契約

「母さん。俺、プロの探索者シーカーとアイドルをやることになりそうなんだけど」

「璃勾がやりたいならやればいいと思う」


 母さんは「帰ってきたらまた成長していた息子」に驚きはしたものの、孝志さんと律さんからのスカウトに関してはすぐOKしてくれた。

 何日か経って、孝志さんが偉い役職についている大きな会社に行って、そこで月詠先輩、それから柊、あとそれぞれの親と話を聞いた。


「ダイブにあたっては多少の危険が伴います。もちろん、相応の報酬をお支払いしますが、親御さんにはご了承をいただきたく」

「それはこの子をあの学校に入れた時点でわかっていたことですので、覚悟しています」


 探索者はエネミーから世界を守る存在だ。

 警察が中の治安を維持するなら、探索者は外の敵を退治する。

 人の役に立つ職業という意味でも人気があるし、収入の面でも大きい。


「安全な職業なら他にもあるけれど、生活の豊かさは結局お金で買うものでしょう? なら、お金はあるに越したことはありません。だったらこの子のしたいようにさせればいい。私はそう思っています」


 柊の親も了承してくれた。

 娘に似てふわっとした感じのお母さんは、


「茉莉ちゃんがプロになるのは私にとっても夢でした。しかも、アイドルにしてもらえるなんて、こんないいお話はないと思います」


 これに柊は照れくさそうに笑っていた。



    ◇    ◇    ◇



 孝志さん、というか先方の会社から提示された俺たちの役割は二つ。


『企業所属の探索者として定期的なダンジョン攻略を行い、ダンジョンの減少に努めること』

『芸能プロダクションと連携を取り、企業および探索者全体のイメージアップ活動を行うこと』


 律さんのプロダクションからも正式にスカウトが来た。

 二つ目の案件については孝志さんたちからプロダクションに業務委託するような形になる。律さんたち側は一定のお仕事と収入が約束されて俺たちを雇いやすくなる。

 俺たちは今までと同じダンジョン攻略の報酬に加えて契約料、プロダクションからの給料が出るうえ、装備の補助なども受けられるようになる。


 今までと同じくらいの難易度とペースを維持したとして、一月に入ってくるお金は、


「こ、こんなにもらっても使い切れないよ!」


 と柊が悲鳴を上げるほどだった。

 もちろん、ある程度のお金は家に入れることになるだろう。

 学費とか生活費もあるし。たくさんありすぎても使い切れない。


 というわけで、うちの家と柊の家はOKしたんだけど、






 大丈夫って言ってた先輩の家は大丈夫なんだろうか。


 初めて会った先輩のお母さんは、先輩から親しみを削って貫禄を足したような人だった。

 見るからに高そうな着物でやってきた彼女は言葉数も少なく説明を聞いていた。

 芸能プロダクション代表として来た律さんはめちゃくちゃやりにくそうだった。


 そして。


「そのアイドル活動というのはどうしても必要なことなのでしょうか?」


 ある意味もっともなことをここに来て尋ねた。


「国を守り世界を守る探索者の仕事はとても素晴らしいと思います。けれど、大衆に笑顔を振りまき金を巻き上げるアイドルに同じだけの意義がありますか?」

「それは違います」


 律さんはきっぱりと反論。


『姉妹喧嘩ならよそでやってほしいんだけど』

「アイドルは人に夢や希望を与える職業です。人に日々頑張る力を与えることは、国を守ることに同じくらい価値があることです」

「……律さん」


 別に単に可愛い女の子に目がないわけじゃなかったんだな。

 あと、金儲けのためってわけでもなさそうだ。

 感心していると、先輩のお母さんは「ふん」とばかりに息を吐いて。


「わかりました。ですが、国のためにならない活動と判断した際は厳重に抗議しますのでそのつもりで」

「ご理解いただき誠にありがとうございます」


 なんとか無事に終わったか……?


