第6話 秘密の書6
「この本、役に立った?」
返却カウンターにいる眼鏡のお姉さんが、返却をした魔法の本を見て言った。
返却期限はもう少し先だけど、魔法の呪文を何に使えばいいのか分からなくなったから、返却することにした。
「はい、多分。でも、何だか、複雑な気持ちになりました」
「そう。申し訳ないけど、この本だけ、元にあった場所に戻しておいてくれないかしら?」
「えっ?私が?」
「えぇ。お願いできる?」
学校の図書室ならまだしも、公共の施設の図書館で返却した本を自分で戻したことなんて無い。でも、お姉さんはいつもの様に、にっこりと微笑んで当たり前のように本を差し出した。
「あ、はい」
不思議な気持ちで、深い緑の分厚い表紙の本を持って、目的の場所へ向かった。
一番奥にある薄暗いその場所は相変わらず、そこだけ空気が違う。薄暗いのに怖く無くて、薄暗いのに太陽の光のように温かい。
この間のように、一番奥には艶々と光る木のカウンターがあるけど、今日は声が聞こえてこない。
古くて高い木の本棚に並ぶ本は、ほとんどが外国の文字で書かれた本で、びっしりと並べられた本たちの間に、一冊分だけ空いている場所がある。光って見えるその場所は、まるで、本を返す場所を教えてくれているようだ。
私は導かれるようにその場所に本を戻した。
「ニコちゃん。ニコちゃんが魔法を使えたのは、私がその本に魔法をかけておいたからなのよ」
背中から、眼鏡のお姉さんの声がした。
振り返ると、さっきと同じように微笑んで私を見ていた。眼鏡の奥にある目の色は、今日は緑色に見える。
そして、右手には木の棒が。
「ニコちゃんがすごく真剣に魔法の本の事聞くから、つい貸しちゃった。この本の事、誰にも言わずにちゃんと返してくれてありがとう」
私は、何か言おうと口を開いたつもりだったけど、何も言葉が出てこなかった。イヤ、話そうとしても、声が出ないんだ。
「ごめんね、今、ニコちゃんには動けない魔法がかかってるの、だから、声も出ないのよ。今からさらに、この本や、魔法の事は忘れる魔法をかけるわ。ニコちゃんも知ってる呪文よ。
ここはね、私の大切な図書館で、大切な人たちの思い出が沢山つまっているの。
今は、私のきまぐれで時々開館するんだけど。普段はここにはないから、ニコちゃんが入ることはもう出来ないわ。残念だけど、ニコちゃんが魔法を使えるのはこの本を返すまでだったけど、思い通りに魔法はかからなかったみたいね。でも、恋の切実さを思い出させてくれたニコちゃんに、特別サービスしてあげる。秘めた恋を応援した女の子の事を思い出して懐かしくなっちゃった。
c私が、ニコちゃんが本当に魔法を掛けたかった相手に、掛けたかった魔法をかけておいてあげるから安心して。これからも、沢山本を読んで、いっぱい冒険してね」
お姉さんは一方的に話すと、木の棒、イヤ、魔法の杖を私に向けて振った。
「ダガ―シ アンクエ パナート!」
杖の先から綺麗な光が出て、私を包んだと思ったら、一瞬体が宙に浮いたようにフワッとなった。
「ルイベージ ドンテ ミクラート」
そう聞こえたと思ったら、暗闇が訪れた。
突然の停電に、私は怖くなって、手探りで辺りを探った。
何も無いと思っていたところで何かが手に当たった。感触は、何か布の様な感じ。
パッ。
真っ暗闇だったのに、急に明かりが点いて視界がぼやけた。
私の手が掴んでいる物が確認できると、それは青いパーカーの胸の辺りだった。
「あ、青空君」
顔を上げて確かめると、青空君が着ている青いパーカーの胸を、ギュッと掴んで向かい合っていた。
「ニコ、大丈夫?」
服を掴んだ手から伝わってくる青空君の鼓動は、早かった。
「あ、ごめん」
急に恥ずかしくなって、手を放して横を向いた。
「ビックリしたな、停電」
「うん」
「そう言えば、この間も、停電があったらしいよこの図書館」
「そうなんだ」
「うん」
何だか、青空君の顔がまともに見られなくて、さっき手に伝わって来た青空君の鼓動と同じ速さで、私の鼓動が脈を打つ。
「青空君が図書館って、意外だね」
「そうか?でも、ニコはよく来るんだよな」
「うん」
何で知ってるんだろう?青空君とここで会う事ははとんど無いのに。
「この間、久しぶりに本読んでみたら面白くって、最近読書にハマってるんだ。何か、面白い本があったら教えてくれよ」
青空君の意外な言葉に驚いて、逸らしていた顔を見上げた。
真っすぐで強い青空君の視線は、いつもの、からかって来る目とは全然違って、素直な気持ちがちゃんと伝わった。
「うん、いいよ。私のおすすめ教えてあげる」
私も素直な気持ちで応えると、最近読んでワクワクした本を思い浮かべた。
「こっち」
私は、青空君の青いパーカーの袖をつかんで、カウンターの近くにある児童書の本棚の方へ引っ張って行った。
「ニコちゃん。走っちゃダメよ」
眼鏡のお姉さんに注意されて、自分が走っている事に気が付いた。
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
青空君と二人、同時に謝った。
それが可笑しくて、顔を見合わせて笑った。
「しー」
お姉さんも悪戯っぽく微笑みながら、口の前で人差し指を立てて、また注意をした。
「そうそう。ニコちゃんが好きな、『魔法の杖』シリーズの最新刊が入ったわよ。新刊コーナーも覗いてみてね」
お姉さんはそう言って、奥へと消えて行った。
「『魔法の杖』?」
「うん。魔法使いのお話で、10冊も出てるすっごく面白いシリーズなの。おばあちゃんが小さい頃に始まったお話らしいんだけど、今も続いてるくらい人気なんだよ。その本に出てくる魔法使いが住んでる森がね、私のおばあちゃんが住んでる家の近くにある森に似てて、毎年夏に行くのが楽しみなんだ」
何か、ワクワクとドキドキが一気に来て、自分のテンションがいつもと違う。
何かに悩んで、落ち込んでいたと思ってたけど、それは勘違いだったのかな?
お勧めの本を指さして教えている、自分の右手の人差し指を見た。
見慣れた指は、爪が少し長くなっていた。
家に帰ったら切らなくちゃ。
魔法の杖が描かれている緑の表紙の本を抜き取って、青空君に渡しながら、そう思った。
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