023 姫と『蒼月』001
ジデンの話を聞きユナはすぐにでも出発したいと考えたが、それに対してはジデンもウミルも賛成してはくれなかった。
「ユナ様はまず、体力を回復させてください」
ジデンたちの暮らす家は丘の上にあった。家の裏には小さいが山があり、そこに暮らす野兎などを狩ったり、野菜を育てたりして生計を立てているのだ。
「先生の本が少しでも売れればいいんですけどね」
ウミルの言葉にジデンはハハハハと乾いた笑い声をあげる。
「まぁ、今は歴史を学ぶよりも生きることの方が重要だからね」
ユナも一週間後には外に出ることができるようになっていた。実のところ目覚めてからすぐは体調がすぐれずにしばらくは寝込んでしまっていたのだ。それは竜族のユナにとって初めての経験だった。
体調不良はグリルも同じらしく目力の体内循環がおかしいということだった。
「ソルとの連絡もつかないままね」
グリルはユナと一緒にこの時代へと飛ばされた。ソルはジェイスたちと一緒だったためユナたちとはぐれてしまっていた。ピイちゃんの反応もない。気配はするようだが、おおまかな方角が分かるだけで距離などは分からなかった。
全ての感覚が鈍い。全身を不可視の膜で覆われたような感じだった。ユナはこの家の近くの森でウミルに発見された。焚きつけようの小枝や薬草を探して森を散策している最中に突如雷鳴が轟いた。雷が落ち、その場所に駆けつけてみると蔦に覆われたユナが倒れていたということだった。ちなみに持ち物はなく、それどころか服すら着ていなかったということなので見つけてくれたのがウミルで本当に良かったとユナは安堵した。蔦はグリルの仕業だろうと容易に想像できたが、なぜこの森だったのかは謎だった。
「姫様、体調の方はいかがですか?」
「ありがとう、だいぶ良くなってきたよ」
ユナは大きく伸びをする。本調子とまではいかないものの、なんとか自分を守れるくらいまでには回復していた。
「鞄をなくしたのは痛いわね」
すべての装備品が失われてしまった今、武器もなければ身を守る防具もない。魔法具がなければ幻影魔法も使えないのでユナは頭巾をかぶり角を隠していた。髪の色と瞳の色は誤魔化しようがないが、遠くからでは分からないだろうと希望的解釈の元にそのままにしている。幸い近くに民家はない。よほどのことがない限り他の人と会うことはないだろう。
「なくなっちゃったものはしょうがないか」
気持ちを切り替えることは大事だ。くよくよしているといざという時に判断を見誤ってしまう。大事なのは気持ちを切り替え【その時】に最善な判断を下すこと。決して感情に流されず冷静になる事が肝心なのだ。
「ユナ様、あまり無理をされますよお身体に障りますよ」
ウミルが寄って声をかける。ジデンは外出していた。『蒼月』のメンバーに連絡を取るために近くの村に向かっていた。
ジデンが帰ってきたのは夕方近く。そして、『蒼月』から返事が来たのが二日後だった。
「先生、何と書いてあるんですか?」
封書を開けたジデン。何を思ったのかその手紙をポイと床に落とした。
「先生、何をしているんですか!」
ウミルが叫び、慌てたように手紙を拾おうとする。
「待つんだ」
ジデンはウミルの手を掴んで止める。
手紙には魔方陣が描かれていた。
「この魔方陣は!?」
ユナが小さく叫ぶ。それは見慣れた魔方陣。精霊界に住んでいた頃に度々利用したことのある魔方陣。
それは転移の魔方陣だった。
魔方陣が輝いた。七色のその光は転移の光。何者かがこちらへ転移しようとしている。
魔方陣の光が収まるとそこには一人の女性の姿があった。
黒髪、黒瞳の傾国の美女。
「ヴェル……」
思わず口から彼女の名前がこぼれ落ちる。懐かしい名前、いつもユナを見守ってくれた優しい名前。
「ユナ様、お久しぶりです」
優しい笑顔で両手を広げた。
ユナにとってそれほど時間が経ってはいないはずなのに、もう年々も会っていないようななつかしさがこみあげてくる。
「ヴェル!ヴェル!ぶぇぇぇるぅぅ!」
ユナは泣きじゃくりながらヴェルに抱き着いた。
「まぁまぁ、綺麗なお顔が台無しですよ」
ヴェルはユナを優しく抱きしめながら頭を撫でた。
もう大丈夫だ、と。不思議と安堵の気持ちが広がる。
「いいの!ヴェルがいいの!」
緊張の糸が切れたのか、ユナが一気に幼児返りする。
ヴェルに抱き着いたまま離れないユナ。
「……っ!ヴェル様!?あの伝説の聖女様!?」
ジデンが目を丸くしている。
「素晴らしいですね。これこそ【愛】の力ですね!」
ウミルがうるうると涙目になりながら目の前の光景に見入っている。
「我々はこの歴史的瞬間に立ち会えた!なんと素晴らしい!」
ジデンは感動に打ち震えていた。
(嗚呼、ユナ様が……こんなにも素直になられて!)
