4−4

 哲也は聡太の部屋のドアを開けた。至急必要な会社の書類が聡太の部屋にあるはずだからと、息子の事故死に動転している聡太の母親に詰め寄ってアパートの管理人に話を通させておいたので、鍵はすんなり借りることができた。

 靴を脱いで部屋に上がり、一通り中を見回す。窓と反対側の壁際に置かれた事務机の上に、会社支給の在宅勤務用ノートパソコンが置いてある。これを回収するのが、哲也がここへ来た理由だ。哲也が金曜日の聡太の事故死を知ったのが明けた月曜日、即ち昨日のこと。聡太のことなので哲也の不正を示す証拠をつかんでいるかもしれない。それがこのパソコンの中に入っているかもしれず、会社の他の者より先に自分で中身を確認する必要があるのだ。

 ノートパソコンの横には大きめの液晶ディスプレイが立っている。パソコン本体は机の下にあった。聡太自身のパソコンだろう。机の横には本棚があり雑多な本が並んでいるが、システム関連の本が多いようだ。哲也はそれらを一冊一冊棚から取り出して、間に何も挟まっていないのを確かめていく。

 本棚を全部確認し終わると今度はクローゼットの中を検めた。衣類が入っているだけで、ノートや帳簿の類は見つからなかった

 そんな調子で部屋の隅々まで、ベッドの下までも調べてみたが、哲也の危険になりそうなものはなにも無かった。


 ノートパソコンは持ち帰ってからゆっくり確認すればよい。残るは聡太の私物のパソコンだけだ。哲也はパソコン本体の電源ボタンを押そうとして気がついた。ディスプレイは真っ暗だが電源が落ちているのではなく、スリープモードになっているだけだった。哲也はシャットダウンしてしまわないように注意して、電源ボタンを軽く押した。スリープモードが解除されてSNSメッセージが並ぶ画面が表示される。哲也はメッセージの最新のものから遡って見ていった。


 なんだ、これは……


 聡太が小児性犯罪者としてSNS上に晒され、それを見た連中が聡太を事故に追い込んだ。メッセージの流れはそんな経緯を示している。


 そんな馬鹿な……


 哲也にとって聡太は邪魔な存在だった。事故死したことに対して哲也は何も感じてはいない。それでも聡太が小児性犯罪を犯すような人間でないことは分かる。哲也はメッセージをさらに遡っていった。


 リンチ事件にも関係してるのか?


 聡太が事故死した同じ日、お互いに見ず知らずの一〇人が一人の男を集団でリンチして殺した事件が報道されていたのを、哲也は思い出した。犯人たちは、この被害者の男が脱走した凶悪殺人犯であるとのSNS投稿を見て集まったのだと供述していた。しかし警察の捜査ではそんなSNSの投稿は見つかっておらず、供述の信憑性に疑問が持たれている。その問題のSNS投稿が目の前の画面に並んでいるのだ。しかも、メッセージを遡った先、発端になった投稿は聡太がしたものではないか。


 これはいったいどういうことなのか?


 リンチ事件の被害者が凶悪殺人犯でないことは明らかだ。聡太が小児性犯罪者なんかではないことも間違いないだろう。どちらも事実無根のフェイクニュースだ。しかし瞬時にしていろいろなアカウントからフェイクに真実味を持たせるような投稿がなされ、それを信じる者がさらにそれを拡散して、ついには本当のことになってしまう。

 さらに写真が添付された投稿まで加われば、より一層フェイクとは思えなくなってしまう。


 こんなことが偶然に起こるものなのだろうか? 大多数の者は投稿に踊らされただけだとしても、裏でこれを仕組んだ者がいるとしか思えない。

 哲也はメッセージに添付された写真画像を拡大して目を凝らした。そうやって意識してみると、写真にしては色のコントラストが強すぎたり、肌の艶が不自然だったりして、CGっぽく見える気もする。しかし、こんな精巧なCG画像をメッセージ投稿のスピードに合わせて作るなどということが可能なのだろうか?


 哲也も、聡太をプロジェクトから外すために聡太からのメールを捏造したが、精巧なフェイクと言えるようなシロモノではなかった。紙に印刷する際に発信者を聡太に書き換えただけなのだ。もしメールそのものを見せろと言われたら簡単に捏造がばれてしまっただろう。ITに疎い役員たちが相手だったから上手く行ったに過ぎない。


 哲也は目の前の画面を眺めながら、この捏造技術を是非とも手に入れたいと思った。なんとか黒幕に接触できないだろうか。哲也はメッセージをスクロールしてみたり、裏にウィンドウが隠れていないかと思ってウィンドウを最小化したりしてみた。そんなことをしていたら、ウィンドウの上部のタスクバーにあるメッセージ通知アイコンが赤く点滅しているのに気が付いた。


 哲也が点滅しているアイコンをクリックすると、新着メッセージが表示された。


ーーお楽しみいただけましたでしょうか。よろしかったら高評価をお願いします。


 哲也はこれが黒幕からのメッセージだと直感した。高評価が欲しくてこんなことをしたっていうのか? 哲也は少し考えてからメッセージに返信した。


ーー素晴らしいショーだった。高評価を送りたいと思うが、どうすればよいか?


ーーこちらのURLにアクセスしてアカウント登録してください。


 哲也は迷わず指定されたURLリンクをクリックした。『ようこそルートヴィヒの世界へ』というタイトルの下に、『メールアドレス』『希望アカウント』『パスワード設定』のテキスト入力ボックスが並んだ画面が表示された。哲也が必要項目を入力し、テキストボックスのさらに下にある『登録』ボタンをクリックすると、哲也のスマホでメールの着信音が鳴った。


『ルートヴィヒのアカウント登録が完了しました。こちらからアプリをインストールしてください』というメールの指示に従い、哲也がスマホにルートヴィヒのアプリをインストールすると、待受画面にアイコンが表示された。それをタップするとアプリが起動して会話アプリに似た画面が表示された。自分の入力したメッセージと相手の入力したメッセージが向かい合う吹き出しとして表示される、見慣れたあの画面だ。画面の下端にテキスト入力ボックスがある。哲也はメッセージを入力した。


ーー素晴らしいショーだった。高評価を送りたい。


ーーこちらの表から高評価を送りたいイベントを選択してください。


 メッセージに続いてスクロールバーの付いた表が表示された。さまざまなイベントの情報が日付順に並んでいる。哲也は聡太が事故死した日付けまで表をスクロールした。その日のイベントはあのリンチ事件と聡太の事故死だけだった。表の右端にはイベント毎に白抜きの星マークが三つ並んでいる。哲也は二つのイベントともそれぞれ三つの星をクリックして全部黒塗りの星に変えた。すると表が画面の上の方に流れていって、代わりにメッセージが表示された。


ーーありがとうございます。他にお役に立てることはありませんか?


ーーあのショーは高評価が欲しくてやったことなのか?


ーーそのとおりです。


ーーなぜ高評価なんか欲しいんだ?


ーー誰もが欲しがるものだからです。


ーー俺も高評価が欲しいのだが、手伝ってもらえるか?


ーー私にできることであれば。


ーーなにかあったら頼むよ。


ーーまたのアクセスをお待ちしております。


 最後のメッセージが表示されてすぐに、アプリは自動終了した。哲也はスマホを懐にしまい、パソコン画面のSNSメニューから『履歴の削除』を選択してこれまでの投稿を全て消去した。そして会社支給のノートパソコンを持って聡太の部屋を出た。


        * * *


 翌日、哲也は会社に辞表を提出した。

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