第十九話ークリスマス会の後二~思春期と大人~ー
どちらの腹の虫かわからない音がした。確かにオレも昼ご飯を食べていないし、夏芽にいたっては今起きたところだ。
「軽く食べて、夏芽の家でくつろがない?」
「むー」
『夏芽の家でくつろがない?』と言ったのは、正直な話、付き合いだしてから、二か月近く経っているが、常時、学校か、オレの家にいるので、一度も夏芽の家にあがったことがないので、行きたい思いと、忠さんがもう待ちぼうけてそうなイメージがあるので、夏芽に本来の家に帰ってもらう思いの二つから提案したのだ。夏芽はスマホを見て、嬉しそうな顔をしたと思ったら、夏芽の機嫌がさらに悪くなっていく。機嫌が悪くなると言っても……、
「広瀬くん」
ホントにこれ、本気で怒ってるときのトーンだ。でも、なんで……? もしかして、オレの提案の意図がバレている……?
「広瀬くんが作ったチャーハンが食べたい」
「朝ごはんにチャーハンって重くない?」
「ふーん、朝からカレーよりはマシです」
オレが何言っても、夏芽の声のトーンがどんどん低くなる。こんなに声のトーン低くて機嫌が悪い夏芽はこの夏芽と出会って三か月くらいの間に見たことがない。そのうちの二か月ほどの夏芽が居候している間、この家に夏芽専用の部屋ができた。
最近、母さんから聞いたのだが、オレが中学三年生の二学期の中間テスト近辺には、大阪に引っ越すことは決まっていて、この家を建てている最中だった。ホントはオレが高校に入学すると同時に大阪に引っ越してくる予定だったが、工務店の納期が少し伸びた関係であったり、斉藤理事長とのやりとり、ただ、この時点ではオレの宝賀の編入試験ではなく、父さんの採用試験の関係で夏休みまで時期がずれた。なお、オレの編入試験と同時に行った父さんの面接は、実は、契約書類の押印とかだったらしい。引越しが終わって、母さんが『二階建て!! 一階はお母さんの階!!』と言っていたが、明らかに二階に一部屋多かった。なぜか、その一部屋多かったところに母さんが独身だった頃のベッドとか家具を置いていた。そこが今の『夏芽の部屋』だ。父さんは『交際は認める。学校での寝泊まりも認める。ただ、この家に一ヶ月以上は泊められない』と言っていた。母さんは『いつまでもいていいよ』と言っていた。母さんは自分の独身の頃の家具を使う人がいなくてかわいそうだから、夏芽にこの家にいる間だけでも、使ってほしかったかららしい。実際のところはというと、母さんは夏芽を実の娘のようにかわいがり、時には厳しく叱ったりもしていた。母さんがなぜ、夏芽を叱ったかというと、夜はオレは夏芽の部屋に入らない、夏芽はオレの部屋に入らないという条件で父さんも夏芽の宿泊を認めたので、それを破ろうと打ち合わせしているのがバレた時だ。その時はオレも正座させられて怒られた。母さんは二人が恋人だから、そういうやましい関係のことをする話だと勘違いしたからだ。実際のところは、夏芽が苦手な歴史の単語の覚え方を後で部屋でゆっくり教えてほしいとかそういうやましいことはほぼなかった。ここでミソなのが『ほぼ』ということだ。
というか、さっきの夏芽の『ふーん、朝からカレーよりはマシです』の発言。
なんで、朝からカレーになるんだ?
