第4話
4
「お邪魔しま〜……」
ま〜、まで言って、俺は止まった。固まった。
藤瀬の下宿先は、大学から徒歩2分の、オートロックでエントランスがすげえゴージャスなワンルーム賃貸……ではなく、なんと分譲マンションだった。本人に聞けば、「買った方が安いって親が言ってた」ということだ。金持ちの考えることは分からん。なんでも、卒業した後は不動産として誰かに貸して家賃収入を得ると言うことらしい。
で、俺が玄関ドア一歩踏み出して止まっているのは、目の前に広がっている光景に理由がある。先に入った藤瀬は、止まっている俺の方を振り返り「ん?」って可愛らしく首を傾げていた。
「『ん?』じゃねえよ! なんだこれ! なんだこれ、お前!」
「何が? ほら、さっさと入りなよ」
まさに汚部屋。その名をほしいままにするほどの、汚部屋。ゴミ屋敷と呼んでも過言ではない。生臭いニオイがないだけまだマシだった。
「あ〜適当に座っといてくれる?」
「座るとこなんかねえだろ!」
「そこのちょっとどけたら座れるよ。ほら」
そう言って、藤瀬はゴミ袋の上にゴミ袋を重ね、ゴミ袋一個分のスペースを作った。
「はいどうぞ」
「どうぞじゃねえよ」
だらしないやつだなと思っていたが、ここまでとは思わなかった。部屋には、ゴミ袋が敷き詰められていると言っても過言ではない。幸いなのは生ゴミではないらしいことだ。あとベッドのスペースだけ開けてあるのがなんかムカつく。
「いつからゴミ出ししてねえんだよ」
「わかんない。つい忘れちゃうんだよね、あとめんどくさいし」
肩を竦めるな。ちょっと可愛いだろうが。
「このマンション、あれないのか? マンション専用のゴミ出しスペース」
「あー、あった気がする」
「よし、まず運ぶぞ。全部は無理かもしれねえから、運べる数だけ運ぶ」
「えー、めんどくさいよ!」
「そうやって先延ばししてきたからこうなったんだろうが!」
ゴミ袋どかせば、下にプリントの山があるし教科書が放置されている。こいつ、マジで勉強してねえな。
俺たちは宅飲みの前に、まずはゴミ袋を運び出し、マンションにあるボックスにできる限りを放り込んだ。全ては運び出せなかったが、なんとかリビングからゴミ袋を駆逐した。
◯
「いやあ、華岡、君のおかげで助かったよ。まるで生まれ変わったような気持ちだ」
「残りも全部、来週捨てに来てやる」
「本当? 嬉しいな」
そういう藤瀬は、埋もれていた座卓にポテチやらチーズやらを広げている。もちろんこれも、俺が清潔に拭いた。
「ったく……ありえねえ」
「僕苦手なんだ。そう言うこと」
「そう言うこと?」
「うん。あ、とりあえず乾杯」
プシュ。缶ビールを開ける音が響く。
「片付けるとかさ。ちゃんとやるとか、期限守るとか……全部、すぐ忘れちゃうんだ」
藤瀬はまるでビールを初めて飲んだみたいに笑った。言葉通り、藤瀬はそう言うやつだ。片付けるのが苦手なのは今見た通り。レポートの提出期限はすぐ忘れる。もはや授業の存在を忘れる。
「いいね。華岡はちゃんとしてる」
「お前だってやろうとすればできるだろうが」
「まあ、少しは……少しはできるけど、いつもうまくできないんだよね」
ははは、と笑う顔は、初めて見る藤瀬の顔だった。
「……勉強、どーよ。ヤバくね?」
「あ〜。昼間も言ったけど、先輩は行けるって」
「先輩らいっつも適当なことしか言わねえじゃん」
「そうかなあ〜。ねえ、勉強の話はいいから、飲み会らしく浮いた話でもしてくれよ。華岡はカノジョいないの?」
「ええ……」
まさか藤瀬の口からカノジョなんて言葉が出るとは。こいつはあんまりそう言うことに興味がないタイプだと思っていたのだが。そして残念ながら、俺に浮いた話はない。
「ねえなあ。俺部活とかも入ってねえし、あんま接点ないわ。お前もだろ、藤瀬」
「あはは、お察しの通りだ。そして僕は特に恋愛に興味がないね」
「そうじゃねえかと思ったよ。じゃあなんでそんな話するんだよ」
どうだろうねえ、と藤瀬は首を傾げ、ビールを飲んだ。華奢な割にしっかりと男らしい喉仏が上下する。
「おい、そんな勢いよく飲むなよ。お前酒強いのか?」
「うん? 普通だよ」
「酔っ払っても介抱しねえからな」
「してよ」
「しねえ」
ンフフ、と藤瀬は何が愉快なのかわからないが、照れくさそうに笑った。
「僕さ、友達あんまりいなくて、君と飲めるのが嬉しいんだよね。恥ずかしいこと言ってごめん」
「お前顔広いじゃん」
「浅く広くっていうか……さっきも言ったろ、僕ってだらしないからさ、嫌われちゃうんだ」
そんなもんなんだろうか。藤瀬は独特のキャラクターではあるが人当たりは良いのに。家に呼ぶほど親しい友達がいないのだろうか。……ってそうだよな。
「人呼べてたらゴミ屋敷にならねえよな……」
「あ〜、そんなに? 僕的にはどこに何があるかわかってるし平気なんだけど」
「部屋が汚ねえやつはみんなそう言うんだよ」
それから、俺たちは馬鹿みたいに飲んだ。藤瀬が嬉しそうにしたことが、妙に嬉しかった。俺と友達になれたと笑ってくれることが、気恥ずかしいけど嬉しくて、俺もお前と友達になれたと嬉しかった。遅れてやってきた大学デビューみたいな気がして、俺たちはしこたま飲んだ。
そして、出来上がった。
「んへへ、華岡〜」
こいつ酔うと甘えるタイプなんだろうか。俺は無言っていうか、アタマが回らないのでそのままで、酔いの心地よさに身を委ねていた。あぐらをかいている俺の膝に藤瀬は擦り寄ってくる。
「華岡、だいすきだよ」
「ん……」
藤瀬の猫っ毛は柔らかかった。肌の薄い、端正な顔に朱がさして、俺を見つめていた。
――なんか、勘違いしちまいそう。
妙に上がる心拍数を感じながら、俺は買ってきた限りの酒を飲んだ。来週には、残りのゴミを片付けにきてやらないとな。
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