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「うわー、本格的に降ってきたな。近くに洞窟があって良かった」


 突如としてあたり一帯を覆った分厚い雲は、激しい雨を運んできた。二人は大降りになる前に洞窟を見つけて避難し、軽く濡れた程度で済んだのは幸いだった。


「リーヴェンのほうにも降ってるみたいね。一過性のものだとは思うけど……」


「だなぁ。しばらく雨宿りするか」


 奥行き五メートルほどの洞窟は静かで、雨が地面を叩く音に満ちた外とは別世界のようだった。冷たい空気に身を縮こませるようにして、その場にしゃがみ込む。


「ユーク、寒くない?」


「ん? ちょっと寒いけど……って、それはお互い様だろ」


「前に風邪を引いてたでしょ? だから心配になっただけ。私は……えーっと、健康体だから」


「俺、そこまでひ弱じゃないって」


「そう? なら良かった」


 顔を背けたユークの強がりに、リディアは思わず笑う。


 ──と、ふと目に付いたものがあった。リディアが座っているのとは反対側の岩肌に、焦げ跡のような何かがある。


 どくんと、心臓が嫌な跳ね方をした。


「……………………それ」


 思わず漏れた呟きで、ユークもリディアの視線を追う。


 細く欠けた月を裂くように描かれた雲。まるで今、上空を覆っているそれと同じような。


「死印だわ。影の一族の」


 ──吸血鬼は人間の血を吸うことでその寿命を延ばし、逆に血と魔力を人間に送り込むことで己の眷属を増やす。その眷属は後天性吸血鬼フォルスヴァンパイアと呼ばれ、人間としての自我を失い、元となった吸血鬼の完全なる僕となる。もしテネブレの吸血行為が完遂されていれば、リディアは後天性の吸血鬼となっていただろう。


 しかし吸血鬼の中には、この世に生を受けた時から吸血鬼だった者たちが存在する。


 真祖。


 現時点で確認されている真祖は七体。そのうちの一体が影の真祖と呼ばれる個体である。


 真祖は自らの力の一部を分離させることで、元となる身体がなくても吸血鬼を生み出すことができる。それが真祖直系ノーブル吸血鬼ヴァンパイア。影の真祖によって生み出されたテネブレはこれに分類される吸血鬼であり、同一真祖から生まれた者たちは〝一族〟として特別な繋がりを持つ──と言われている。


 鍾乳石から垂れた雨水がポタリと音を立てる。横殴りの雨が洞窟の中まで吹き込んでいた。


 ユークもリディアと同様の反応を示していた。幼い頃、二人が乗った馬車が襲われ、子どもを含む多くの死者を出したあの凄惨な事件。CVOが公表した調査報告書に描かれていた、吸血鬼の種姓を示す印。


「あいつなのか」


 ユークの声が狭い洞窟の中で反響する。〝あいつ〟がどの吸血鬼を指しているのかは明確だ。だけど違う。テネブレは確かにリディアが殺した。


「どの個体かは判断できないわ。ただ、死印があるということは……真祖直系以上の強力な吸血鬼が近くにいて、この辺り一帯を死都化しようと──」


【そうよ、我が娘】


 ──それは唐突に、脳の電気信号をバチンと切り替えられたような感覚。


【早く母の元へ帰っておいで】


【まだ少し不純物が残っているけれど、大丈夫、何も怖くないわ】


【あとは、母に身をゆだねるだけで良いの】


 暗い、暗い闇の底から響くような声に、全てを支配される。


 駄目だ、と思うより先に、


「寒いわ」


 誰かが言った。

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