8



 ──……


 ユークが帰路についたのは、リーヴェンの空が夕日に染まる頃だった。レポートの提出をすっかり忘れていたことで、同じく不真面目な友人と共に居残りをさせられていたのだ。


 階段を上がり、溜息を吐きつつ鍵を取り出そうとしたそのとき、少女の姿が目に入った。


 学校に近いという理由で、義理の両親が与えてくれたアパートの一室。その玄関先で、突如リーヴェンに現れた不思議な少女、アリア・シェードが膨らんだ紙袋を持って立っている。


 北国の薄氷を溶かしたような氷銀の髪に、鮮やかな紅紫色の瞳。整っているが故に冷たい印象はあるものの、顔立ちとしてはほんの少し幼さも残している。落ち着いた佇まいとすらりとした体躯によって誤解しがちだが、並んでみると背丈はさほど高くない。


 異国の美人だ、ミステリアスな女王だなどと騒ぐ友人たちを尻目に、ユークの心はいつも別のところにあった。


 七年前に別れたきりの幼なじみ。髪や目の色は違えど、少女はリディアに似ていた。いくら別人だと言い聞かせても、リディアと再会し、言葉を交わしているかのような錯覚に陥る。だからこそ、海に飛び込んだ彼女に対して『大馬鹿やろう』などという遠慮の無い言葉を投げかけてしまったのだ。


「──ク、……ユーク!」


 はっと我に返った時には、心配そうな表情でこちらを見上げるアリアの顔があった。思わぬ近さにたじろいでいると、サッと額に手を当てられる。


「やっぱり、熱がある」


「……!」


 ──今日一日、ずっと共にいた友人たちにも悟られなかった体調の異変。それを突然言い当てられて驚かないはずがなかった。朝から妙な気だるさを感じていて、昼頃になってようやく、あぁこれは熱があるなと自覚した。とはいえ症状は軽いものだったし、途中で帰宅するほどでもないと判断して今に至るのだが、何故、今日初めて顔を合わせたアリアが『やっぱり』と元から知っていたようなことを言うのか。


「な、なんで分かったんだ?」


「今日、食堂にいたでしょ? たまたま見かけて、その時に顔色が悪かったから」


 アリアは沈んだ面持ちで「私のせいだわ」と続ける。


「昨日、海に入って濡れたのが原因よね。ごめんなさい、ユーク」


「いや、そんなこと……」


「これ、さっき市場で買ってきたの。良ければもらって」


 そう言って紙袋を手渡される。その時に一瞬触れ合った指先が冷たくて、思わず「ずっと待ってたのか?」と尋ねた。言ってしまってから、感謝より先に伝えるべき言葉ではなかったと後悔する。アリアは驚いたように目を丸くしていた。


「え……えぇ」


 隣同士なのだから、物を渡すだけなら呼び鈴を鳴らせば良いだけの話だ。わざわざ外で待っている必要はない。ユークの言わんとしていることを読み取ったのか、アリアは少し気まずそうに視線を落とした。


「そんなに長くは待っていないわ。それより、早く薬を飲んだ方が良いと思って。ユーク、帰ったら何も食べずにすぐ眠っちゃいそうだし」


「…………」


 ──この程度ならわざわざ薬を飲まないことや、睡眠で体の不調を誤魔化そうとすることを、見透かされているような気がする。


 ユークは礼を言いつつも、心がざわめくのを感じていた。


「温かくして、ゆっくり寝てね。症状が酷いようなら医療魔術師に看てもらって。それから……しばらく、夜は家を出ないで」


 そう忠告をしたあと、アリアはくるりときびすを返して自宅に戻っていく。


(夜は出歩くな? もしかして、あの噂のことか……?)


 ぼんやりし始めた頭で考えながら、思ったより重さがある紙袋の中をのぞき見る。林檎などのフルーツや飲み物、それから市販薬が幾つか入っていた。


(色んな店の? 色々まわって、選んだのか)


『ユーク、だいじょうぶ? りんごなら食べられる?』


 心配そうに病室の扉を開けて、こちらをのぞき込む幼い少女の顔が脳裏をよぎる。


(──……あぁ、もう)


 ここにきても尚、別人の面影を重ねてしまう自分はあまりにも、最低だと思った。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る