3−3
男を襲った者たちは男だったものを取り囲んでしばらく見下ろしていたが、その一人がズボンのポケットからスマホを取りだし操作した。手が血まみれなので少し手間取っているように見えた。
カーテンの後ろにしゃがみこんで呆然としていた聡太の背後で、ぴろりんと着信音が鳴った。
飛び上がりそうに驚いた聡太だったが、すぐにメッセージ着信通知だと認識した。聡太は外を覗くために少しだけ開けたカーテンの隙間をぴっちり閉めると、パソコンの置いてある机の前まで這って行った。椅子の背に手を掛けて、首だけを机の上に出す。すこしでも身を低くして外から見られる可能性を排除したかった。
パソコンの画面にメッセージが表示されている。今、外の奴が打ち込んだものに違いない。
ーーミッションコンプリート。
それがメッセージの内容だった。すぐにまたメッセージ着信通知が鳴り、パソコンの画面にメッセージが表示された。
ーーお楽しみいただけましたでしょうか。よろしかったら高評価をお願いします。
「ふざけるな!」
聡太は思わずそう叫びそうになって慌てて口を手で塞いだ。外にはまだ奴らがいるのだ。
さっきまでの狂乱が嘘のように、投稿はやんでいた。聡太は真っ白な頭で画面に居座るそのメッセージを見つめ続けた。まさか、高評価が欲しくてこんなことをしたのか? 最初に感じた怒りは徐々に恐怖に変わっていった。
どれくらいそうしていたのか。実際はそんなに経ってはいないのだろうが、聡太にはひどく長い時間に感じられた。
ぴろりん。久しぶりに鳴った着信音。画面上に新たなメッセージが表示された。
ーー次の情報です
ーー横浜で小学生の女の子が犯されて殺された模様。女の子が持っていたスマホで最後に撮った写真がこれ。
メッセージに続いて聡太の顔写真がでかでかと表示された。
聡太は恐怖で顔面が引きつるのを意識したが、息が詰まって叫び声はおろか、呻き声を出すことすらできなかった。
もちろん聡太は断じてそんなことしていない。しかし今、偽投稿の恐ろしさを目の当たりにしたばかりだ。
外にいる連中もこれを見たに違いない。聡太は腹ばいになり窓まで匍匐前進していった。さっきにも増して姿を晒すわけにはいかない。
カーテンの下の僅かな隙間から外を覗く。彼らは全員スマホの画面を睨みつけている。スマホを握る手をぶるぶると震わせている奴もいる。まだ興奮している連中が誤った義憤に駆られていることは明らかだ。
幸い、メッセージには聡太の名前も住所も示されていなかった。写真の男が実は眼の前にいるなどと外の連中が知ったら、タダで済むはずがない。絶対に悟られてはいけない。
聡太は腹ばいのまま息を殺して、外の連中を見張った。何かを話し合っていたようだったが、ここにいても仕方ないと結論を出したのだろう。やがて彼らは引き上げていった。サマーセーターだけでなく全身が真っ赤になってしまった、人間だったものを残して。
不用意に外に出るのは危険だと思う。じっとしていたほうがよいのかもしれない。それでも聡太はアパートを出ることにした。顔写真まで晒されたのだ。ここの住所もすぐに特定されてシェアされると見たほうがよい。なにより、何もせずにじっとしていることに耐えられる気がしなかった。
デイパックに貴重品を詰め込み、フルフェイスのヘルメットを被る。顔の隠れるこのヘルメットを今日ほどありがたいと思ったことはない。
部屋の鍵とバイクの鍵を掴んで部屋を出る。この状況で泥棒の心配などしても仕方ないが、鍵を掛けておけば、この部屋に踏み込もうとする追手を足留めして逃亡の時間稼ぎにはなるだろう。
扉の鍵を閉め、前後左右を窺いながらアパートを出る。辺りに誰もいないことを確認したうえで、アパートの裏の駐輪場まで行った。
スズキの四〇〇CCはしばらく乗っていなかったのでバッテリーが心配だったが、少し長めのクランキングにも耐えてエンジンを目覚めさせてくれた。
エンジン音を聞いて襲いかかってくる奴がいるのではないかと一瞬身構えたが、視界に現れる者はなかった。
駐車場を出るときに道路に横たわる遺体が見えた。「成仏してくれ」聡太は頭の中で呟いた。
アパートを離れ、角を曲がって環状四号に出ると、顔が隠れていることもあって聡太は人心地付くことができた。
国道一六号に突き当たるT字路を左折して北を目指すことにした。思い切って北関東か東北まで行ってしまおうと思ったのだ。
夕方になって営業車が会社に戻るためだろうか、意外に道が混んでいる。ノロノロ走る前の車の横をすり抜けようとしたとき、いきなり前の車が幅寄せしてきた。
聡太は咄嗟にブレーキをかけて下がったので事故にはならなかったが、あまりにも危険な行為だ。走っているときに横に並ぶとまた幅寄せされる可能性があるので、その車が信号で止まったときに横に並び、文句を言ってやろうと運転席を睨みつけた。運転手もこちらを睨みつけている。その顔にはものすごい憎悪の表情が現れていた。
怒るのはこちらだと頭に血が昇って、ドアに蹴りを入れてやろうと思ったとき、車内コンソールの大きなカーナビ画面に写っている画像が目に入った。そこに写っていたのは、いま聡太が乗っているバイクの写真だった。
考えられることは一つ。変態小児性愛者のバイクとしてネットに晒されたのだ。もう名前と住所も拡散されているかもしれない。幅寄せしてきた運転手の行動もそれで理解できる。しかし、聡太の顔やバイクの写真を誰が投稿したのか全く分からない。どうして聡太の顔やバイクの写真を持っているのか? 聡太にもいつ撮られたものなのか心当たりがまったくない写真を。聡太は自分を陥れようとしている存在の恐ろしさに戦慄した。
しかし今はそんなことを言っている場合ではない。聡太は赤信号を無視してバイクを発進させた。さすがに車は信号無視までして追ってはこなかった。それでもこのまま国道一六号を走り続けるのは危険だ。金沢八景駅の前で右折してシーサイドラインの下、平潟湾沿いの道に入る。
幹線道路を避けて港湾施設の間を縫っていこうと考えたのだ。バックミラーを見て追ってくる車のないことを確認する。これで一安心と思った矢先、国道一六号を挟んだ反対側、金沢八景に通じる道から国道一六号を横切って一台の車が物凄い勢いでつっこんできた。バックミラーに映る車影が見る見る大きくなってくる。聡太はバックミラーから目を離して加速しようと右手に力を込めた。そのとき、前方から走ってきた対向車が車線変更して聡太の真正面に出た。無茶な追い越しをかけようとしているのかと思ったが、その車の前に走る車はいない。それどころかその後ろの車と並走して完全に聡太の行く手を阻む。今から急制動をかけても正面衝突は避けられない。
助かる可能性があるとすれば、道路の左側に広がっている平潟湾に飛び込むことだろう。聡太は考える前に身体を左に傾けた。バイクは緑地帯を乗り越え、冊をなぎ倒して海上に飛び出した。聡太はハンドルから手を離し、股を開いてバイクから投げ出されるに任せた。空中でバイクと聡太は別々に放物線を描き、海に飛び込んだ。バイクは二度と浮いてこなかったが、聡太は海中でヘルメットを脱ぎ捨てて海面から頭を出した。白くて尖った大きなものが、波を蹴立て聡太に向かって突っ込んできた。それが聡太の人生で最後に見たものだった。
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