第9話 ドレスとおまじない 3

 土曜日の朝、あまり眠れていないのに、いつもより早く目が覚めた。

 10時開館の図書館が開くまで、まだ3時間もあるのに、私は布団の中で何度も寝返りを打ちながら、昨夜、頭の中で立てた計画を思い浮かべる。

 こんな私でも、シンデレラに立候補すれば、野村君はきっと応援してくれる。野村君は言葉や態度がハッキリしていてキツそうに見えるけど、一生懸命な人を笑ったりはしない。

 5年生で同じクラスだった時。校内のマラソン大会で、野村君は一番にゴールしてから、5年生の最後の人がゴールするまで、「頑張れ!」と声をかけて応援していた。その応援の声は、最後から2番目を走っていた私の、もう何の力も残っていなかった足を、ゴールまで動かしてくれた。

 だから、勇気を出して手を挙げよう。 

 あの人に貰った勇気を使う時が来たんだ。私がありったけの勇気を振り絞れば、きっとあの人の心にも届くはず。

 一大決心をしたのに、行動を起こすのはやっぱり不安で、もっと勇気が湧く方法を調べるため、いつも利用している図書館で本を探すことにした。

 「偉い人の言葉」「願いが叶う」「なりたい自分になる方法」と書かれたどれもしっくり来ず本棚の前で、どの本にすればいいのか選べずに立ちすくんでいた。

 「マチちゃんどうしたの?何か困ったことがあったら何でも聞いてね。どんな内容の本が読みたいのか教えてくれたら、お勧めを紹介するから」

 いつも声を掛けてくれる、黒縁眼鏡をかけた司書のお姉さんが、返却された本が積まれたワゴンを傍らに、私の隣に立っていた。

 見上げたお姉さんの目は、いつもは薄い茶色をしているのに、今日は深い緑色に見えて、少し驚いた。

 お姉さんは私のマスク越しの驚きなんて気が付かないのか。緑色の目を細くしながら優しく微笑んで、私を見下ろしている。

 「…勇気が出る本はどれですか?」

 私はその瞳に観念し、マスクの中で小さく呟いて、俯いた。

 「勇気か。マチちゃんは何のために勇気が欲しいの?」

 「気持ちを…。気持ちを行動に移すための勇気が湧いて欲しいです」

 「そう…。じゃ、この奥にある書庫の扉の前に行ってみて、きっと望みの本が見つかるわ」

 お姉さんは、俯く私の耳にそっと囁いて、別の本棚へと本を戻しに行ってしまった。

 不思議に思いながらも、言われた通りの場所に来ると、書庫の扉が開いていた。いつもなら立ち入り禁止で、扉は開いていない。だからその先には行けないはずだけど、たまたま扉が開いているだけなのだろうか?

 普段なら扉が開いていても絶対にその先には進まないのに、今日は導かれるように足が進む。図書館の一番奥にある薄暗いその場所は何だかそこだけ空気が違うような気がした。薄暗いけど怖く無くて、薄暗いのに太陽の光を浴びているような温かさを感じて、自然と奥の方まで足が進んでしまう。

 天井まで届く沢山の高い本棚は、どれも本物の木で出来ていて、古いものだと一目で分かる。古い本棚に並ぶ本は、ほとんどが外国の文字で書かれたもので、私には何の本かさえ、分からない。見上げながら通路を進むと、高い本棚が並ぶ先に、艶々と光る木のカウンターがあった。

 いつもの図書館のカウンターとは全然違う、まるで、古い外国の映画に出てくるような、カウンター。

 そのカウンターに人は見当たらないのに、何故か声が聞こえて来た。

 何時かみたいに、耳を澄ませて聞いてみる。

 「…みつ…も…のちえ…う」

 カウンターにそっと触れながら耳を澄ますと、ハッキリと聞こえた。

 「秘密を守れる者にのみ、望みの知恵を授けよう」

 男の人のような、女の人のような、大人のような、子供のような。性別も年齢も分からない声がハッキリと私の耳に届いた途端、声は聞こえなくなった。

 私は、カウンターの中を覗いたけれど、誰も居なくて。声の持ち主を探すように、本棚の間を探し回ったけれど、私が見つけられたのは、声の持ち主では無くて、一冊の本だった。

 沢山の本が並ぶ中、一冊だけ光って見えた本は、まるで私に見つけて欲しくて存在を示しているように感じたから、迷わずその本を手に取り、薄暗い場所を抜け出した。

 一度も振り返らず、その一冊だけを持って貸し出しカウンターに行くと、眼鏡のお姉さんが微笑みながら私が差し出した本を受け取った。

 「お目当ての本が見つかったみたいで良かった。それから、余計なアドバイスを一つ。

 おまじないは、同時に複数のものをすると、効果が出にくくなるの。だから、だた一つだけを願うことをお勧めするわ」

 お姉さんは、深い緑色の目で私を真っ直ぐ無ながら声を潜めて教えてくれた。そして、何にも無かったかのように「返却は2週間後ね」と言って、貸出手続きの済んだ本を渡してくれた。

 「はい。ありがとうございます」

 私はお姉さんにお礼を言うと、急いで家に帰って本を開いた。

 青よりも深い紺色のこの本はとても古くて、背表紙は色あせて英語では無い外国の言葉で書かれているタイトルは見にくい。本の中に書かれている文字も、色んな外国の文字で書かれているようで、全然読めない。それでも、一枚ずつページをめくっていると、絵が書かれたページがいくつか出て来た。その中で、私の手が止まったのは、困った顔をした女の子の胸に、空っぽに見える白いハートが描かれていて、矢印を挟んだ隣に描かていたのは、笑顔の女の子。その胸のハートは2/3程黒くなっていて、満たされていているように見える。その絵の下に、掌の半分ほどの小さな紙に「ナマエ」とカタカナで書かれた。

 これはきっと、紙に書いた名前の人に、勇気が湧いてくるおまじないだ。

 私は、勉強机の引き出しを開けて、お気に入りの四葉のクローバーがプリントしてある小さなメモ用紙を取り出した。それに名前を書いて、小さく折りたたんで手の中に握った。そして、両手でそれを包むと、心の中で強く祈った。

 「どうか、勇気が湧いてきますように」

 私はその紙を握り、あの人の笑顔を思い浮かべて毎日祈った。

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