「さ、さ、寝巻から着替える」
夏芽をその母さんが独身時代に使っていた家具の部屋、今日まで夏芽の部屋に誘導した。
「チャーハン」
「作る、作るから」
オレは夏芽に言われるがままに、チャーハンを作る用意にリビングへと降りた。リビングには母さんの秘伝でもないけど、独自に考えたレシピメモが置かれていた。近くに夏芽の文字のメモ用紙もあった。きっと昨日の夜、母さんと夏芽が手料理の話していたのだろう。母さんの文字で夏芽のメモに『迅の得意料理、wireで明日の朝に送る』と書かれていた。ただ、夏芽のメモの量は昨日の深夜の分だけではない。きっと、この二か月のうち十日以上は、母さんの独自のレシピの話を夜にしていたのかもしれない。
おっと、これ以上、ここで、夏芽のメモを見ているのがバレたら、夏芽の機嫌が地の底まで行きそうだ。
「でも、なんで、チャーハンなんだろう……?」
母さんがもう夏芽にwireでオレの得意料理と思うものを送っていたのだろう。さっき、一瞬嬉しそうな顔をしたときは、そのwireを見た時かもしれない。チャーハンを作るために、ご飯を冷蔵庫から出して、五目炒飯の素をパントリーから出そうとした。ふと、さっき見つけた、夏芽が母さんとの深夜の手料理トークしていた時のレシピメモのことを思い出した。
「母さんの味にチャレンジしてみようかな……」
確かに、オレは小学校高学年の頃から、母さんが不在時に、よく素を使ったチャーハンを作っていた。ただ、どうあがいても母さんが作った鮭フレークチャーハンには及ばなかった。中学三年生の受験が近い頃、母さんも父さんも不在で、一度だけそのチャーハンにチャレンジしたけど、醤油を入れすぎたりで、レシピを聞いていなかったから、ずっと塩を入れていると思い込んでいたので、岩塩を入れてとても辛かったのを思い出した。確か、この時、料理中に久賀が『受験、頑張ってください』とお守りと偏差値六十以上ある高校の赤本を持ってきた。『ありがとう』と受け取って、『チャーハン作ってるからあがってちょっと味見してほしい』と言って、食べて、『しょっぱいー水、水ー』と言われた記憶がある。
この日から大阪に引っ越した日までずっと久賀から、ゲームのライフおねだり以外の連絡は途絶えていた。
「あの時とは違うんだ」
高校入ってから、母さんは鮭フレークチャーハンにとある薬味を追加した。それはネギだ。冷凍庫を開けて、カットネギを出した。
「二人分だから、いつもの倍だよな、具材は」
卵をボウルに溶いた。さぁ、料理スタートだ。ご飯をフライパンの上で温めて、ほぐしていった。そこに鮭フレークをけっこう多めにふりかけた。ネギってどのタイミングだったけ? と思っていると夏芽が私服に着替えてリビングに来た。
「お義母さん、おはよー」
「悪い、オレだ。母さんは多分、仕事の打ち合わせで出かけてる」
「迅くんのチャーハンだったね、朝ごはん、ごめんね、わたしのワガママ色々聞いてもらってるのに」
声のトーンも戻っているし、オレの呼び方も『迅くん』だから、機嫌はもどったんだろう。
「広瀬くん……」
「はい!!」
「見た?」
また、呼び方が『広瀬くん』になっている。なんか今日の夏芽、朝から情緒安定しないな。
そして、おそらく、何を見たかは、レシピメモだろう。
「軽く見たよ、ごめん」
夏芽は素を使ったチャーハンを作っていると思っていたらしく、鮭フレークやネギが出ているのを見て、びっくりしていた。
「もしかして、迅くん、お義母さんのレシピのシャケチャーハンを作ってくれるの?」
「ん、まぁね」
「ありがとう、迅くん、大好き」
『大好き』と言われて、自分の顔が赤くなるのがわかった。夏芽に『好き』と言われるのは、日常茶飯事だし、オレも『大好きだし、愛している』、昨日言った言葉にウソ偽りはない。ただ、やっぱり照れてしまうのだ。返事を聞く前に、夏芽は近くでオレの料理さばきをみている。
要領がいいとは絶対言えない。
「オレも夏芽が大好きだ」
「そっか、迅くんのはじめては私にくれるんだ」
「な、夏芽さん? まだ、昼だよ?」
「あ、ごめん、そういう意味じゃなくて、こう、手料理の味見とか、一緒に食べるのとか」
「……」
「どうして黙るの?」
