8
(この学校……というかこの町、平和ボケしすぎじゃない?)
一日の授業、そして
(止まった的に攻撃系の魔法を放つ訓練ばかり。発動スピードもあまりに遅すぎる。吸血鬼は木偶じゃないのよ)
あれでは実践で生き残れない。それとも、いざとなったら戦うのはハンターや吸血鬼殺しのプロであり、市民は戦わず、守られる側だからこの程度で良いという考えなのだろうか。
常に吸血鬼の驚異に脅かされているカゴニアでは、十に満たない年齢から実践を想定した訓練を行う。そんな世界で生きてきたリディアにとってこの町は、どうしてももどかしさを感じるのだった。
「シェードさぁぁん!」
路地に差し掛かったあたりで背後から大声で呼び止められ、リディアは振り返った。オタラと呼ばれていた女子生徒が、手を振りながらこちらに向かって走ってきて、
「ぶふっ?!」
何も無いところで派手にこけた。
「だ、大丈夫?」
「う、うん平気。わたし、運動神経悪くって……あはは」
リディアが咄嗟に差し出した手を取って、オタラは恥ずかしそうに起き上がる。
近くで見ると、かわいらしい少女だった。ほんの少し丸みを帯びた輪郭には幼さが残り、柔らかな目元も相まって小動物のような印象を受ける。好奇心旺盛な子犬、といったところだろうか。
「あのね、
薄茶色の三つ編みをいじりながら、オタラは落ち着かない様子で続ける。
「えーとそれで、なんていうか。授業中、わたしがクラスを変な雰囲気にしちゃったのを、シェードさんがガラッと変えてくれたから、お礼を言いたくって」
「お礼って……あの、ファビュラス? っていう人が腹立ったから、喧嘩を売っただけよ」
自身の力を過信して、他人をこけにするやり口が気に入らなかった。高位の吸血鬼を前にすれば、どんな戦力であっても物足りないと感じるはずだ。
「ファビアンね。どんな理由でも、わたしは助かったから! だから、ありがとう」
そう真っ直ぐに感謝されると、くすぐったい。
オタラは満面の笑みのまま、興奮したように声を弾ませる。
「それにしても、今日はうちの学校にとって間違いなく伝説の日になるよ! 私にはどういう魔法なのかさえ分からなかったんだけど、とにかくすっごい威力であの
不意にオタラは自分の口を塞いで、分かりやすく肩を落とした。教室でぶつけられた心ない言葉を思い出したのかもしれない。
「ごめんね、また喋り過ぎちゃった。わたし、これで……」
「
そそくさと立ち去ろうとするオタラに、リディアはそう問いかけた。
「えっ……」
「…………」
余計な一言だったかもしれない。けれど、あまりにその背中が落ち込んでいたので、つい声をかけてしまった。
──
「……シェードさん、
こうして、その存在に救われたという市民は当然のごとく存在する。
幼い頃の彼女を救ったのはリディアではない。他のメンバーだ。仲間の誰かが人を救ったという事実を否定したくはなかった。
何より、懇願するようにこちらを見る眼差しに、誰が嘘を吐けようか。
「もちろん」
「…………!!」
ぱっと笑顔を輝かせ、オタラは「嬉しい!」──と。
「渋くてかっこいいおじさんだったの! わたしが吸血鬼に襲われそうになったとき、突然現れて助けてくれたの! イージスの人が
恐ろしい経験だっただろう。それでも彼女にとっては大事な思い出なのだ。それは話しぶりから十分に伝わってきた。
「ああっ、そうだ。ちゃんと自己紹介してなかったよね。わたし、ビビアナ・オタラ! その、良かったらビビって呼んでくれる?」
「えぇ。私のこともアリアと──……」
そこまで言いかけて、リディアは息を詰めた。オタラ──ビビのすりむいた膝から、■が流れている。くらりと目眩がした。
「……その、足……」
「え? あっ、さっき転んだ時のだ。わー、血が流れてきちゃってる」
靴が汚れちゃう、とビビは慌ててハンカチを取り出し、■を拭う。白い布が赤い■で染まり、リディアの心臓がどくんと大きく脈打った。
「…………、早く手当した方がいいわ。菌が入っちゃう、から」
「うん、そうだよね。ありがとう、えと、アリア。また明日!」
照れくさそうに別れの言葉を告げ、ビビは大きく手を振って今度こそきびすを返した。リディアはひとり、胸を押さえる。
(……大丈夫。■を見て、動揺しただけ……)
■■しそうなんて思ってない。今は、まだ。
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