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 ────……


 身体の芯から末端まで、徐々に凍っていくかのような寒さ。呼吸もままならなくなって、瞼がどんどん重くなっていく。


 ビビアナ・オタラはこの感覚を知っていた。


 家族旅行で訪れた花の都。初めての都会に目を輝かせていたビビアナは、唐突に激しい頭痛が襲ってきて倒れ込んだ。ついさっきまで青空が広がっていた上空に灰色の雲が覆い、周囲の人間もバタバタと意識を失っていく。


 そこへ現れたのが、あの美しくもおぞましい男。


 後に、奈落の一族である真祖直系吸血鬼ノーブルヴァンパイアだと知った。奈落の吸血鬼が人々の間を優雅に歩むだけで、地面に紫の染みのようなものが広がって、そこから鎖が這い出てきた。鎖は倒れた人間の手足に巻き付いて、その染みの中に引きずり込んでゆく。


 ビビアナも鎖に捕らえられ、ゆっくりと身体が沈み込みかけたその時だった。


 光の一閃が、鎖を断ち切ったのだ。


 混濁する意識の中、目にしたのは二メートル近い体躯の男。男は軍服のようなものを身に纏い、奈落の吸血鬼に対峙した。


 そこから全てが終わるまで、時間はかからなかった。吸血鬼を討ち、返り血を払った男は、ビビアナの元へと歩み寄ってきて状態を確認したあと、保護するよう部下らしき人間に指示を出していた。


 ほとんど意識を失いながらも一連の流れを見ていたビビアナにとって、その男はまさに救世主だった。あっという間に絶望と恐怖から救い出してくれたその人に、お礼も言えないままだったのが悔やまれたが、あの時の記憶は一等星のように、ビビアナの心に輝き続けている。


 だからだろうか。


 またあの恐ろしい感覚を味わっている今でも、どこか希望を捨てられずにいる。

 友人からの手紙に落ち込みながら訪れた創設記念パーティ。まだ会場に足を踏み入れる気にはなれず、何となく外で風にあたっていたら、激しい頭痛に襲われ立っていられなくなった。


 死都化が進んでいるのだと、すぐに気付いた。


 あの事件のあと、本で読んだ魔力のコントロールというものを試してみたけれど上手くいかない。なんとか意識を保って逃げだそうと這い出たグラウンドの中央に、それはいた。


「あら、あなた。少しだけ、娘のにおいがするわね?」


 その高い声を耳にするだけで、脳がぐわんぐわんと揺れるようだった。


 力尽きて、もう動けないでいるビビアナのもとへ音も無く近づいてくる。その小さな素足は地面から浮いていた。


「おいで。少しだけ前菜をいただくわ」


 ふっと、何かに引っ張られるようにして身体が起き上がる。まるで操り人形だ。


(たすけて……)


 ビビアナは、胸の中に光る一等星に呼びかける。


(わたし、まだあの人に……ありがとうって、言ってないの)


 涙が溢れた、その時だった。


 彗星が。──落ちてきた。


 光の筋がサアッと雲を割くように流れ、そのままこちらに向かって落ちてきたのだ。


 目の前が一瞬真っ白になって、ビビアナには何が起きたか分からなかったが、それは彗星だったと自然に思った。


 激しい音がした気もする。でもビビアナの耳には遠くで起きていることのように聞

こえていて、それよりも身体を包む温かい腕に意識を取られていた。


「──ビビ!」


 風に紛れて自分の名を呼ぶその声は、もう会えないのかもしれないと思っていた友人、アリア・シェードのものだった。アリアはビビアナを抱えたまま高く跳躍し、そのまま学校の屋上に着地する。


「ア……リア」


「怪我は?!」


「……ない、よ……」


 何とかそう答えると、アリアは「良かった」と泣きそうに笑った。


「……ユーク、ビビをお願い。あと他に何体か眷属が集まってきてる。その対処を」


 ビビアナの身体は、他の誰かに預けられる。


「ごめんね、ビビ。パーティに出られなくて……一緒に選んだドレス、着られなくて」


 ほんとだよ、と文句を言いたくなった。


 今夜のために用意したドレスの代わりに、アリアが着ているのは破れた普段着。何故そんなものを、と思った矢先──アリアがグラウンドの方へ向けて一歩、踏み出した。


 途端、美しい夜空を思わせるネイビーブルーの布が足下から走り、彼女の身体を包み込む。それがひとつの服となるまで、まさに瞬く間だった。


 軍服のようにかっちりとしたデザインのジャケットに、長い氷銀ひがねの髪が流れる。腰にはベルト、スカートの下には薄手のタイツと、革のブーツ。そしてあの日、ビビアナを救った男と同じデザインの、銀の記章。


 対吸血鬼の戦闘に特化した、対吸血鬼特殊部隊シルバーバレットの対魔装束。


(……うっそだぁ)


 本当に、この友人には何度驚かされればいいんだろう。


 何度、救われればいいんだろう。


 その存在を以て、ビビアナが信じた一等星を証明した少女に、


(ドレスより、そっちのほうが似合ってるよ。……アリア)


 心の中でそう声をかけて、ビビアナは微睡みの中に落ちていった。

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