2
船の中からゆっくりと姿を現したのは、車椅子の男だった。
浅黒い肌に屈強な身体。陰りのある琥珀色の瞳には、全てを見透かすような重々しさがある。頬から下顎まで一直線に走る傷、何より膝から下を失った両の足は、彼が生き抜いてきた死闘の壮絶さを物語っていた。
正体を知らずとも、男がかつて戦士だったことは説明するまでもない。
ただ、圧倒的な戦闘力と誰もが目を疑うような戦績は、後世にも伝説として語り継がれていくだろう。特に蛇の真祖からたった一人でもぎ取った勝利は、町どころか国をひとつ救ったと言われている。その死闘は身体に残るほとんどの傷の原因となり、一線を退かざるを得なくなったあとも、彼を
鈍色の目は一瞬リディアを捉えたあと、隣に立つクラリスに向けられた。
「ご苦労だった、ルロワ。しかし何故、隊服を着ていない?」
「──それは」
クラリスが息をのむのが分かった。
「ご報告の通り、リディアは一切抵抗せず自ら両手を差し出しました。
「もうよい。己の危機意識の欠如、続きは本部で報告しろ」
クラリスの横顔は青く、身体が小刻みに震えている。
彼女が隊服を着なかった理由は明白だ。
同僚を、友人を、
緊迫した雰囲気の中、
「シラサギ。久しいな」
「……はい。
──テネブレとの戦いのあと、半吸血鬼となった身で何も言わずに姿を消したこと。謝罪して済むことではないが、気持ちは言葉にはしておくべきだと思ったのだ。
しかし、それは叶わなかった。
カッと強い閃光が港を包み、脇腹のあたりに熱が走る。気付けば全身を打ち付けながら数メートルの距離を吹き飛ばされていて、こみ上げてきた血を吐いた。
「か……はっ」
遠くで、クラリスの悲鳴が聞こえる。何とか起き上がろうとするが、その力も出せないことに気付いた。脇腹の熱がじわじわと激しい痛みに変わり始める。触れて状態を確かめようとした手が、空を掴んだ。何もない。脇腹に大きな穴が開いている。その部分には、骨も内臓も残っていないようだった。
「ほう。半身を削っても再生はするのか。まさに吸血鬼どもと同じだな。心臓さえ残っていれば、意地汚く何度も生き返る」
キィ、キィと金属がこすれる音と共に、
「答えろシラサギ。さんざ、憎しみに身を任せ殺し回った吸血鬼どもの血を体内に宿して尚、己だけは生き延びようとした下劣さ。一体、どこからそのような思考が生まれた?」
通常の人間ならば致命傷となる大きな傷口から、白い煙が立ち上っている。自己再生能力が、リディアの意思より先に動いていた。
「お前の、憎悪に満ちた目を俺は信頼した。お前を対吸血鬼特殊部隊(シルバーバレツト)に引き上げたあの日、そう話したな。その信頼に対する最大の侮辱と理解しての愚行か?」
「
クラリスが
「殺すつもりはない。すぐにはな。だが貴重な半吸血鬼という身体。吸血鬼どもの生態解明に役立つかもしれん。ヤツらにはまだ謎が多い。お前の
倒れたまま動かないリディアを見下ろし、人類で最も多くの吸血鬼を屠った男は言う。
「──せめて研究材料として生きることで報いるがいい、半吸血鬼よ」
抑揚のない冷たい声。空を見上げながら、その宣告を受け入れる。受け入れるしかなかった。
身体が再生していく過程は、失神しそうなほどの痛みを伴っていた。叫びたいのに、叫ぶ力がない。せめて本当に気を失ってしまいたくて、瞼を閉じようとする。しかし狭まった視界に──リディアは、光を見た。
「天位魔術式展開──
その声は、どこからともなく降ってきて、
「な──……」
巨大な魔方陣を、リディアと、
防御魔法の最高峰、天位階級・
バチバチと魔力の光が弾け散る中、その人影はリディアの身体を抱きかかえ、素早く跳躍した。身体強化の魔法も掛かっているらしく、周囲のどの建物よりも高い場所へ。
「させん──……!」
「……裏切るか、ルロワ」
「わたくしは、友を裏切りたくないだけですわ」
クラリス・ルロワは、強い眼差しで
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