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 ────……


 木々の間を抜け、視界があけた先には小さな湖があった。手で泥を払おうとしたリディアを止め、水で洗い流した方が良いとユークが連れてきてくれたのだ。一刻も早くこの汚れを無かったことにしたかったリディアは、有り難く湖のほとりに座って靴を脱ぎ、足を水に浸した。ユークもその隣に腰を下ろす。


「痣にはなってなさそうか?」


「えぇ、大丈夫。汚れてるだけ」


 脚の付け根まではうまく浸すことができなかったので、手で水をすくって洗い流す。ユークは初め心配そうにその様子を見つめていたものの、泥が取れて白い肌がうっすら見えてきたあたりで『このまま観察し続けるのは不躾だ』と判断したらしく、慌てて顔を背けた。


「ユークは、どうしてここにいたの?」


 新しい水をすくいながらリディアは尋ねる。ユークはこちらを見ないようにしつつ答えた。


「俺が熱出たとき、夜は出歩くなって言ったろ。なのに自分は毎晩出かけてるようだったから気になったんだよ、お隣さん」


 その言葉には、少し拗ねたような響きがあった。


「ご……ごめんなさい。壁、薄いんだったわね」


 魔力を無駄にしたくない思いで転移魔法は使わず徒歩で出かけていたが、それは間違いだったと気付かされる。


「そういうこと。けど山道に入ってから途中で見失って、探してるうちに物音がしたから駆けつけたんだ。気付くのがもう少し遅かったらと思うと……ゾッとする。アリアこそ毎晩何してるんだ? 危険なのは十分わかってただろ?」


「……ファビアンが」


 どう言葉にすれば良いのか悩みながら、リディアは続けた。


「吸血鬼退治をしようと躍起になってるって聞いたから。自分の実力を見誤ったまま敵を追うのは危険よ。だから……」


「だとしても、アリアには関係ないだろ」


「私が転校初日にやったことが原因だから」


「例えそれがきっかけでも、原因はあいつ自身にある。アリアが責任を感じることじゃない」


「……ユーク、怒ってる?」


 恐る恐る尋ねれば、ユークはぎくりとしたように動きを止めた。そして自分を落ち着かせるように小さく深呼吸をする。


「この状況で、あんたを怒るほど酷い人間じゃないつもりだ」


「そうじゃなくて、その……」


 ユークは今日の出来事に対して、リディアよりもよっぽど腹を立てているように思えた。それが不思議だった。これも彼の優しさからくるものだというのだろうか。


「いや、悪い。俺がどうかしてるんだ」


「そんなことない」


 違和感はあったものの、当然、謝られるようなことではない。


「自分のために怒ってくれる人がいるって、幸せなことだったのね。……不思議と、それだけで救われる気がするの」


 言葉にしながら、ようやくその想いを飲み込むことが出来た。


 半吸血鬼になって自ら命を絶とうとしたときのマドリを思い出す。何故彼が怒ったのか。──怒ってくれたのか。リディアはもっと早くに気付くべきだった。


「だから……」


 ユークの服の裾をそっと摘まむ。驚いてこちらを見たユークと目があって、


「ありがとう、ユーク」


 リディアは自然と微笑んでいた。


 こんな笑みが零れたのはいつぶりだろう、と思う。姉の死から復讐しか考えられなくなって、まるで呪いを胸に宿したように生きてきた。吸血鬼以外のことが何も見えなくなって、きっと、もっと大切な多くのものを見失っていた。


 このリーヴェンの地で、ユークがリディアをずっと待っていてくれたこともそうだ。あの時、マドリに止められることなく命を絶っていたら永遠に知らないままだった。



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