8




 リディアは全く状況を理解できないでいた。でも、


(撃って、いいのね)


「貴女、何を……」 


 スコティニアの紅い瞳が揺れる。リディアは最後の力を振り絞って再び銃を構え、間髪を入れず、何の情緒もなく、引き金を引いた。


 銀の弾丸が真祖の心臓を撃ち抜く。


「な……ぜ……」


 スコティニアはこちらに手を伸ばしたまま硬直していた。


 指先から急速に、灰色の変化が訪れる。腕、足、上半身、最後には驚愕に見開いた目が染まりきって、変わり果てた真祖の灰を、暖かな風がさらっていった。


 同時に、リディアの意識も暗い海に落ちていくような感覚に襲われる。けれどその意識を無理やり引っ張り上げるように、姉の声が響いた。


「我が妹に、花の祝福を! 約束の花園ミュラ・フローラーリア!」


 祈りにも似た詠唱に合わせるようにして、ユークも魔術式を展開する。ふたりが編み出した魔法陣が重なり、大穴を覆うように広がってゆく。


 やがてリディアは柔らかい何かの上に倒れ込んだ。群生したミュラの花だ。美しい純白の花園が、幼い頃に見たものと同じ光景が、全身を優しく受け止めてくれている。


「リディア……!」


 ユークが側に来て、リディアの顔をのぞき込んだ。そういうユークも頭から血を流していて、肩にも大怪我を負っているようだった。彼が影の一族にあたる吸血鬼たちを倒してくれたお陰で、真祖への力の供給を断つことが出来たのだ。


 リディアの状態を確認するユークを見て、マリナが微笑む。


「ユーク。約束を守ってくれてありがと」


「……マリナ、お前……」


 姉の身体は透けていて、向こう側には朝日が昇り初めているのが見えた。今の光景を目に焼き付けたいのに、視界が涙で歪んでいく。


「……お姉、ちゃ……」


「リディア」


 身体からテネブレの血がなくなったことで、ようやく気付いた。


 姉がずっと、そばにいてくれたことを。


「幸せになってね。……愛してる!」


 マリナが消えていく。


 私も愛してるよ、と言いたいのに声が出なくて涙を流すリディアへ『だいじょーぶ、きこえてるよ!』と元気な声を残して。







 守護の力を持つ魔法。


 それがリディアの死をほんの少しだけ遅らせ、命を繋ぎ止めてくれていることはわかっていた。それは時間にしてたった数分の猶予。しかしその些細な猶予が、奇跡を呼び寄せる。


「──生きてるな」


 大穴の上からこちらを覗き込む、長身の痩せた男。男は眼鏡越しにリディアの様子を確認すると、少し息を吐いて斜面を滑り降り、手袋をはめた。


 ユークは安堵したような、怒ったような、泣きそうな、とにかく複雑な表情で「遅い」と呟く。マドリは口角を片側だけ上げて、らしい笑い方をした。


「そりゃすまんかったな、お隣さん」


 そして処置のための魔術式を展開しながら辺りを見回して、


「ところで何なんだ、このお花畑は。お前らの心象風景か?」


 と、肩をすくめるのだった。

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