第5話 ランクを気にするやつは、だいたいしょうもない

「……みんな、伏せて!!」


 真っ先に異変を察知したアルナは声をあげ、杖を振った。


「≪土爪の精霊(ムルス)、その地に業を示せ(オステン・オプト・タラム)≫」


 アルナの口から透き通った声が流れでて、大地へ落ちた。すぐさま大地から巨大な壁が立ち上がった。森の奥で蠢く異様な気配と、その場にいた全員との間に、幾重も壁が作られた。しかしそれらの壁は一瞬で吹き飛ばされた。


「うぐわあああああ!!?」


 吹き飛ばされていく壁を前に、ファザロと、ファザロのパーティメンバーたちが悲鳴をあげた。

 フラウとカイルは剣を抜き放った。突然現れ、一瞬で壁を壊した怪物を睨みつけて。


「な、なんだあ、こいつは!?」


 再びファザロが、捻りつぶしたような声をあげた。


 森の奥から現れた怪物は、鳥型の魔物であった。人間を一口で丸呑みできそうな巨大な嘴と、巨大な頭。胴と翼は小さいが、四つの大きな脚があった。人間の身体より大きな爪がアルナの壁を踏み砕いていた。


「こ、こいつは、……グ、グラティカ!?」


 ティダが叫んだ。その名を受け、全員の顔が引き攣った。


 グラティカとは、ここより北のヘロ山脈に生息する鳥の魔物であった。

 ヘロ山脈には強大な魔物が多く生息していた。いずれも、銀章以上の冒険者でなければ太刀打ちできない怪物ばかりだ。しかしその怪物たちが山から下りてくることは滅多になかった。そのおかげでこの辺りの地域は、青鉄章の冒険者でも十分太刀打ちできる魔物しかいないはずだった。


「グ、グラティカは……青鉄章の冒険者じゃ……勝てないよ。……ど、銅章のボクらなんか、そ、即死だ……」


 ティダが杖を握ったまま、ぺたりと地面に倒れた。腰が抜けたらしい。

 ティダの言葉と、戦意を失った様子を見て、ファザロが震えあがった。


「じゃ、じゃあ、どうすんだ!?」


「に、逃げるしか……」


「に、逃げられんのかあ!?」


「わ、わ、わかんない。グラティカは、人間の負の感情に反応するらしいから……恐怖を抱いたまま逃げると……ど、どこまでも追いかけてくるって……」


「じゃ、じゃあ、戦えってのか!? お、俺は降りるぜ!!? おい!!?」


 ファザロが声をあげ、パーティメンバーに振り返った。すると堰を切ったようにパーティメンバーたちが逃げはじめた。出遅れたファザロも、グラティカに背を向け、パーティメンバーを追うようにして駆けだした。


 逃げるファザロたちに、グラティカの目が向いた。

 鋭い爪を地面に食いこませ、追いかける様子を見せた。


「≪土爪の精霊(ムルス)、その地に業を示せ(オステン・オプト・タラム)≫」


 アルナはすぐさま、ムルスの壁を幾重も作り出した。そうして、逃げるファザロたちとグラティカの間を壁で閉じた。

 グラティカは構わずに突撃をかけた。数枚の壁を踏み砕き、ファザロの背に迫った。しかし再びアルナがムルスの壁を作りだしたので、グラティカの巨大な嘴がファザロに届くことはなかった。


 しばらくして、遠ざかっていくファザロたちの声が聞こえなくなった。

 ファザロたちを逃したグラティカが、怒りに満ちた目をアルナたちへ向けた。


「……お、俺たちも逃げる?」


 カイルが剣を構えながら言った。剣を握る手が、ひどく震えていた。

 カイルの恐れを察したらしいグラティカの目が、微かに細くなった。


「逃げるしかないでしょ」


 フラウが頷いた。腰を抜かしているティダも、ガタガタと震えながらカイルに同意した。

 しかし間を置いて、アルナは首を横に振った。


「……倒しましょう」


「…………え?」


「たぶん、倒せますよ。あのグラティカはあまり大きくない、子供です」


「……え、あれ、子供サイズなの?」


「ええ。子供だから、動きが単純です。さっきも壁があるのに回り込まず突っ込んだでしょう?」


「ま、まあ……そうだけど」


「私が壁を作って、そこにまたグラティカを突っ込ませます。そうしたら一時的にグラティカの足が止まりますから、そこへティダさんの精霊術で炎を。フラウさんとカイルさんが止めを」


