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(この学校……というかこの町、平和ボケしすぎじゃない?)


 一日の授業、そして魔術壁マギアウォールの再構築を終えて、リディアは帰路についていた。


(止まった的に攻撃系の魔法を放つ訓練ばかり。発動スピードもあまりに遅すぎる。吸血鬼は木偶じゃないのよ)


 あれでは実践で生き残れない。それとも、いざとなったら戦うのはハンターや吸血鬼殺しのプロであり、市民は戦わず、守られる側だからこの程度で良いという考えなのだろうか。


 常に吸血鬼の驚異に脅かされているカゴニアでは、十に満たない年齢から実践を想定した訓練を行う。そんな世界で生きてきたリディアにとってこの町は、どうしてももどかしさを感じるのだった。


「シェードさぁぁん!」


 路地に差し掛かったあたりで背後から大声で呼び止められ、リディアは振り返った。オタラと呼ばれていた女子生徒が、手を振りながらこちらに向かって走ってきて、


「ぶふっ?!」


 何も無いところで派手にこけた。


「だ、大丈夫?」


「う、うん平気。わたし、運動神経悪くって……あはは」


 リディアが咄嗟に差し出した手を取って、オタラは恥ずかしそうに起き上がる。


 近くで見ると、かわいらしい少女だった。ほんの少し丸みを帯びた輪郭には幼さが残り、柔らかな目元も相まって小動物のような印象を受ける。好奇心旺盛な子犬、といったところだろうか。


「あのね、魔術壁マギアウォールの大爆破、すっっっごかった。先生は老朽化してたからだって自分を納得させてたみたいだけど、わたし、年に一度メンテナンスしてたの知ってるから」


 薄茶色の三つ編みをいじりながら、オタラは落ち着かない様子で続ける。


「えーとそれで、なんていうか。授業中、わたしがクラスを変な雰囲気にしちゃったのを、シェードさんがガラッと変えてくれたから、お礼を言いたくって」


「お礼って……あの、ファビュラス? っていう人が腹立ったから、喧嘩を売っただけよ」


 自身の力を過信して、他人をこけにするやり口が気に入らなかった。高位の吸血鬼を前にすれば、どんな戦力であっても物足りないと感じるはずだ。


「ファビアンね。どんな理由でも、わたしは助かったから! だから、ありがとう」


 そう真っ直ぐに感謝されると、くすぐったい。


 オタラは満面の笑みのまま、興奮したように声を弾ませる。


「それにしても、今日はうちの学校にとって間違いなく伝説の日になるよ! 私にはどういう魔法なのかさえ分からなかったんだけど、とにかくすっごい威力であの魔術壁マギアウォールが安物の鏡みたいにパリーンって! シェードさんならきっと対吸血鬼特殊部隊シルバーバレットでも……あっ」


 不意にオタラは自分の口を塞いで、分かりやすく肩を落とした。教室でぶつけられた心ない言葉を思い出したのかもしれない。


「ごめんね、また喋り過ぎちゃった。わたし、これで……」


対吸血鬼特殊部隊シルバーバレットでも、活躍できそう?」


 そそくさと立ち去ろうとするオタラに、リディアはそう問いかけた。


「えっ……」


「…………」


 余計な一言だったかもしれない。けれど、あまりにその背中が落ち込んでいたので、つい声をかけてしまった。


 ──対吸血鬼組織Counter-Vampire Organization、CVOの管理下にある対吸血鬼特殊部隊シルバーバレット。表向きに活躍するイージス部隊とは違い、様々な権利を各国から付与されている特例集団。そういった存在はいつの時代も数多くのトラブルを招く。公にしないほうが何かと都合が良いだろうと、国と組織の上層部が判断した。ただそれだけのことだ。しかし、


「……シェードさん、対吸血鬼特殊部隊シルバーバレットの存在、信じてくれるの?」


 こうして、その存在に救われたという市民は当然のごとく存在する。


 幼い頃の彼女を救ったのはリディアではない。他のメンバーだ。仲間の誰かが人を救ったという事実を否定したくはなかった。


 何より、懇願するようにこちらを見る眼差しに、誰が嘘を吐けようか。


「もちろん」


「…………!!」


 ぱっと笑顔を輝かせ、オタラは「嬉しい!」──と。


「渋くてかっこいいおじさんだったの! わたしが吸血鬼に襲われそうになったとき、突然現れて助けてくれたの! イージスの人が対吸血鬼特殊部隊シルバーバレットって言ってるのを偶然聞いて、それから対吸血鬼特殊部隊シルバーバレットについて噂とか、色々調べて。詳しい情報はほとんど見つけられなかったけど、絶対、絶対、あの人はいた……!」


 恐ろしい経験だっただろう。それでも彼女にとっては大事な思い出なのだ。それは話しぶりから十分に伝わってきた。


「ああっ、そうだ。ちゃんと自己紹介してなかったよね。わたし、ビビアナ・オタラ! その、良かったらビビって呼んでくれる?」


「えぇ。私のこともアリアと──……」


 そこまで言いかけて、リディアは息を詰めた。オタラ──ビビのすりむいた膝から、■が流れている。くらりと目眩がした。


「……その、足……」


「え? あっ、さっき転んだ時のだ。わー、血が流れてきちゃってる」


 靴が汚れちゃう、とビビは慌ててハンカチを取り出し、■を拭う。白い布が赤い■で染まり、リディアの心臓がどくんと大きく脈打った。


「…………、早く手当した方がいいわ。菌が入っちゃう、から」


「うん、そうだよね。ありがとう、えと、アリア。また明日!」


 照れくさそうに別れの言葉を告げ、ビビは大きく手を振って今度こそきびすを返した。リディアはひとり、胸を押さえる。


(……大丈夫。■を見て、動揺しただけ……)


 ■■しそうなんて思ってない。今は、まだ。





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