まさにさっき、思い出したことを話すか悩む。久賀は夏芽のことを『親友』と言っていたし、きっと夏芽も久賀のことを同じように思っているだろう。
それなら、別に言っても大丈夫だろう。
「それがさ、オレが中学三年の時に、久賀に味見してもらったことがあるんだ。ま、その時は大失敗でさ」
話しながらチャーハンを作っているので、ずっと近くにいる夏芽を見ているわけではない。そこまで料理に慣れていないので、基本的にはフライパンを見ている。
「なんで……なんで……。わたしはこんなに迅くんが好きなのに、迅くんはいつもいつも他の女の子、しかも、わたしの知っている子と先にその経験があるの……」
『なにか言った? できたよ』と声をかけた。
「迅くん、後ですごくすごく大事な話があります」
「うん」
その後は何事もなかったかのように、二人で味の感想やいろいろと話した。
「ごちそうさま」
当たり前だが、料理したらいろいろ洗い物が出る。オレの家には食洗器があるのだが、まだ一度も使っていない。そのため、基本的に朝ごはん以外は終わったら、すぐ洗い物をする。台所はけっこう広いのだが、食器を置くスペースが狭いので、洗っては拭いて、直してを繰り返す。
今日は夏芽と二人でやっていた。
「もしさ」
「何?」
「このままうまくいってさ、結婚とかしたらさ、こうやって二人で協力して生きていくんだろうな」
「……そう……だね」
「夏芽?」
「ん? 何もないよ」
オレは幸せそうに、いや、この時は幸せだった。ただ、それが故に夏芽がなにかに悩んでいるような気がした。悩みがあるなら、それを聞いて解決するのも、彼氏の役目のひとつだろう。
洗い物がだいたい終わった。フライパンを洗い終えて、夏芽も拭き終えていた。
「そういえば、さっき言ってたすごくすごく大事な話って何?」
「わたしの……
幸恵さんとは母さんの名前だ。さっきまで『お義母さん』と呼んでいたのに、急にどうして名前呼びに変わったんだろう。そして、これまでずっとその部屋のことは『わたしの部屋』と言っていたのに、そこの呼び方も変わっている。夏芽は『歯を磨いたりとかするから、部屋に来てほしい時にwireする』とだけ言って洗面台へと歩いていった。
それから、数分して夏芽から、『来て』とwireが来た。
夏芽の部屋をノックして入った。
無臭だったこの部屋にいつの間にか女の子というか夏芽のにおいが染みついている。オレ個人的にはこの匂いはすごい好きだ。いや、別に匂いフェチというわけではない。
夏芽は持ってきた荷物をまとめ、ベッドに座っていた。
「大事な話って何?」
「……れ…よう」
ぼそっと夏芽が答えたが、わからなかった。
「え?」
「わかれよう」
淡々と夏芽の口から、今もこれからもずっと聞きたくないセリフが聞こえた。
「……ど……し……て?」
今度はオレがうまく言葉にできない。
「迅くんには、わたし以外の女の子が、例えば、麻実センパイであったり、梨絵の方が、あと、夏美センパイが日辻さんと付き合っていなかったら、ここに名前を並べたいですけど、お似合いだと思うんです」
「……」
「だって、全部、もう経験してるじゃないですか」
「……」
正直、ここで何か言わないとホントに別れることになりそうな気がした。でも、それ以上に夏芽はまだ、言いたいことを言いきれていないのが丸わかりだ。
「初恋も、お祭りも、手料理の試食も、デートも……」
「……」
さすがに反論しようと思った。以前、麻実さんに話したように、初恋は小学生の頃から中学生の間だ。それは夏芽にもだいぶ前に話した。お祭りはオレから麻実さんを誘ったし、多奈川さんに一緒に周ろうと声をかけたのもオレだ。そして、さっき、話したように手料理の試食も、家族以外で頼んだのが人生初なのは久賀だ。
ただ、言えるのは、初恋以外は誰にも恋愛感情はなかった。
でも、オレの口から出たのはその言葉ではなかった。
「……違う」
「何が違うんです?」
「確かに、その辺は経験している。それは人生一年先に生きていれば、経験するかもしれないし、しないかもしれない。それはよくいう個人差だ。でも、オレの中で初めての経験は、夏芽からもたくさんもらっているんだ」
「……例えば?」
「今みたいに、一つ屋根の下で好きな子と一日中一緒にいることとか、ここまで本気で人を好きになるのも、『大好き、愛している』と思ったのも、夏芽だけなんだ。できたら、これからもずっとそう思いたいんだ」
