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「い、いいえ?! その、噂に聞いていたというか……そ、そう、ガイドブックで見ただけ!」


「へぇ?」


「リーヴェンの名物なんでしょ? た、試しに食べてみようかしら」


 必死に平静を装って、ワゴンの店に近づく。甘い香りが鼻孔をくすぐり、懐かしい気持ちがこみ上げてくる。


 マレーヌは、クレープ生地にナッツを練り込んだチョコレートをたっぷり塗り込み、くるくると巻いた上からコーヒー豆を砕いてまぶしたリーヴェンの名物だ。チョコレートの甘さとコーヒー豆の苦みがうまくマッチしたスイーツ。リディアの大好物だった。


 思わず興奮してしまったが、あたかも初めて食べたような反応をしなければならない。


「じゃあ俺も。おっさん、ふたつちょうだい」


「お、ユーク久しぶり……って、おいおい! どえらい美人を連れてンな。デートか?」


 デートという単語に心臓がひっくり返った気がしたが、店主の髭についたチョコレートに集中することで平静を装った。


 ユークとそんな仲になるなんて──絶対にあり得ないことだ。


「この子、引っ越してきたばっかなんだ。だから町を案内してるんだよ」


「なぁんだ。嬢ちゃん、ユークはそこそこ良いやつだぞ。そんでまぁ、そこそこのイケメンだ」


(そこそこじゃないわよ)


 リディアは無表情を崩さず、そっと心の中で訂正した。


 ユークは「あのなぁ」と不服そうに店主を睨み付けている。大人びたと思っていたけれど、その照れ隠しのような表情は子どもの頃を思い出させた。


「ははっ! ま、とにかく。リーヴェンへようこそ、お嬢ちゃん。これはサービスだ」


「えっ、あ、ありがとうございます」


「どういたしまして。ほれ、ユークもついでに」


「ついででも嬉しいよ、おっさん」


 マレーヌをひとつずつ手にし、リディアとユークは噴水の縁に腰を下ろした。風向きによっては微かに水しぶきが掛かるが、太陽の下ではそれが心地良い。特に今日は日差しが強く頭がぼんやりしてきたところだったので、ちょうど良い涼みになりそうだ。


 まだ温かいマレーヌを、リディアは感慨深い気持ちで見つめる。七年ぶりの大好物を、チョコレートがとけて手に付いてしまう前に口に運んだ。


「今日のはチョコが多いな。当たりだ」


 ばくっと大きな一口を頬張ったユークが、満足げに感想を述べる。


「リ……じゃない。アリアはどうだ? マレーヌの味は──……、……アリア?」


 リディアは片手で口を覆い、硬直していた。


(どうして)


 こみ上げてくる嘔吐感をこらえて、背を丸める。ユークの慌てたような声が聞こえた。


「大丈夫か? 顔が真っ青だ。冷や汗も……」


「……ごめ、なさい……ダメみたい」


 口の中に広がる甘いチョコレートの味に、体が強烈な拒否反応を示していた。胃がびくびくと痙攣し、額に脂汗が滲んでくるのが分かった。


「もしかしてアレルギーか? 医療魔術師を呼んでくる」


「い、いい! そこまでじゃ、ないから」


 立ち上がるユークの袖を掴んで、慌てて首を横に振る。今の身体を、マドリ以外の医療魔術師に見てもらうわけにはいかない。リディアは必死に訴えた。


「それより、水があれば……ほしい」


「わかった。持ってくる」


 ユークはそう言って、すぐに近くの店で水を買ってきてくれた。冷たい水を喉に流し込むと、ようやく少し落ち着いた気がする。それでも、胃の中をかき混ぜられているような不快感は消えてくれない。


「どうだ?」


「うん、もう平気……ありがとう」


「本当に、看てもらわなくていいのか」


「専属の医療魔術師がいるの。その人に看てもらうから、大丈夫」


 その言葉で、ユークはようやく納得してくれたようだった。




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