第7話 ドレスとおまじない 1 

 「今度の芸術発表会の演劇『シンデレラ』の配役を決めたいと思います」

 6年3組の学級委員の黒田駿くろだしゅん君が前に立って、学級会を仕切っている後ろで、同じ学級委員の谷彩音たにあやねさんが黒板に奇麗な字で「シンデレラ」の配役を書いて行く。

 クラスはソワソワとザワつき始めて、みんな近くの友達とコソコソ話をしているが、私は黙ったまま一番後ろの席からじっと、黒板の配役を見ている。

 「まず、立候補する人いませんか?シンデレラから」

 黒田君はぐるりとクラスを見渡して、佐伯小春さえきこはるさんの方を見て止まった。でも、何も反応が無い事を確かめると、さっきと同じように口を開いた。

 「誰も居ないようなので、次は王子さま」

 黒田君は決めていたように、真っすぐ野村北斗のむらほくと君の顔を見た。

 「俺、やります」

 野村君は、黒田君の視線に応えるように手を上げて、クラスみんなの視線を集めて立ち上がった。

 「他はいない?」

 王子様役にピッタリのカッコイイ野村君と役を張取り合う人なんていない事は分かっているのに、黒田君は一応他の立候補者がいないか確かめた。

 「じゃ、いないようなので、王子さまは、北斗で決まり」

 黒田君が軽く拍手をしたのが合図だったように皆も拍手をして、谷さんが王子様の下に「野村北斗」とキレイな字で書いた。

 私は机の下で震えている小さな掌を握りしめながら、何度も「大丈夫」と心の中で呟いて、密かに深呼吸を何度もした。そして、目を閉じて、あの人の笑顔を思い浮かべた。

 大丈夫。勇気は充分にもらっている。後は、その勇気を声に出すだけだ。

 私は拍手が収まるのを待ち、マスクを外して、席を立った。

 「はいっ。私、シンデレラ、やりたいです!」

 手を真っ直ぐ、ピンと伸ばして。自分でも驚くくらい、大きな声が出た。

 「えっ?河野こうのさん?」

 黒田君が、驚いた顔で私を見る。

 クラスの皆も私に無言で注目する。

 小さくて、白くて、薄い。存在感の無い身体は地味で目立たず、クラスでの発言は、授業で先生に指名された時だけ。いつも、輪の中には入れなくて、ペアや、グループを作らなくてはいけない時には、最後に残ってしまう。そんな存在の私が、初めて自ら発言したのだから、みんなが驚くのも仕方ない。

 何とか声は上げられたけれど、みんなの視線が恐くて、逃げ出したくなる。でも、グッと奥歯を噛みしめてから、もう一度、精一杯の大きな声で言った。

 「シンデレラ。やりたいです!」

 私の言葉で、一斉にクラスの皆がざわつき出した。

 「何で?」

 黒田君が、まだ私の言葉が信じられないという表情で、質問をする。

 「今まで、勇気が無くてこういう事、したことなかったけど、6年生で最後だから、頑張りたい」

 もう勇気が残っていないのか、声が震えて少し涙目になってきた。握りしめている手も、短い爪が手のひらに食い込んで痛い。それでも、握った手はもっと強くに握ろうとする。

 私は黒田君に向けている視線を、佐伯さんに向けた。

 佐伯さんも驚いていたけど、私の必死な顔を見て少し微笑むと、小さく頷き、パチパチと小さく拍手をしてくれた。

 「えっ、小春ちゃん、いいの?」

 佐伯さんの前の席の市川芽衣いちかわめいさんが驚いて口を開いた。

 「だって、立候補したのは、河野さんだよ」

 佐伯さんの小さな拍手につられるように、数人が小さく拍手をすると、黒田君は、クラスを見渡してから言った。

 「じゃぁ、他に立候補がいなければ、シンデレラは、河野さんに決まりで…」

 少しの間、他の立候補を待ったけど、誰も手を挙げる様子が無いと判断した。

 「では、シンデレラは、河野さんに決定します」

 まだ、信じられないという表情を隠さないまま、黒田君はパチパチと力のない拍手をすると、野村君の時よりも明らかに小さな、まばらな拍手が私に向けられた。

 私は無事、役を得られた安心感で力が抜けたけど、体中に響く速い鼓動がまだ緊張を完全に解いてはくれない。小さな体はフワフワとしていて、夢かもしれないと思ったけれど、黒板のシンデレラの下に「河野こうのマチ」とキレイな字で私の名前が書かれて、夢じゃないと実感した。

 「じゃ、魔法使いは⋯」

 黒田君は、再びざわつき始めた中、残りの配役を決めるため声を上げた。

 みんなの役割が決まるまで、私はじっとうつむき、小さく震える手を、体を必死に抑えこみ、静かに、ゆっくりと、何度も深呼吸をした。

 黒田君がシンデレラ役に予定していた佐伯さんは、ナレーター役になった。

 主役のシンデレラは、クラスで一番可愛い佐伯さんでは無く、地味な私が掴んだんだ。

 配役が書かれた黒板を確認しながら、スカートのポケットに手を入れ、中の小さな紙きれに、心の中で「頑張れ、頑張れ」と何度も呟いた。

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