれない。
一人で居る事に慣れてはいるけど、一人の思い出しかない遠足は、やっぱり寂しいくて、みんなの楽しそうな声が、羨ましかった。そんな私に出来た、ほんの数分の楽しい思い出。
私は手している四葉のクローバーを大切にティッシュに包んで、家に持って帰り、ママに手伝ってもらいながら押し花にして、栞を作った。
あの日から、この四葉のクローバーの栞は私のお守りだ。
願いを叶えて欲しい訳じゃなくて。
幸運が訪れて欲しい訳じゃなくて。
ただ、少しだけ心を温めてくれる。そんな風に私を守ってくれる、大切なお守り。
佐伯さんは、学年で一番の可愛い女子。
知らない人はいない。
私は、知っている人を数えた方が早いくらい、地味で目立たない。
それでいい。
佐伯さんの様に、皆から認知されて、期待されるのはとても耐えられない。
それに、人気者は皆から慕われるだけでは無いことを知っている。
「先生の小春贔屓見た?あからさま過ぎるよね?小春もまんざらでも無いんじゃない?イヤ、あれだ。特別使いされるのは当たり前ってか」
掃除の時間、同じ班の女子が、コソコソと佐伯さんの事を言っているのを聞いた。私が一緒に掃除をしていることなんて、きっと忘れているのだろう。
「野村君、やっぱり小春の事が好きなのかなぁ。男子は皆小春に持ってかれちゃうから、嫌になるよね」
下校時に、私の後ろを歩いている女子が話しているのが聞こえた。前に人がいるのに、こんな話をするのはいかがなものだろうと思いながらも、聞こえてくる会話は仕方無いので、しっかり聞いてしまう。
「小春って、自分からやるって言わないくせに、いっつも美味しい役、持って行くよね。あれ、周りのみんなが押してるようにみえて、絶対、小春が誘導してるんだよ。何で、みんな気付かないかなぁ。小春のしたたかさ」
聞こえてくる会話に、心の中だけで言い返す。
佐伯さんは目立つ割に、控えめな性格だと思う。この間の社会科見学の時も、クラスの代表で挨拶することになって、こっそり練習する姿を見かけたし、挨拶する時は手が震えていた。私には、皆の期待に応えようと必死に頑張っているように見える。
それに、野村君が佐伯さんを好きなのではなくて、佐伯さんが野村君を好きなのだ。みんな、佐伯さんの近くに居るのに、気付かないのかな?
野村君は、男子と遊んでいる時が一番楽しそうだし、誰かに話しかけられて、恥ずかしそうに頬を赤らめたりしない。
そんな顔をしているのは、野村君と居る時の佐伯さんの方だ。
佐伯さんは自分の意見や、やりたいことをむやみやたらと主張したりしないけど、困ってる人に声をかけたり、誰もやりたくない事をさりげなくやってくれたりする。
私がペアやグループ学習から一人溢れるてしまう時、掛けてくれる優しい声は、一人で大丈夫と、強がる私の心を優しく抱きしめてくれたみたいに思えて、嬉しかった。
例え、あの「優しさ」が、計算された「したたかさ」でも、あの時々の私の心は救われた。
佐伯さんは、四葉のクローバーのお守りと同じくらい、小さな勇気をたくさんくれた。だから、お返しがしたかった。佐伯さんに貰った勇気を、佐伯さんの為に使いたかった。
だから佐伯さんに、お願いしたんだ。
「もし、本番で演技が出来なくなったり、声が出なくなったたら、佐伯さんが助けて欲しい」
本番前日。みんなが帰る準備をしている時、廊下に出た佐伯さんを呼び留めた。
「大丈夫だよ。頑張って来た河野さんなら、明日もきっとできるから」
佐伯さんは笑顔で勇気をくれるけれど、私は首を振って不安を吐き出した。
「でも、もし、怖気づいて動けなくなったら、今まで頑張って来たみんなに迷惑が掛かってしまう」
「もし、本番中に間違えてしまっても、野村君が助けてくれるし、私も助ける。皆だって、河野さんが頑張ってる事を知ってるから、助けてくれるよ。だから、皆を信じて、頑張ろう」
白く細い手で私の小さな手を取り、真っすぐに勇気をくれる佐伯さんは優しさで溢れていた。
「佐伯さんが一番最初に助けてくれるって約束してくれるなら、不安が消えそうな気がする」
のどの痛みのせいか、声が擦れて囁き声しか出ない。
「分かった、約束する。だから、明日、頑張ろう」
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