ヴェルが恍惚とした表情でユナを抱きしめていると誰が想像しただろう。
ユナが落ち着くまで三者三様に感動に浸っていたのだった。
■ ■ ■ ■
「は、恥ずかしい……」
お茶に入ったカップを両手で握りしめ、ユナは椅子に座り込んで真っ赤になってうつむいていた。
「まあまあ、ユナ様。落ち着いてください」
その隣ではヴェルがウミルとジデンにお茶をふるまっている。それはユナたちが毎日のように飲んでいるお茶だ。
「いい香りですね」
ウミルがうっとりとしたようにお茶の香りを楽しむ。
「おお、これは素晴らしい。優しい味なのに力がみなぎるようだ」
「そうですね。これはルミナリス草とエルヴァーナの葉、フィオレアの花、アルマナの根、セリニア果実をそれぞれに乾燥させてすりつぶし、煎じたものです」
ぶーっ!とウミルとジデンが吹き出し、驚いたようにカップをテーブルの上に置いた。
「ウミル君!」
「先生!どうしましょう!私このお茶飲んじゃいました!」
「どうされました?まさか、味がおかしかったのですか?」
ヴェルの問いかけにウミルとジデンがブンブンと首を横に振った。
「いえいえ!とても素晴らしいお茶です!」
ジデンが叫ぶように言い。その横でウミルもその横で「味も香りも最高です!」と叫んだ。
ヴェルがさらりと言ってのけた材料はどれも伝説級の物だった。この世界には存在しないとされており、もし見つけることができれば不老不死や巨万の富を得ることができるとさえ言われている。
ルミナリス草は光り輝く花を持ち、黄金に輝く神秘的な花を持ち、疲労回復だけでなく、どんな傷や病も瞬時に癒す力を持つ。光を放つ花は、闇を払う力も持ち、呪いや悪霊から身を守る護符としても使われる。
エルヴァーナの葉。神々の庭から授かったとされる葉で、免疫力を超越した回復力を与え、あらゆる病を寄せつけない。飲んだ者は、長寿を得て、心身の健康を保ち続ける。
フィオレアの花。月の女神が祝福を与えたという伝説の花で、飲んだ者に深い眠りと、完全な精神の安定をもたらす。悪夢を追い払い、予知夢を見る力をも授けると言われている。
アルマナの根。大地の神から授けられたという植物の根で、無限の体力と力を引き出す。戦士がこれを飲めば、疲れを知らず、どんな敵にも打ち勝つ力を得るとされている。
セリニアの果実は星々の力を宿したと言われる果実で、デトックス効果を超えて、あらゆる毒素や呪いを浄化し、体と魂を浄める。飲む者は新たな生命力を得て、奇跡的な回復を果たすと言われている。
「冷めているようでしたら、もう一度淹れ直しますが?」
「ハ、ハハハ」
ヴェルの言葉にジデンは乾いた笑い声をあげながら遠慮の意を示した。もしこれで、請求書でも出されるものならウミルとジデンが一生働いても支払いきれないだろう。
「ヴェルのお茶は美味しいよ」
ようやく落ち着いたのかユナが明るい声を上げる。
「ちなみにこれらの材料はどこで手に入るんですか?」
「えっ、家だけど」
「い、家で採れたんですか!?」
ウミルが驚く。
「家庭菜園」
ユナは素直に答えた。ヴェルのお茶はユナが小さな頃から毎日のようにふるまわれていたものだ。庭先で採れた草花を煎じて淹れたお茶をユナは大好きだった。
「家庭菜園!?」
ユナの発言にウミルとジデンの二人が絶句する。
「ユナ様のお家って……」
伝説級の草花を家庭菜園で育てるようなご家庭をウミルは知らない。これは聞かない方がいい話だとウミルは自分に言い聞かせる。
「ヴェル様。一つお聞きしたいことがあります」
ジデンは気を取り直しヴェルに質問した。
「なんでしょうか?」
ヴェルは上機嫌に答えた。ユナに出会えたことでヴェルの機嫌は今までにないくらいに上々だ。今ならたとえ精霊界に連れて行ってくださいと言われても二つ返事でOKしてしまいそうなくらいだった。
