特殊なタイプのコミュ障

「……少し休憩しましょう」


 先輩の声が心なしか硬い。

 冷蔵庫からジュースを渡してくれるのを、俺は「ありがとうございます」と言って受け取った。

 缶がぷし、と音を立てて開き、炭酸の気持ちよさとほのかな甘さが喉に流れ込んでくる。

 ほっとするのを感じながら、俺は尋ねた。


「先輩の式神は何体いるんですか?」


 ペットボトルのお茶に口をつけていた先輩はこっちを振り向かずに答えた。


「雪と華を含めて四体です」

「全部同時に出せるんですか?」

「……ええ」


 マジか。

 それは想像以上だ。華だってあれで本気じゃないのに、あと二体。


「じゃあ、俺、めちゃくちゃ頑張らないと追いつけませんね」

「……え?」


 先輩が、ぽかん、とした顔で俺を見た。

 なにか変なこと言っただろうか。


「だってそうじゃないですか。雪はまあ、なにもしないとして。あと三体いるわけでしょう?」


 なー、と怒り声を上げた白猫に髪を引っ張られるけど、とりあえず無視して。


「じゃあ少なくとも三人分は働かないと先輩には敵わないじゃないですか。燃えます」


 上には上がいる。

 レジェンド級のスキルを持ってるからって「俺、最強なんじゃね?」とか調子に乗っていたのかもしれない。

 八条たちに一回勝って、暫定的に学年最強になったからって、それだけで上級生に勝てるわけじゃない。

 もっと強くならないと。

 もっと、もっと強くなれる。


「先輩が許してくれるなら、もっと実践経験を積みたいです。いろんな敵と戦って、もっと強くなりたいです」


 先輩はまだぽかんとしている。

 黒い瞳が俺を、なにか変なものを見るように見つめて。


「……わたくしとの攻略が嫌になってしまったのではないのですか?」

「いえ、全然」


 そっか、それを心配していたのか。


「一回一緒に戦ったくらいで嫌になったりしませんよ。俺にとって先輩は憧れですし、高校生の先輩にそう簡単に追いつけるわけないじゃないですか」


 歳が違うっていうのは良かったかもしれない。

 同級生にこてんぱんに負けたら俺だって悔しい。嫌になってしばらく戦えないかもしれない。

 でも、俺は高校一年生までに今の先輩に追いつければ計算が合う。

 もちろんそんなに時間をかけないつもりだけど。


「頑張って、いつか、先輩の隣に立てるのは俺しかいない、って言われるようになってみせます」


 笑って言うと、雪が「そうだそうだ」とでも言うようになーと鳴いて。

 きゅっと唇を結んだ先輩が俺の身体を抱き寄せた。


「わっ」


 危うく缶を落とすところだった。

 ぎゅっと抱きしめられた俺は先輩のすっきりしたにおいと柔らかさを感じた。


「……先輩」

「本当に、わたくしはだめですね」


 後頭部を押さえられているせいで顔が見えない。

 雪はいつの間にやら飛び降りて床に立っている。


「自分でも『プライドが高すぎる』とわかっているのです。けれどどうしても、自分の能力を制限されるのも、妬まれ皮肉られるのも我慢できない」

「なにか、嫌なことを言われたんですか?」

「言われました。強すぎる。反則だ。お前一人いれば十分じゃないか。澄ました顔が馬鹿にしているみたいだ。……他にも、たくさん」


 ひどい話だと思った。

 別にその人たちも先輩に嫌がらせをしたかったわけじゃないかもしれない。

 単に自分の力のなさが悔しくて、自分が努力してこなかったみたいに思えて、つい言ってしまったのかもしれない。

 先輩に悪いところがなかったわけでもないかもしれない。

 それでも。


「俺はまだまだ諦めませんよ。ダンジョンで活躍して有名になりたいですし」


 俺は、そいつらとは違う。

 簡単に諦めたりしない。もっともっと強くなる。

 決意を胸に告げると、先輩はようやく話してくれて。


「本当ですね? ……嘘をついたら承知しませんよ?」

「嘘だったらハリセンボン飲みますよ」


 ん? 魚じゃなくて針を千本だったか? ……まあいいや。

 見上げると、黒い瞳が涙で潤んでいた。

 可愛い子に涙は似合わない。そう思ってたけど、先輩みたいな綺麗な人は泣いていても綺麗だ。

 右手の指が俺の唇にそっと触れて。


「約束、しましたからね?」


 澄んだ、川の水のような声の奥底に、煮えるマグマみたいな熱を感じた。

 なんだこれ。

 先輩は涙を止めて、すごく綺麗に微笑んでいるのに、俺はなぜか背筋に寒気を感じた。


 もしかして、なにか間違ったか?

