第2話



 藤瀬は、対人関係の得意な男だった。人懐っこく、ゼロ距離で相手に迫るため、相手もやむなく相好を崩す。ま、嫌われることも多かったようだが、藤瀬は嫌ってくる相手に関してはノーカン扱いというか、気にしていなかった。友達100人いるつもり、っていうタイプだ。

 俺も、そんな藤瀬に懐かれた人間の一人だ。俺たちが初めて出会ったのは、入学前の懇親会でのことだった。


「僕藤瀬! 君名前は? どこの高校出身? 好きな音楽は?」

 ホテルの宴会場で開かれるレセプションで、運悪く俺は藤瀬の隣の席に座ったのだ。よくある円形のテーブルにオードブルが置かれていて、残りはバイキング形式だ。在学生の挨拶も乾杯もまだなのに、藤瀬は俺が隣に座るなり、ぺちゃくちゃと話しかけた。

「あ、ああ……華岡、だけど」

「へえ、すごい! 華岡青洲のご子孫だったりする?」

「いや、しねえけど。あ、でも俺、『青二』って名前。華岡青二」

 そこで会話のキャッチボールしちまったのが悪かったんだよな。一方的な壁打ちにさしときゃよかったんだ。なんせこいつは悪魔みたいな男なのだから。

「僕、××高校出身でさ。君は?」

「お、おう。お前すげえんだな、家金持ち? 俺は普通の公立」

 藤瀬が言った高校は、都内でも有名なお坊ちゃん向けの男子校で、偏差値も高い。自由な校風で名高い、いかにも育ちの良い人間向けの高校だった。

「うちの家? お金持ちといえばお金持ちかも。普通の開業医だけどね」

 それだけで十分金持ちだよ。俺みたいな平民のマグルとは違うんだ。

「音楽は何を聞く?」

「なんでそれ聞くんだよ」

「え、だって仲良くなるためにはそういう話をすればいいってお父様が」

「ンボ」

 『お父様』!? なんだこいつ!? 俺は思わず吹き出した。今の時代に、日本で、そんな言葉で親父のこと呼ぶやつがいるなんて信じられない。

「笑うな! 僕だって友達が作りたいんだぞ」

「い、いや、そりゃ笑うだろ、『お父様』ってさあ……」

「ええ……じゃあ何ならいいの?」

「『親父』とかじゃねえの」

「そう……じゃあそうするけど。親父が言ってた」

 素直なやつなんだなと思った。それはなんていうか、悪くない。いいやつなんじゃないかと思った。

「はは。音楽は、そうだな。俺何聞いてたっけ。ああ、適当に流行ってるやつ聞いてる」

「流行り? そういうのは良くない」

 いやお前、素直なんじゃねえのかよ。人の趣味にケチをつけるな。

「僕は布施明が好きだ。君も聞くといい」

「ああそう。じゃあ俺はニルヴァーナ勧めとくわ」

「ふむ……考慮しよう」

 なんだか自然に笑みが溢れた。こいつと話すのは楽しい、と思った。第一印象がいいってこういうことを言うんだろうな。

「いいじゃん、お前。俺なんか、好きだぜ、お前のこと」

 冗談めかして、お前はいいやつだ、と伝えた。肩を叩いた。藤瀬は途端に笑って、同じように俺の肩をこづいた。まるで大学生じゃない、中学生みたいなやりとりだった。


 乾杯の音頭が取られ、俺たちは烏龍茶やオレンジジュースで乾杯した。一回生は未成年者もいるから、アルコールは提供禁止なのだ。俺? 俺は実は二浪してるので、ばっちり酒が飲める。

「おい、料理取りに行くぞ」

「何があるの?」

「よくわからんけどうまそうなやつ」

「ふーん」

 パスタは二種類あったし、目の前で焼いてくれるステーキもあった。俺の大好きな唐揚げも山盛りあったし、白米も食べ放題。下宿を始めたばかりの俺にはありがたい限りだ。

「おい、藤瀬。……おい?」

 振り返れば藤瀬はどこかへ消えていた。少し離れたところに、淡い茶色の髪と、丸メガネの後ろ姿が見えた。フラフラと適当なテーブルに行くつもりのようだ。

「あー……」

 あいつわかってんのかな。自分が変なやつだってこと。自覚ねえんだろうな……。

 違うテーブルに行ってしまったようなので、連れ戻す義理もない。とりあえず俺は元のテーブルに戻り、そこにいる同級生と話した。

 出身高校、親が医者かどうか、共通の知り合い、話題はそんなところだ。一通りそれを話せば沈黙が訪れる。黙った後、部活どうする、なんて話をした。なんせ部活の新歓は今日も俺たちを狙っている。テーブルに入れ替わり立ち替わり上級生が現れ、スポーツの経験者などを物色していた。

「華岡くんは部活はどうするんですか?」

 青白い肌色の、気の弱そうな同級生が俺に話しかけた。ええと、さっき名前聞いたところだよな。でも忘れちまったかも、やばい。

「俺……俺は、迷ってる」

 迷っていると言うのは、嘘だ。俺は部活には入らないと心に決めていた。

 医学部の学生は基本的にどこかの部活動に所属する。それが難関たる単位取得のための試験を乗り切る処世術であり、医師という将来へ繋がる情報網を獲得するための手段だからだ。

 でも、俺は部活をする時間はないと思った。

『学長賞』

 成績優秀者には、この賞が贈られ、奨学金が与えられる。なんと授業料全額だ。これを取りたかった。別に俺だって金に困ってるわけじゃなかったけど、名誉が欲しかった。二浪してなんかバカにされてるって感じてた。頭の悪いやつじゃないって証明したかった。

 だから、俺の目標は学長賞だ。ああ、思い出したわ、名前。

「笠井は?」

 笠井。笠井美良。臆病そうで繊細そう、陰キャ、豆モヤシ。そんな隣の男も、俺の人生に闇雲な傷跡を残すと知らずに、俺は笠井の話を聞いたのだった。

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