「……あの爪と嘴を避けそこなったら、死んじゃうよ?」


「スプリメントムを使って避けることに専念すれば、初撃は回避できます。そのあと確実に攻撃を与えれば、たとえ仕留めきれなくても二撃目三撃目の威力を弱めることはできますよ」


「……ボクたちの攻撃が失敗したら?」


「失敗しません。万が一失敗しても、絶対に私がなんとかします」


 アルナは笑顔を見せた。その屈託のない笑みに、フラウたちが苦笑いした。

 あえて言葉にしなかったが、戦う理由がもうひとつあった。それは目の前のグラティカが昆虫系の魔物を食べるということだ。虫を食べるということは、本来森にいたはず芋虫も食べるということである。芋虫が森から逃げて南へ走った原因は、間違いなくこのグラティカの存在だとフラウたちは気付いていた。

 ならば、芋虫退治の延長としてグラティカも倒さねばならない。

 そうしなければ、南の集落は明日も無数の芋虫に襲われる。


「……やるしかねえよ、フラウ。そのために冒険者になったんだぜ」


「……分かってる。ティダ、やれるか?」


「……フラウもアルナさんを信じるなら、ボクもやれるよ」


「信じてるさ。ここまで付き合ってくれたんだからさ」


 フラウがぎこちない笑顔を、アルナへ返した。

 アルナはフラウたちに深く頭を下げてみせた。


 直後。


 アルナの胸元から、銀色に煌めく冒険者証がこぼれ、揺れた。

 その煌めきに、フラウたちが驚きの声をあげた。


「……ぎ、銀章、冒険者……!?」


「……え?」


「そ、それ……」


「え、あ……あっ!?」


 フラウたちが指差す先を見て、アルナは声をあげた。慌てて自らの胸元を見る。服の裏に隠しておいたはずの冒険者証が首から垂れて揺れていた。アルナはすぐさま銀の冒険者証を手で隠し、服の裏へ仕舞い込んだ。


「あ、あー……これは、その……えっと……」


「ア、アルナさん……」


「ちょ、ちょっと待ってください。その前にグラティカを……!」


 アルナは目を丸くし、グラティカを指差した。

 その言葉を受け、フラウたちがグラティカに向けて身構えた。


 グラティカの鋭い爪が、地面に食い込んでいた。突撃してくる寸前の構えだった。たしかにアレコレ言っている暇はない。フラウたちはすぐさま剣を握り直した。


「≪土爪の精霊(ムルス)、その地に業を示せ(オステン・オプト・タラム)≫」


 アルナはムルスの壁を作り出した。同時にスプリメントムの力を、フラウたちへ付与した。スプリメントムの光が踊ると、フラウたちが剣を握り直した。ティダも杖を構え、ごくりと息を飲んだ。


 グラティカの目が、赤く震えた。スプリメントムの光目掛け、駆けだした。その俊足は、目にも留まらぬ速さだった。次々にムルスの壁を撃ち砕き、アルナたちへ迫った。


「行くぞ、カイル!」


「遅れんなよ、ティダ!」


「いいからふたりともさっさと行って!」


 三人が声をかけあい、飛びだした。

 迫りくるグラティカを回避し、左右へ。


 最後の一枚の壁が破られた。砕けた壁の先に、アルナはいた。

 アルナは慌てることなく、さらに一枚の壁を作りだした。すると生みだされた壁が、グラティカの大きな嘴を飲み込んだ。しかしグラティカはすぐに体勢を立て直し、鋭い爪で壁を砕いた。


