第4話 足の先から見てくるやつは、だいたいろくでなし

 四人の奮戦は、魔物の一斉攻撃が止むまでつづいた。

 倒した魔物の数は、五十を超えていた。それほどに倒せたのは、アルナの治癒であるサニテムのおかげであった。三人は神聖術様様だとアルナを褒めたたえた。アルナは「運が良かっただけですよ」と言って謙遜し、今のうちに少し休むことを提案した。



「……もう十分魔物の数を減らしたんじゃないかな」


 ティダが壁に凭れ掛かったまま、息を切らして言った。ずいぶん霊力を使ったらしい。このまま戦いつづけて一番最初に力尽きるのはティダだろうなと、アルナは思った。

 疲れきっているティダに、フラウが頷いた。


「たぶんね……。銅章にしては出来過ぎだと思うよ」


「明日には多分、街から他の冒険者が来るよね」


「早ければ、今日の夕方には来るかも。街までそんなに距離離れてないし」


「じゃあ……あと一回くらいはここへ魔物が襲ってくるかな」


「だろうね。今のうちに寝ててもいいよ、ティダ」


「それじゃあ、お言葉に甘えて……」


 壁に凭れていたティダが目を瞑る。その隣でカイルも腰を下ろし、目を閉じた。ふたりは間もなくいびきをかきはじめ、眠りに落ちた。「相当疲れたんだろうね」とフラウが苦笑いした。アルナは「そうですね」と肯定し、ふたりのためにサニテムで治癒をした。


「やさしいね。アルナさんも疲れているだろうに」


 フラウがアルナの透き通る声を聞きながら言った。

 アルナは内心ニヤリとした。これでまたひとつ、聖女へと近付けた気がした。しかし嬉々とした感情が表に出ては意味がない。アルナはぐっと堪え、小さく首を横に振った。


「……神聖術士の務めですから」


「ボクが知っている冒険者の神聖術士は、もっと偉そうだったよ。どのパーティからも引っ張られるし、契約金も高い。だから他の冒険者よりずっとお金持ちだ。ひどい人は、お気に入りの人としか口を利かないって感じだよ」


「そんなことは――」


 ――ある。

 アルナは心の内で何度も頷いた。


 貴重な神聖術士は、とにかく態度が大きくなりやすい。どれだけ横柄になっても、仕事を失うことなどないからだ。年若い神聖術士でも同様だった。ベテランの冒険者相手に暴言を吐く若い神聖術士を、アルナは見たことがあった。


 だからこそ、アルナは謙遜な態度を取りつづけていた。心の内でどれほど負の感情が渦巻こうとも、笑顔を絶やさないように心掛けてきた。周囲の反応を観察し、最善の言葉を口にするようにしてきた。そうすることで他の神聖術士との比較が加速していくだろう。聖女と呼ばれる日もより近付くはずである。


「……それより、そろそろ撤退を考えたほうが良いですね」


 そろそろ浮つきはじめた心を抑えようと、アルナは話題を変えた。


 空を見上げる。

 枝葉に遮られた、薄暗い空が覗いていた。陽が落ちはじめる頃だった。夜になる前に森を出たいと、アルナは思っていた。夜の闇が、魔物を活発化させるからだ。さすがの神聖術士も、銅章冒険者と夜の魔物を相手取るのは厳しい。最悪の事態も起こりえるだろう。


「……そうですね。そろそろ――」


 フラウが頷いて、辺りを見回した。


 直後。

 森の奥で、嫌な気配が蠢いた。


「――っ! 待ってください。妙な気配がします」


「もしかして、もう次の魔物が!?」


「いえ、……そうではない、かも」


 アルナは杖を構え、顔を上げた。

 未だ、一番高い壁の上に神聖霊の狼がいた。狼もまた、アルナが感じた気配を察していて、そちらへ目を向けていた。しかし別の気配も感じたのか、二方向に意識を向けていた。


『人間が来る』


 狼が言った。

 アルナは首を傾げた。先ほど感じた嫌な気配は、人間のそれとは違っていたからだ。もしかして勘違いだったのだろうか。アルナは首を傾げたまま嫌な気配を探り直したが、すでに霧散していて、察することができなくなっていた。


 こんな森へ人間が来るとすれば、冒険者に違いないだろう。

 もしや街の冒険者がもう辿り着いたのか。アルナはホッとして、杖を下ろした。


 しかし、ホッとしたのは束の間であった。




「……っは! なんだあ!? 銅章のフラウじゃねえか!?」


 相手を馬鹿にする声音と、言葉。

 静まっていた森と、アルナが作った壁の中に、けたたましくひびいた。


「……ファザロ」


 フラウが苦い顔をした。視線の先に、二度と顔も見たくなかったファザロがいた。いつの間にかアルナが作った要塞の中へ入ってきていたらしい。ファザロの後ろには、集落の宿で一緒にいたファザロのパーティメンバーがいた。

 アルナは一瞬、狼のほうへ目を向けた。ファザロが来たなら来たと教えてほしかったからだ。しかし狼に悪びれた様子はなかった。狼にとって、アルナ以外の人間などどれも同じらしいのだ。



「はは、ずいぶんと頑張ったみたいだな。そこの神聖術士が面倒を見てくれたのかよ?」


「そ、それは」


「いや、いい、聞かなくても分かることだったな!? この壁を見ればな、よく分かるってもんだ! ははは!!」


 ファザロが大声で笑った。宿屋で会ったときよりも大きい声と態度だなと、アルナは思った。いや、あのときがあったからこその酷い態度なのか。まったく面倒なことである。


「やっぱ、その神聖術士はお前らには勿体ねえな」


 ファザロの目が、壁からアルナへ向いた。

 アルナは内心ゾクリとした。宿屋であれほど酷く断ったというのに、またも勧誘の手を伸ばしてくるとは思わなかったのだ。しかしアルナは奥歯を噛み締め、平静を装った。今の想いをそのまま表情に出せば、醜い顔になりそうな気がした。


