6



 リーヴェンの町を一望できる丘の上に、その淑女は立っていた。


 裾が広がったミモレ丈のドレスはラベンダー色で、港町に似つかわしくないものの、淑女から漂う気品によって不思議と絵になっている。レースがあしらわれた日傘を傾け、明るく賑わう町をじっと見据えて幾ばくか。淑女はそっと、長い睫毛を伏せた。


「……やはり、ここに」


 零れた呟きは、例え隣に誰かがいても聞こえないほどに小さなものだった。


 淑女は、自身のドレスと同じラベンダー色のハンカチを取り出すと、そっと手を離した。ハンカチは地面に落ちてその身を汚してしまう前にふわりと宙に浮き、紙飛行機のような形になって飛んでいく。


 風に乗るようにして遠のくハンカチを見送りながら、ひとり涙を流した。






 ──……


「う~~ん、どっちも悩ましいなぁ。セクシー系か、可愛い系……上品系も捨てがたい……」


 デザインの異なる服を何着も見比べ、ビビアナは悩み続けていた。自分の服を探しているのではない。リディアが、明日に迫ったリーヴェン校の創設記念パーティで着る服を見繕ってくれているのだ。


「アリアってば、ドレスを持ってないなら早く言ってくれればいいのにー」


 学校帰りに、約二時間ほど。靴やアクセサリーどころか、メインのドレスも決まらず、リディアはげっそりとしていた。


「ビビ……もうこれでいいわ。無難だし……」


「だめっ、そんなの地味すぎ! カースト上位の女の子たちに馬鹿にされちゃう!」


「そんなの別に放っておけばいいのよ」


「アリアは馬鹿にされる悲しさが分かってないんだっ! お母さんのお古のドレスを借りた一年目のわたしが、どんな目にあったか……語ろっか?」


「わ、分かった、分かったから!」


 ずーんと落ち込むビビアナを見ているだけで、過去の出来事は大体想像が出来る。






 それからは意外にもスムーズに事が運んだ。メインのドレスが決まれば、あとはそのデザインに合った小物を選んでいくだけだったからだ。


 最後の店を出ると、ビビアナが『一度、アクセサリーも含めて全部身につけてみてほしい』というので、リディアの家で試着をしてみることにした。


「ほわぁーーーー! 似合ってるよアリア、すーっごい綺麗!」


 選んだのは、シルバーグレイのAラインワンピースだった。スカートは非対称にカットされた膝丈のもの。素材はシフォンで、胸元からウエストにかけてはレースがあしらわれ、上品な華やかさを演出していた。アクセサリーはシンプルなクリスタルのネックレスと、それと合わせて購入したピアス。どちらもフェイクではあるが、そうとは見えない出来の良いものだ。


「……肩も背中も本当にがっつり見えるのね」


「それくらいの露出はフツーだよ! あ、でもアリア、着方が多分ちょっとあれかも」


「えっ、着方? どこか変?」


「うん。ちょっと失礼~!」


 ビビアナはそう言うや否や、突如、服の隙間からリディアの胸元に手を突っ込んだ。

「よい、しょっと!」


「!?」


 横からぐいっと胸を中心に寄せる。そのまま素早く手を抜き、反対側にも同じことをすると、ビビアナは仕事を終えた職人のように額を腕で拭った。


「よーし、谷間完成!」


「~~~っな、え……!?」


 自分の胸を凝視する。ビビアナの言うとおり、いつもよりふっくらとしていて、中心には谷間が生まれていた。


 思わず触れて確かめていると、ビビアナは人差し指を立てて説教モードに入った。


「アリア、結構おっぱいあるし、形もすっごい綺麗なのに、何もせずそのまま服着てるだけなんだもん! おっぱいがかわいそうだよ」


「おっぱいがかわいそう!?」


 そんなワードを叫ぶ日が来るとは、リディアは夢にも思っていなかった。


「そ! 下着屋のメリーおばさんの受け売りなんだけど、谷間ってよっぽど巨乳の人しか自然には出来ないんだって。谷間ってね、ほとんどが作られたものなんだよ」


「谷間は、つくられたもの……!」


「まぁ、大きさうんぬんっていうより、ちゃんとおっぱいを整えて着た方がドレスのラインも綺麗に見えるからねっ」


「おっぱいを、ととのえる……!」


「大丈夫? アリア、IQ低下してない?」


「そそそ、そんなことないわ。今まで生きてきた世界に、あまりに馴染みの無いワードばっかりだからちょっと頭がクラクラしただけで」


「そう? 下着屋でこういう話、けっこう聞くよ? それより、当日はわたしがさっきやったみたいにして着てね。出来てなかったらトイレに連れ込むからねっ」


「……分かったわ。ちゃんとやる」


 恥ずかしさに火照った頬に手の甲をあて、何とか頷いたリディアを見て、ビビアナは満足そうに笑った。


「良かったー! 当日楽しみだね。今年はケーキバイキングとかあるらしいよっ」


 リディアが食べられるものは多くないかもしれないが、楽しみだとはしゃぐビビアナの言葉には偽りなく頷くことができた。パーティだなんて生まれてから一度も参加したことがなく、ふんわりとしたイメージしか持っていないが、きっと友人と共に過ごす時間は楽しいものになるだろう。


 ただ気がかりなのは、吸血鬼のことだ。


 初めてこの町の近くで吸血鬼を発見してから一週間。これまでの間に二体の下級ヴァンパイアに遭遇し、退治している。コウモリを見かけることも何度かあった。


 この程度の頻度なら危険信号とまではいかずとも、やはり海の近くということを考えれば不安が残る。


(……もし、下級を従えている上級以上の個体がいるなら……)


 新たな悲劇を生む前に見つけて、退治しなければならない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る