4−3

 役員会から二週間が経った。哲也は聡太を行きつけの立ち飲み屋に誘った。


「どうだ、聡太。言ったとおり遅れは取り戻しただろ?」

「タスクリスト上ではね」

「文句があるのか?」

「若林さんの作った要件定義書に対して急に駄目出ししなくなっただろ?」

「若林が成長したんだよ、多分」

 聡太はジョッキのビールを一気に呷った。

「タスクリストを消し込むために適当に承認してないか?」

「そんなことあるわけないだろ! 怒るぞ」

「すまない。そうは思いたくない。でもこれが僕の役割だから。何をもってOKと判断しているのかの完了基準を示して欲しい」

「それも尤もだな。分かった。どうせ社長にも説明するんだろ? 説明しやすい資料にまとめるから少し時間をくれ。ジョッキ二つ!」

 哲也は隣のテーブルにつまみを持ってきた店員に聡太と自分の空ジョッキを突き出した。それからはもう仕事の話はせず、二人の共通の趣味であるバイクの話で盛り上がってお開きになつた。


 翌日、哲也は社長室を一人で訪れた。

「社長、聡太……藤山のことで相談があるのですが」

「なんだ?」

「はい、プロジェクトの進捗が急に良くなったことについて藤山がケチをつけるのです」

「良くなっているのにか?」

「はい。私が若林さんの作る要件定義書に適当にOK出しているんじゃないかと言うのです」

「そんなことは無いのだろう?」

「もちろんです。以前の問題点を洗い出して改善を図った若林さんの努力の結果です」

「それなのに聡太はなんでケチをつけるんだ?」

「聡太のプロジェクト管理能力は疑いませんが、システム開発については素人に毛が生えた程度です。だから要件定義としてどこまで書いてあればいいのかの判断……勘所が分からないのですよ。何をもってOKと判断するのかの完了基準を示せと言ってきました。正直なところ、そんなものはありません。それこそ経験と勘のなせる技で、基準があれば誰にでも判断できるというようなものじゃないんです」

「それで私にどうしろと?」

「社長から聡太に、とりあえず私のやり方に口出ししないように言ってもらえませんか?」

「分かった。言っておくよ」


 その後、聡太は社長に呼び出されたようだ。それ以降、聡太は何も言ってこなくなった。


        * * *


 予定より早く要件定義工程が終了し、設計工程に入った。ここからは外注先の作業がメインになり、要件定義書に記載されたことを実現するためにはどのようなプログラムを作る必要があるか、洗い出していくことになる。要件定義において詳細にユーザーの要望を取り込んでいれば、単純にプログラムにどう置き換えていくかを考えるだけだが、要件定義がスカスカの場合、詳細が不明な部分を埋めながら設計書を作る必要がある。設計書を作成している外注先の担当者からは毎日のよに要件定義書で不明な部分についての問い合わせが上がってくる。それに対していちいちユーザーに確認していたのではまた進捗が送れてしまう。哲也はユーザーに確認することなく内容を捏造して担当者に返した。表向きプロジェクトは順調に進んでいき、設計工程も予定よりかなり速く終わり、プログラム作成工程に入った。哲也の捏造により設計書は緻密な記載になっていたため、プログラミングも順調に進んだ。


 そして完成したシステムの業務利用開始日を迎えた。


        * * *


「どういうことなのか説明してくれ」

 会議室で居並ぶ役員の前に立つ哲也に向かって社長が厳しい顔で言った。

「販売管理システムで発生しております障害についてご報告いたします。発生しています障害は、ユーザーから聞き取りました要望の細かい部分について、プログラムに反映しきれていないことに起因しています」

「うむ、大まかな処理の流れは合っているのだが、具体的な項目チェックや集計方法などに誤りが多いと聞いている」

 発言したのは営業担当役員だ。哲也は頷いて話を続けた。


「そのとおりです。要件定義書から設計書を起こし、実際のプログラムにするのは外注先の仕事です。そこで詳細の取りこぼしが多発しました。その原因ですが……」

 哲也はそこで言葉を切り、俯いて言いよどむ様子をみせた。

「どうした? 言いにくいことなのか?」

 社長の言葉に哲也は顔を上げて応えた。

「はい、こんなことはあまり言いたくないのですが、管理担当……藤山から無駄な作業を大量に指示されていまして、それに忙殺されて詳細まで手が回らなかったようなのです」

「どういうことだ? 聡太にはお前のやることに口出しするなと言っておいたのだが」

「はい、確かに私に向かっては何も言いませんでした。しかし外注先の担当者に直接、あれをしろ、この資料を提出しろと口出ししていたようなのです。ここに藤山から担当者あてに出されたメールの一部を印刷して持っております」

 哲也は一〇枚ほどのA四コピー用紙を束ねて頭上に掲げた。社長が長机越しに手を伸ばしてきたので、哲也は束ごと社長に手渡した。社長はパラパラとめくって一通り目を通すと、隣の役員に回した。こうしてコピー用紙は全役員を回って哲也のところに戻ってきた。


「ご覧のとおり、プログラムの大きさやプログラミングの工数を事細かに報告させたり、要件定義書と詳細設計書に差異がないか一行単位で突き合わせ結果を表にさせたりと、過度な管理作業を要求しています。発注元のプロジェクト管理者からの指示なので担当者も断ることができなかったようです。さらに藤山は、プロジェクトリーダーの不正を検知することも目的のうちなので、リーダーの四宮にはこのような作業依頼があることを伝えてはいけないと担当者に言っていました。それでプロジェクトが終わるまで私も知らなかったのです」

「藤山はなんでこんなことをしたのだろう?」

 製品管理担当役員が疑問を差し挟んだ。

「藤山なりに責任を果たそうとしたのだと思います。彼はシステム開発の現場にあまり詳しくなさそうでしたから、事細かに確認しなければ不安だったのだと思います。ですから私は藤山を責めるつもりはありません」

「分かった。過ぎてしまったことを言っても仕方がない。それでこれからどうするんだ、哲也?」

「先ほど言いましたとおり、大きな流れは問題なく動いています。あとは細かい部分の微調整で支障なく使えるシステムになります。ただ今後も藤山からあのような作業指示が来るようだと、スムーズな対応ができなくなります」

「藤山のことは何とかするから、早急に対応を進めてくれ。以上だ」

 社長の言葉に哲也は一礼して会議室を出た。


        * * *


 販売管理システム開発プロジェクトから聡太が外された。それまではリーダーを牽制するという側面から、役職上は哲也の下だが権限は哲也に準ずるものを与えられていた。しかし新しく配属された在庫管理部署では新入社員と同じ権限しか持たされず、実質的に降格人事だった。

 それに対して哲也は聡太の持っていたプロジェクト管理権限も引き継ぎ、プロジェクト統括リーダーとなった。こちらは昇格と言ってよい人事だ。

 プロジェクト失敗の責任を聡太に転嫁して自分は咎められることなく、さらに厄介払いまでできたのだから、哲也にとって言う事無しの結果になった。聡太がいなくなれば、哲也の出任せに騙されずにプロジェクトの実態を看破する者はいなくなる。プログラム修正のための予算を確保してシステム会社の鼻先にぶら下げてやれば、まだ当分タダ酒を堪能することができるだろう。


 聡太が事故で死亡したのは、それからすぐのことだった。

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