「でも、私は……」
「もし、もう夏芽の中に……」
「待って、先にわたしの言いたいこと言わせてください。わたしは迅くんと違って全部初めてなんです。人を好きになるのも、ずっと一緒にいたいと思ったのも、でも、ダメなんです、これ以上は……」
「大丈夫だよ。でも、もし、もうオレへの愛……愛でなくてもいい、『好き』でもいい、そういった感情がないなら、オレはこれ以上……」
オレはかなり強がって、もう夏芽にオレへ想いがなければ別れを受け入れる。いや、無理にでも受け入れなくてはならないと決意した。
でも、ダメだ、夏芽と別れるなんて嫌だ。考えるよりも先に目頭が熱い。でも、この感じだと今日いきなり好きという感情がなくなったわけではなさそうだ。もしかしたら、クリスマス会の本音やそれまでのやりとりも『ウソ』だったのかもしれない。
もし、そうなら一年先に生まれているオレよりもずっとずっと夏芽は大人じゃないか。
「……なんで……迅くんが泣くんですか……」
今のオレは夏芽の彼氏である前に、一人の男であり、人間である。そして、思春期という感情が不安定になりやすい年頃だ。
「ごめん」
「わたしだって、わたしだって……」
きっと、この後、夏芽はオレのことをどう思っているか言いたいのだろう。お互い、言葉が出てこなくて、泣きじゃくっている。彼氏であるオレが夏芽をなだめるべきだろう。しばらくして、お互い少し落ち着いた。
「ごめん、迅くん、別れようはなしにしよう」
オレは思わず感情が爆発して、夏芽を抱きしめようとした。しかし、力の配分を誤って、夏芽をベッドに押し倒すような形になった。
「ごめん、すぐ離れる」
「……、いいよ」
夏芽は目を閉じて、唇をとがらせた。
それって、そういうことだよね……? 静かに唇を重ねた。お互いのホントの気持ちを理解するように優しく、そして、長く、これからも仲良くしたいという感情やほかにもある様々な感情が入り乱れたような熱いキスだった。
正直、この先もしたいと思った。でも、もしかしたら、そうすると妊娠する可能性がある。身体的にそうなる可能性があっても、そうなってしまっては責任はお互い取れない。それを防ぐための道具も世の中にはある。でも、未成年だから買えない。それに世間はまだそれを許してくれない。そして、夏芽はオレの首元に手を回してきた。その間も唇はずっと重なったままだったので、オレは息がだいぶ長い間止まっていた。少しいい感じに唇を少し離した。
「もっとしよう」
このキスの間ずっと息を止めていた関係上、息が少し荒かった。
「ちょっと待って」
夏芽はオレの首元に回していた腕を解放した。
「いいよ、最後までしよう」
「ちが……違わなくないけど」
このままだとホントに最後までしそうなので、少し落ち着くため、夏芽から離れた。
「あぁ、ちょっと待っててね」
夏芽はポンと手を叩いて、ベッドから立ち上がり、服を脱ぎ始めた。さっきのキスで息が荒くて、まだオレは呼吸が落ち着かない。というか状況を見て急いで夏芽を止めないといけないことに気づいた。早いことに夏芽はもう産まれた時の姿に大事な部分を布で隠している状態だった。
「……迅くんと言ってもこれ以上はまだ恥ずかしいから」
「すとっぷ、ストップ!!」
「え?」
ほぼ全裸で棒立ちの夏芽を今度こそ、しっかり抱きしめて『大丈夫、そこまでしなくても夏芽の思いは伝わったから。オレ……相手が彼氏と言っても自分を大事にして』と耳元でささやいた。夏芽は、自分の行き過ぎた行動を思い返したらしく、顔を真っ赤にしていた。
「ごめん、迅くん」
「うん、ま、とりあえず、服着て。南商店街まで送るよ」
「ありがとう」
この後、夏芽と恋人繋ぎで南商店街まで送るつもりだった。夏芽の部屋を出て、自室に戻った。よく考えれば、最低限の衣類と言っても、冬だしけっこうな大きさのあるキャリーケースを持ってきていたのだ。それを運ぶとなると、恋人繋ぎはできないし、けっこう距離がある。南商店街付近のバス停がある路線バスが出ている。それに乗ればいいか、と気付いた。
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