第10話 ドレスとおまじない 4
「河野さん。もっと声出して、動きももっと大きく」
本番まで、あと1週間に迫った練習で、私はまだ始めの頃と同じような注意を黒田君からされている。
周りのみんなから「またか」と言うような呆れた視線を投げられて、私は皆の視線と黒田君の注意で、益々身を縮める。
「はい。ごめんなさい」
喉まで縮こまり、絞り出した声も小さくて擦れている。
「駿、ちょっと休憩。のどか湧いて死にそう」
野村君が黒田君にそう言って、教室の後ろの方へ固めた机の上から水筒を取りだして、飲み始めた。
張り詰めた空気が、野村君の行動で一気に緩む。
「しょうがないな。10分休憩したら、同じとこから再開」
黒田君が、教室に居る役者たちにそう言うと、「大道具の進み具合見てくる」と言って、教室を出ていた。
私は静かにため息をつき、水筒のお茶を一口飲むと、俯いて上履きのつま先をじっと見てから、グッと両手を握りしめ、野村君に声を掛けた。
「野村君、ダンスの練習を一緒にしてくれませんか?」
背の高い野村君を見上げながら、眉を寄せてお願いをする。
「あぁ、良いけど。河野さぁ、セリフと動きは全部入ってるんだし、自信もってやればいいんだよ」
思いがけない言葉に驚いて、思わず目を逸らす。
「あ、ありがとう」
「後、声」
「声?」
「河野って普段、しゃべったり、大きな声出す方じゃ無いからか、毎日の練習で擦れてきてる。練習で声潰してたら、本番出来なくなるぞ。ちゃんとケアしとけよ」
「…うん」
私は熱を持っている喉に手を当てて、小さく返事をした。
喉は元々弱い。
風邪も喉からやって来るし。花粉症で春だけじゃ無くて秋まで喉がイガイガする。それに、毎年、予防注射をしてもインフルエンザにかかってしまうから、夏以外はマスクが手放せない。だから、この季節にマスクをしていないだけでも、喉には負担がかかっているのかもしれない。おまけに、普段の10倍以上の声を出しているのだから、喉は過労でダウン寸前だ。
「それと、いっつもガチガチだよな、体。ストレッチしてほぐしてみれば?」
野村君はそう言って、少し後ろに下がり、足を肩幅に開いて、両手を真っ直ぐ上げて頭の上で組むと、思いっきり上に伸びた。
「ほら、河野も一緒に」
野村君に促されて、同じように両手を上げて背伸びをする。
野村君はそんな私の様子を見ながら、そのまま右に身体を倒してストレッチを続けるから、私も一緒に左に倒してストレッチをした。
黒田君が帰って来るまで、色んなストレッチをしたら体が軽くなって、いつもより呼吸が楽になったような気がした。
「ありがとう。さっきよりも出来る気がして来た」
練習が再開される直前、私が背伸びをして野村君の耳元で内緒話の音量でお礼を言うと、野村君は小さく笑って頷いた。
返却日が来た古いおまじないの本を返すため図書館に行ったら、カウンターに座る黒縁眼鏡のお姉さんが、今日は茶色に見える目を向けて本を受け取った。
「マチちゃん、シンデレラ役するんだって?スゴイね」
どうして、図書館のお姉さんがそんな事を知っているのだろう?
私は驚きながら、「ありがとうございます」と言葉に詰まりながら返した。
「あら、声が擦れてるわね。そうだ、良いものがあるわ」
お姉さんは、エプロンのポケットから小さな袋を取り出した。それは掌に収まるくらいの布で出来た綺麗な緑色の袋。
「この中に飴が入ってるんだけど、喉に良く効くの。頑張ってるマチちゃんにプレゼント。これは、一日一粒だけしか食べちゃダメよ。それ以上食べたら、逆に声が出なくなっちゃうの。でも安心して、もし、間違えて二つ食べちゃったとしても、1日経てば元に戻るから」
カウンターの周りには私達以外誰も居ないけど、お姉さんはいつもより声を潜めて話すと、私にその綺麗な緑色の袋を手渡した。
「ありがとうございます」
何故か私もお姉さんと同じように声を潜めて、お礼を言った。
家に帰ってから緑色の袋を開けると、透明なフィルムに包まれた黄色の飴がいくつも入っていた。私はイガイガする喉にそっと触れると、その飴を一つ食べて味を確かめる。
甘い。でも、ねっとりとして絡みつくような甘さじゃ無くて、すっと広がって溶けていくような、軽い甘み。
甘さの後に来るのが、爽やかな清涼感。ハーブか何かかな?甘さが広がった口の中を風が吹き抜けるような爽やかな空気が広がり、優しくのどの痛みと熱を取ってくれるような感じがした。
私はゆっくりと味わいながら飴を食べ終えると、まだ少しイガイガが残る喉に手を当てて、声を出してみた。
「あー、あー、あー」
さっきよりもはっきり聞こえて、擦れて無い。
「もうこんな時間、今すぐ帰らなくてはなりません」
シンデレラのセリフを言ってみたけど、擦れたところは一つも無い。
飴は一日一粒。それ以上食べれば声が出なくなる。
きっとお姉さんは食べ過ぎないように言った言葉だろうけど、今の私には魔法の呪文のように聞こえて、私を応援してくれているように感じた。だから、飴の入った緑色の袋とポケットに入れてある小さく折りたたまれた紙を取り出して、両手でギュッと握りしめた。
大丈夫。きっと大丈夫。この飴も味方になってくれる。だからお願い、勇気が湧きますように。
私は固く目をつぶり、心から願った。
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