「はい。私はクラン『蒼月』にユナ様に関することをお伝えしたと思うのですが……」
『蒼月』とヴェルの関係は噂程度にしか知らされていないことだった。ヴェルは公の場にはあまり姿を現さない。その彼女がこうして姿を現したということが事の重大さを改めて浮き彫りにした。
「そういうことですか」
ヴェルはカップをテーブルの上に置き、ユナの隣に立つ。
「ユナ様が『蒼月』のメンバーとお会いしたいとの意向を示されましたので、私がお迎えに参上致しました」
ヴェルは本来であれば、ユナの反応を感知した時点で迎えに行きたかった。しかし、ユナの意思を尊重し迎えに向かわなかったというのだ。ユナは冒険者を目指し精霊界を飛び出した。ヴェルはその意思を酌み助けたい気持ちをじっとこらえていたのだ。
「ユナ様が支援をお望みであれば、私が赴くのは当然です」
実際その通りだった。ヴェル以上にユナの事を知る人物はこの世界にはいない。
「ヴェル様はユナ様を愛していらっしゃるのですね」
ウミルの言葉にヴェルは「その通り!」と叫んだ。
「私にとってユナ様は全てです!」
『汝、世界を愛せよ、汝、ユナ様を愛せよ』
ヴェルは大真面目な顔で言い放つ。そのままユナを抱きしめ頬ずりするヴェル。
彼女はユナを愛していた。溺愛していた。
「ユナ様が私に隠れてこっそりと人の世に降りられた時には、身を引き裂かれるような思いでした」
うっすらと目に涙を浮かべる。
「しかし、これは試練!ユナ様の成長のための大いなる試練!そして、同時に私への試練でもあったのです!」
「はぁ、そうですか……」
ジデンは少々引き気味になりながらとりあえず頷く。聖女と謳われたヴェルのちょっと残念な姿に思考がついていかない。
「しかし、ユナ様が魔族によって汚染された障り神を見事に打ち滅ぼした時にはこのヴェル、感動に胸が打ち震えました!」
さらりと重大発言をした。
「魔族!?」
ジデンが叫んだ。有史以前、未だ神と悪魔、精霊界と物質界の境目があいまいな頃に生まれた小さな歪み。世界を破滅へと導く闇の意思。
「まさか……この一連の大災害は魔族が仕組んだことなのですか?」
厄災の原因が魔族の仕業とするならばこの不自然なまでの発生にも頷ける。
「そうですね。そうでなければこれだけの短い期間で厄災が連続して発生することなどありえません」
初めはマルシ森の厄災からスタートした。その時はユナの活躍もあり障り神は倒されたーーはずだった。
「ユナ様の倒された障り神に魔族が介入したのです。その結果、姫様は【時渡】に巻き込まれた」
「時渡?」
聞き慣れない言葉にユナが首を傾げる。
「時渡は、時空の裂け目を操り、相手を永遠の時の狭間に封じ込める恐怖の技です。この技を発動した者は、暗黒のエネルギーを集中させ、目の前の敵を強制的に時空の裂け目へと引きずり込んでしまいます」
引き込まれた相手は、時間も空間も存在しない無限の虚無に閉じ込められ、そのまま永遠に現世から切り離される。時間が止まった世界で、相手は決して老いることなく、しかし何も感じることも動くこともできない。ただ静止し、無限の孤独に苛まれるだけの存在となる。この技の恐ろしさは、その封印が事実上解けることがない点にある。唯一、封じ込めた悪魔自身が解除する以外に解放の手段はないが、その魔族が滅ぼされたとしても、時の狭間に封じられた者が解放されることはない。「時渡」は、魔族の中でも高位の存在しか使用できないとされ、古の時代から禁忌とされてきた技である。使用すれば、悪魔自身にも何らかの代償があると言われている。
もしも時渡が発動していたとしたら、被害はマルシ森どころでは済まなかっただろう。周辺諸国を巻きこもむほどの大災害になっていたはずだ。
「では、あれは魔族だったのですね」
魔核を破壊された障り神は本来であれば消滅するはずだ。しかし、ユナと対峙した障り神は明らかにおかしかった。