「どうだい、神聖術士のお嬢ちゃん。俺たちと一緒にやらねえか??」


「……お断りします」


「なんでだよ? 今は周囲の目なんて、どこにも無え。芋虫退治の依頼だってとっくに終わっただろ? お前にデメリットなんて無えはずだ」


 ファザロが首を傾げた。

 本心で言っているのだなとアルナは思った。神聖術士を物扱いしている考えが、ファザロの目を曇らせているようだった。なんとも清々しい悪党である。こんな男と行動を共にすれば、聖女になる計画が早々に霧散してしまうだろう。


 しかしこれ以上頑なに断るのも悪手と思えた。

 ファザロはきっとプライドの高い男だ。断りすぎたり、批判しすぎたりすれば、必ず報復してくるだろう。あることないことを言いふらし、アルナの評判を下げる可能性もありうる。そうなってはアルナの未来は暗いものとなってしまうだろう。


 どうするべきか。

 アルナは悩んだが、良い答えを思い付くことができなかった。


「……え、っと、その、今はまだ、フラウさんとの契約がありますので、すみません」


「ああん!? めんどくせえ。そんなもの、お前からいつでも取り消せるだろ??」


「取り消す予定はありません。少なくとも街に戻るまでは」


 アルナはそう答え、ファザロに頭を下げた。

 するとファザロの目に、怒りの色が宿った。丁寧に断ったつもりであったが、やはり無駄であったらしい。怒りに満ちたファザロが、フラウを押しのけ、アルナに迫った。アルナは一歩後ろへ下がったが、すぐにファザロの大きな手に腕を掴まれ、引き戻された。


「まあ、待てよ」


 アルナの細腕を掴んだファザロが、ニタリと笑った。そうして数瞬、アルナの身体を下から上まで舐めるように見た。


 悪寒が走った。


 女というモノとして見られたことは初めてではなかったが、慣れるものではない。アルナは表情こそ変えなかったが、身体の内側に粟が立った気がした。吐き気まで覚えた。今すぐ距離を取り、ムルスを使って壁の中へ閉じ込めてやりたかった。しかしフラウたちの手前、ぐっと耐えた。まだ、なにかをされたわけではないのだ。聖女を目指すなら、こんなことで慌ててはいけない――


「――へへ、ホントーにイー女じゃねえか」


 ファザロのもう一方の手が、アルナの肩に触れた。



 ――ああ、無理だ。

 叫んじゃうかも。


 尽きない罵声を浴びせちゃうかも。

 ムルスで押し離して、狼に襲わせちゃいたいかも。


 アルナはファザロの手を見て、我慢の限界を感じた。



 次の瞬間。


「やめろ!!!!」


 声があがった。ファザロの左右に人影が回り、ファザロの両腕を掴んだ。

 フラウと、眠っていたはずのカイルだった。アルナの後ろにはいつの間にかティダがいて、ファザロに向かって杖を構えていた。


「これ以上は許さないぞ!!」


 フラウがファザロを睨んだ。

 しかしファザロは気後れすることなく、フラウたちを睨み返した。


「……ああ!? 誰が許さないんだ!? ああ!!? お前らか?? それとも、冒険者協会か?? ……はは!! 協会にチクりゃあ多少はお咎めがあるかもな!? だけど待てよ? 俺たちはただ勧誘してるだけだぜ? 女の腕を掴んじゃいけねえって規約もねえ。許されねえことはしちゃいねえよ!!」


「協会は関係ない! ボクたちが許さないって言ってるんだ!」


「ああ!? なんでだ!? 銅章のくせに!!?」


「銅章なんて関係ない! アルナさんはボクたちの仲間だ!」


 フラウが叫び、ファザロの腕をアルナから引き離した。カイルも同様にしたあと、アルナとファザロの間に立った。

 怒りに満ちたファザロが、剣を抜いた。剣先をカイルに向け、歪んだ顔で睨みつけた。ファザロの行動に合わせ、ファザロのパーティメンバーたちにも剣を抜き、フラウたちを取り囲んだ。一瞬、空気が震えた。その震えがファザロの剣に乗り、殺気を滲ませた。


「……おい、冒険者同士の決闘は規約違反だぜ?」


 剣先を向けられたカイルが、静かに言った。

 カイルの冷静さが鼻に突いたのか。ファザロの顔がさらに歪んだ。その歪みに合わせ、再び空気が震えた。


「協会の規約なんて関係無え! 俺がお前らを許さねえってんだ!!」


「はは。そうかよ。俺たちと一緒ってわけだ」


「銅章と一緒にすんじゃねえよ! ああ!?」


「……そうだな。お前のソレとは一緒じゃねえな」


「“お前”だと!? おい、銅章が。青鉄章の俺たちに“お前”だと!!? おい!!」


 ファザロの喚き声が、森にひびきわたった。すると再び、空気が震えた。三度目の震えは、その場にいる全員の身体を揺らすような、心臓の鼓動に似た震えだった。あまりの異様さに、喚いていたファザロの表情が硬直した。一拍置いて、ファザロ以外の全員が口を閉ざした。


 ドクリと。

 森の奥でなにかが蠢いた。

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