 けど、なにを間違えたのか本格的にわからない。……決意表明しただけだよな、俺?

 違和感の嵐に混乱している間に部屋の空気は元に戻って。

 先輩はソファに腰掛けながら。


「では、明日からもお願いしますね」

「はい。……え、あの、はい?」


 明日からって、ひょっとして毎日か?

 いや、そのくらいは問題ないというか、平日は毎日通うくらいのつもりでいたけど。なんか土日含めてそうな気がする。

 まあ、毎日実戦経験が積めるなら、


「姫宮さんの時間割も教えてください。体育の授業が終わった後なら授業中に呼び出しても問題ないでしょう?」

「え、授業中にダンジョン潜るんですか?」

「高等部では普通ですよ? わたくしは午前中に座学を詰め込んでいるので、これでも勉強に時間を割いているほうです」


 高等部は探索者クエスター、武器製作等のクリエイター、ダンジョンやスキルの研究など、みんなそれぞれやりたいことが違うので、時間割を自由に組めるようになっているらしい。

 取った授業も課題や試験をこなせば単位がもらえるし、探索者志望ならひとつも授業を取らなくてもダンジョン攻略で成果を挙げれば卒業できる。

 必要なら授業をサボってダンジョン潜ってもいいし、先輩の場合、午後は空いているので昼飯後は普通に潜れることになる。


「でも俺は授業ありますし」

「? 初等部の授業なんて自主学習で進めるほうがむしろ効率的です。苦手な生徒に合わせていたら時間がもったいないですよ?」

「それは。……確かにそうですね?」


 ダンジョン攻略のためなら欠席にもならない。

 まあ、俺はどっちかというと、やる気の問題もあって「苦手な生徒」に入っているのがアレだけど。

 にっこり。

 やけに上機嫌な先輩に手招きされて隣に座ると、どういうわけか雪は近づいてくるどころか部屋の隅まで逃げやがった。

 え? 機嫌悪いのか? そういう風にはぜんぜん見えないけど。


「安心してください。なんでしたらわたくしが教えて差し上げます」

「え、いいんですか?」

「ええ。可愛い後輩のためですから、それくらいお安い御用です」


 これは普通にご褒美だろ。

 先輩からしたら小学校の内容なんて楽勝だろうし、ダンジョン攻略のためだと思えばやる気も入る。

 クラスの男子とか、先輩と二人きりで勉強って聞いただけで羨ましがりそうだ。

 俺はわくわくしながら「是非お願いします」と答えた。


「決まりですね」


 そこで、蜘蛛の糸に絡め取られるような感覚。

 ……優しくされているはずなのに、どんどん逃げられなくなっているような。


「土日はどうしましょうか。ここに集まっても、遠隔でも構いませんけれど、一日一回はダイブしておきたいです」

「お互い予定をすり合わせながらのほうがいいですね」


 あ、わかった。

 先輩、人付き合いは苦手というか、知り合い相手には礼儀正しくできるけど、仲間相手だとぜんぜん遠慮がなくなるタイプだ。

 真面目な反動で好きなだけぐいぐい来る。

 仲良くなれば仲良くなるほど、その、なんていうか、暑苦しい感じになる?


 まあ、俺はあんまり気にしないけど。


 それから、俺は『毎日』先輩と一緒にダイブすることになり。

 真面目な先輩は「ちゃんと勉強もしましょうね」と手を抜かせてくれないものだから、さすがに俺でも「早めに慣れないときついな」と実感した。

 勉強がなければかなり楽なんだけど。


「……でも、思ったよりというか、前より勉強も楽な気がするな?」


 ふと気づいて呟くと、雪が「やっと気づいたの?」とでも言うように、なーと鳴いた。

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