「私が異変を察知し、マルシ森に向かった時にはユナ様は自らの力で時を渡っていたのです」
【時渡】はいったん発動してしまうと逃れる術はない。しかし、逃れる方法が一つだけあった。
「それは、【時渡】の術中に同じく【時渡】を発動させることです」
「馬鹿な……そんなことは不可能だ」
ジデンが呻くように言葉を吐いた。同じ術同士で相殺し技そのものを中和する。いうのは簡単だが実現は不可能に近い。特に禁呪と呼ばれる類の術ならばなおさらだ。
「できます……ユナ様であれば」
確信を持った口調でヴェルが言葉を口にした。そこに確固たる信念が感じられた。不可能とまで言われることを成し遂げ、現にユナは時空を超えてここにいるのだ。
「ヴェル様、ユナ様は一体……?」
「……ノーコメント」
「…………??」
ウミルは質問したが、知らない言葉で返された。言葉の意味は分からなかったが、その質問にヴェルは答えてはくれないということだけは伝わった。
「ユナ様、落ち着かれましたらこれから出発いたしますよ」
「出発?」
「ユナ様は『蒼月』のメンバーにお会いしたいのですよね?」
ヴェルの言葉にユナは「そうだった!」と思い出したように頷いた。ヴェルに会ったことでユナの中で全てが吹き飛んでしまっていたのだ。
「では向かいましょう。転移の魔方陣を使えばすぐです」
「すごい……!」
ウミルは驚愕してヴェルを見た。転移の魔法は不老不死と並んで未だ実現不可能な魔法の一つだった。場所から場所への移動。とはただ点と点の移動ではない。原因の一つとして大陸の移動という問題があった。夜空の星の如く、この世界も暗い夜空の中を回っていることに起因するといわれ、転移先をどうしても確定することができないのだ。ほんの短い距離でも瞬きしている間に全く見当違いの方向に移動してしまう。
「この世界には宇宙や惑星の自転・公転の概念などないでしょうからね。ましてやそれらを小さな脳で演算処理して転移を行うなど不可能です」
「「??」」
ウミルとジデンは首を傾げるばかりだ。
「ヴェルは時々難しいお話をするんだよ」
ユナがぷうっ!と頬を膨らませながらボヤいた。どうやら時々自分にも分からないことを言われてモヤモヤすることがあるらしい。
「いや……そういうことではなくてですね」
ウミルはユナをなだめながらも何か世界の秘密を垣間見たようなそんな不思議な気持ちになっていた。
「まぁ、いいじゃないか。聖女様は何でもできるのさ」
ジデンの言葉にウミルは「またそんな適当なこと言って!」と目くじらを立てた。しかし、これ以上考えても出てこない。ウミルは考えることを止めにした。
「ではユナ様、参りますよ」
「えっ、今すぐ?」
ユナはお茶を飲みながら驚いてヴェルを見た。
「はい。『蒼月』の皆さまが非常に会いたがっていますので」
「みんな?」
メンバーということは現在の『蒼月』の構成員ということだ。ヴェルも力を貸しているということだし、きっと事あるごとにユナの話をしているのだろう。
「皆さま、今か今かと首を長くして待っていますよ」
いったいどんな人たちが待ち構えているのだろうか。ヴェルがどんな紹介の仕方をしているのだろうか……かつて、よく訪れていたルソナ村ではヴェルの【布教活動】のおかげで、まるで王侯貴族のような待遇で歓迎され、子どもながらに困惑した者だった。
今回もそうでなければいいのだが……
「ええっと、このままの格好でいいのかな?」
今のユナは幻影魔法がかかっていない状態だった。角こそ頭巾で隠されているが、そんなものはすぐに分かる程度のものだ。それに髪や瞳の色はごまかしきれない
「大丈夫です」
確信のある声でヴェルが言った。
「行けば分かりますよ」
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