 それぞれの親が契約書にサインする緊張感のある場面があって。

 俺たちは無事、プロの探索者兼アイドルということになった。

 もちろんすぐに活動開始するわけじゃない。

 打ち合わせとか研修があるのでまずはそのあたりを進めていく形になるんだけど、


「では、後はご本人たちと話を進めさせていただきます」


 と、ここで母さんたちは先に帰ってもらう流れになった。

 詳しい仕事の話とか本人以外にしても仕方ない、というのはわかる。

 でも、なにか他の意図があるような気がして少し疑問に思う。


 でも先輩は特になにも言わず、むしろ暗に母親に行動を促すような態度を取った。

 契約書の写し(これも電子証明書と偽造防止のついた電子データだ)を母さんたちが握っている以上、会社側も無茶なことはできない。

 親が部屋を出て、律さんがほっと息を吐いたところで、


「では、わたくしの出した交換条件を果たしていただけますか?」


 率直すぎる申し出。

 柊が「交換条件?」と首を傾げるのになんと説明したものかと考えているうちに、


「いいでしょう。では、場所を変えましょうか」


 会社の応接室。

 十分落ち着いた場所だと思うのだけれど、孝志さんに案内されたのはさらに輪をかけて奥まった、限られた人しか入れないエリアだった。

 選ばれた部屋には特になんの電子タグもついていない。

 一見すると空き部屋にしか見えないそこに、孝志さんは自分の社員コードによる認証、網膜認証、指紋認証、さらにパスワードの入力を行って俺たちを招き入れる。


 ちなみにここまで連れてこられたのは俺と柊、それから先輩だけだ。

 律さんは「深入りは止めておくわ」と言って応接室に残っている。


 ドアが閉ざされるともう、廊下とは音的な意味で遮断される。

 トイレのアレと似た原理。壁やドア自体が微細な音を発することで防音効果を上げる技術のおかげだ。


「ここまでしないといけないほど重要な話なんですか……?」

「ええ。これからお話する事は関係者でもごくごく一部しか知らない事実です。もし口外すれば比喩ではなく、一生家に帰ることはできないと思ってください」

「っ」


 柊がびくっと身を震わせる。

 俺は苦笑して「言わなきゃいいだけだよ」と彼女を宥めた。


「情報を狙う悪の組織に狙われるとかもないだろうしさ」

「もしそのような事件が発生したとしても、皆さんに接触した時点で検知されて警察が動くでしょう」


 組織メンバーの行動もすべて追尾されてあっという間に捕まる。

 国内のどこにいても利用できるようなネットワークを誤魔化すには馬鹿みたいな技術が必要だ。むしろそれができるような奴はダンジョンよりもやばい。

 柊が若干ほっとした様子を見せる中、先輩はぴりっとした態度を崩さず。


「教えてください。この世界の真実を。ダンジョンとは本当はなんなのかを」

「え? ……ダンジョンはダンジョンじゃないんですか?」


 電脳世界に生まれるバグのようなもので、中にはいって潰すことで修正できる。

 俺の疑問に、孝志さんは少し迷うような表情を見せてから応じた。


「疑問に思ったことはありませんか? 現代社会はどうやって『完全情報化』を実現したのか。そして、ダンジョンに徘徊する『エネミー』とはなんなのか」

「それは」


 ぶっちゃけ、そういうものだとしか思ってなかった。

 隣にいる柊も「考えたことなかった」という顔をしている。

 そんな中、先輩は、


「璃勾さんや柊さんは聞いたことがありますか? 『北海道』『四国』『九州』『沖縄』。日本に存在したそれらの地方の名前を」

「……まさか、そこまでご存知でしたか」


 孝志さんは額に汗を浮かべた。


「どうやって監視の目を逃れたのでしょうか。……存在すら秘匿する形で代々秘匿されてきた擬似ダンジョン、と言ったところでしょうか」

「待ってください。なんですかその地方って」


 本州には東北とか関東とか関西とかがあるだけで、そんな名前聞いたことも。

 ……『本州』?

 それで日本全体なら『本州』とか言わずに『日本』で良くないか? 敢えて別の言い方をしている理由は、


「日本は、本当は俺たちが知ってる形じゃない……?」


 海にぽつんと浮かぶ大きな島を俺は思い浮かべて、


「そうです。これが『本来あるべき』日本の姿」

「っ!?」


 俺と柊は初めて見る地図データに驚きの息を漏らした。

 本州の傍に浮かぶいくつもの島。


「『北海道』をはじめとする日本の各地方は現在、この世界からしています。完全にダンジョンへ呑み込まれたまま、データとしての無を保っているのです」


 島がまるごと、ダンジョンに呑み込まれる。

 人も、物も、取り込まれたままになっている。

 無ってなんだ。

 それじゃまるで、解放されるまで帰ってこられないだけじゃなくて。


「……あの、えっと。待ってください。ダンジョンってそこまでやばいものなんですか? ダンジョンっていったいなんなんですか?」

「『現実』です。『完全情報化社会』に取り込まれることに抗う『物質社会』からの干渉。それを我々はダンジョンと定義し、呼称し、人々が理解しやすく翻訳しています」


 孝志さんからの回答はあまりにも冷たく、事実だけを伝えてきた。

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