「今です!」


 アルナはティダに合図した。

 攻撃の準備を整えていたティダが、杖を振った。火トカゲを呼び出し、一斉にグラティカへ襲いかからせた。その火トカゲに、グラティカは身構えることができなかった。壁を壊して自らの嘴を救出していたため、身構える暇もなかったのだ。


「ギギャギャギャギャ!!」


 グラティカの全身に火が付いた。焼き尽くすに至るほどではなかったが、十分すぎる攻撃だった。グラティカは火に怯え、砕いた壁の残骸にその身体を打ち付けた。


 その焦りが、グラティカの命運を分けた。


「いっけええ!!」


 フラウとカイルが飛びだしてきた。グラティカを挟んで、左右から剣を繰り出す。

 火に怯えていたグラティカが、フラウとカイルに反応することなどできるはずもなかった。フラウとカイルの剣撃を全身に浴びた。


「ギャグガガガガ!! ガガガ!! ギャガガガガ!!!!」


 死を感じたのか。グラティカが狂ったように鳴いた。

 その断末魔に、アルナは少し安堵した。思いのほかフラウたちの連携が上手く、グラティカを圧倒したからだ。万が一の手段も考えておく必要はなかったなと、アルナは思った。しかしフラウたちはそう思えなかったようだった。グラティカの最後の威圧を受け、わずかにたじろいだ。カイルの剣撃がわずかに鈍った。


「カ、カイル!!」


「し、しまっ――」


 ふたりの剣に隙が生じた瞬間。グラティカが目を見開いた。四肢に最後の力を込め、再び駆けだした。駆ける先は、フラウたちのほうではなかった。アルナ目掛けて、グラティカの鋭い爪が繰り出された。


「ア、アルナさん!!」


 フラウが叫んだ。アルナがムルスの壁を作る暇もないと悟ったからだ。

 いかに銀章の神聖術士といえど、これはダメだ。

 細身の女性に、グラティカの突撃を受け切れるはずが――





「――平気ですよ」


 フラウの叫びを、アルナの静かな声が止めた。

 次の瞬間。アルナの目の前でグラティカが倒れた。突然意識を失ったかのように、ぐにゃりと身体を曲げて崩れ落ちた。


「ア、アルナさん! だ、大丈夫ですか!?」


 アルナの傍へ駆けつけたフラウとカイルが、アルナの肩を掴んだ。

 アルナは小さく笑い、フラウに頷いてみせた。


「平気ですよ。なにもされてません」


「どうして急に……倒れて……? アルナさんがなにかやった、とか?」


「特になにもしてません。フラウさんたちの攻撃を受けて、時間差で倒れたんですよ」


「そ、そう、なの……?」


「本当にそうです。とにかく、グラティカに止めを。戦利品になりますから、嘴も持って帰りましょう?」


 アルナは倒れたグラティカを指差した。

 フラウが剣を振り、グラティカに止めの一撃を繰り出した。グラティカの翼がドクリと跳ねた。やがて絶命し、微かも動かなくなった。アルナの提案通りに、カイルがグラティカの嘴を切り分けた。運良く傷ひとつ付いていない嘴であったため、高く売れるはずとアルナは教えた。



「本当にボクたちが……グラティカを、倒したのか」


 フラウがグラティカの嘴を見て、感慨深げに言った。

 カイルが目を細め。残されたグラティカの身体を見下ろした。


「たぶん……な。グラティカが受けてる傷は、全部俺たちがやった傷だった。アルナさんがなにかやったと思ったんだけどな。特に変な傷はなかった」


「まあ……神聖術士は、攻撃系の術がないから……そうだと思うけど」


「でも信じらねえ。俺たちは銅章だぜ」


「はは。まあね。でも今日は信じられないことばっかりだったからさ。今更じゃない?」


「……たしかに、それはそうだな」


 カイルが長く息を吐いた。その息に、わずかに残されていた緊張感が含まれていたのか。カイルががくりと崩れ落ちた。釣られて、フラウもその場で崩れ落ちた。


 倒れたふたりの目端に、アルナの姿が映っていた。

 慌てて駆け寄ったアルナが治癒の光を呼びだしたのを見て、ふたりは気を失ったのだった。

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