005 瘴気と王子

 ユナはピイちゃんを追って森の中を進む。


「うっ…」


 森の奥に連れて瘴気が濃くなっていく。

 ユナはハンカチで口元を覆いながら森の中を進んだ。正直息をするのも辛いほどだ。先ほどの木の下にいた時には気づかなかったが、木を離れると生ぬるい瘴気が辺りを包み込んでいる。 


 ピィ!ピィ!


 くじけそうになるとピイちゃんが飛んできてユナを急かす。


「もう、分かってるわよ」


 草や木の枝でユナは汚れながらも進む。

 やがて開けた場所へと出ると、そこには多くの騎士たちが血を流し倒れ伏していた。

 修羅場と化したその場に、かすかなうめき声が響き、中には動かない者もいた。


「なに……これ?」


 ユナは震えながら目の前の惨劇を見つめた。体が激しく震え、足に力は入らず、そこから動くことができなかった。

 倒れた数人の騎士らしき者たちは血を流し、その姿は無残そのものだった。


「こんな、こんなことって……」


 言葉にならない悲鳴を胸の奥に押し込める。ユナの目の前には、無残に倒れ伏す騎士たちの姿が広がっている。その中で、かろうじて息をしている者もいれば、生きているかどうかも分からない者もいた。

 周囲には魔物の気配があった。よく見れば魔物の死体があちこちに倒れている。死闘の末、何とか生き残ったというところか。魔物の襲撃と賊の襲撃が重なったというのもおかしな話だ。

 偶然などではない計画的な犯行だと思われた。


「どうして、こんな……」


 ユナは呆然としたまま、一歩ずつ前に進む。彼女の小さな足音、静まり返った森の中に響く。


「……誰か……返事をして!」


 恐る恐る声をかけるが、返事はなかった。ユナは絶望的な気持ちで場に立ち尽くしていた。


「ピイちゃん……どうしたらいいの?」


 ユナの肩に留まったピイちゃんが悲しげな鳴き声を上げる。


(そうだよね。震えていちゃダメ!)


 ユナは自らを鼓舞した。血を見るのはこれが初めてではない。ルソナ村に立ち寄った時もヴェルと一緒に魔獣に襲われ怪我をした人々の治療を行った事もある。

 今が一刻を争うときであるということはユナにも十分に理解できた。


 パン!


 ユナは自分の両頬を思いっきり叩き、心配そうに自分を見つめるピイちゃんに笑顔を見せる。


「ごめんねピイちゃん。もう大丈夫だよ」


 ユナの視界の端に動く影が見えた。彼女はその方向に目を凝らす。


「……あそこに誰かいる!」


 ユナの胸が高鳴った。目に飛び込んできたのは、息も絶え絶えの若い女騎士の姿。血と泥にまみれたその顔には、まだ消えない闘志が宿っていた。


「大丈夫ですか?」


 ユナは駆け寄り、震える手で女騎士の肩を支えた。だが、目に映るのは、背中を深く裂かれた鎧と、止まることのない血の流れ。胸に刺すような緊張が走る。


「わ、私は大丈夫……それよりも、あのお方を……!」


 声を絞り出すようにして、女騎士は前方を指さす。その先には、血に染まった少年が倒れていた。


「どうして……」


 ユナは少年に駆け寄ると身体を抱き起す。

 少年は魔物の襲撃によって傷を負っていた。簡素だが銀の鎧を身にまとっていた。

 呼吸が荒い。肩口の傷がひどく、瘴気によって汚染されているのが分かった。


「グリル!」ユナは叫んだ。


 瞬時に現れた緑の精霊、グリル。その登場と同時に、瘴気がわずかに薄らいでいく。


「姫様、ここにおります」


 緑を身にまとった少女がユナに対してひざを折る。グリルが現れただけで周囲の瘴気が薄れた。


「あなたの力が必要なの。お願い力を貸して」


「もちろんです!」


 グリルの声と共に、周囲は温かい緑の光で満たされた。


「精霊……まさか……精霊様が……」


「精霊様が我々の前に!?」


 周囲の騎士たちは驚愕にざわめき始める。本来、精霊は人の前に姿を現すことはない。あったとしてもよほど高位の精霊使い出なければ召喚することはできない。しかも、言葉を交わせるほどの上位の精霊など聞いたことがなかった。

 グリルが騎士たちに向かって手をかざす。


 精霊魔法【癒しの光】


 緑の光が騎士たちの傷を癒し、傷口がみるみるふさがっていった。


「き、傷が癒えていく……」


「奇跡だ!」


 騎士たちは驚きに目を見開き、身を起こし身体の傷を確認する。


「ソル!」


 ユナの呼びかけに応じて風をまとった少女が現れた。青く透き通った姿で淡く光を放っている。


「ま、まさか!?精霊が……二体!?」


 騎士たちは卒倒しそうになりながら目の前の光景に目を見開く。過去の歴史を振り返っても精霊が人の前に姿を現したことなどほとんどない。

 奇跡が起こっていた。


 精霊魔法【浄化の風】


 驚愕する騎士たちをよそに、風と光が力強く混ざり合い、少年の傷を覆っていく。浄化の風が瘴気を吹き飛ばし、周囲の空気が清らかに変わった。


「おお!なんということだ!」


 ソルの力で瘴気が浄化され、空気が清涼となった。騎士たちが周囲を見渡すと今まで瘴気で淀んでいた空気が清らかなものへと変っていた。

 ここが汚された土地だと一体誰が信じよう。

 

「レ、レオン王子!」


 先ほどの女性の騎士が少年へと駆け寄る。少年の傷はふさがっていが、少年の顔色はすぐれず、息は荒いままだった。


「王子は……王子はどうされているのだ!」


 泣きそうな顔になりながら、すがるようにユナの肩を掴んだ。他の騎士たちはグリルの力で回復しつつあったが、少年状態は深刻だった。


「これは……呪毒です。少年は呪毒に侵されています……」


「ま、まさか……そんな……!」


 グリルの言葉に女性の騎士は悲鳴をあげた。

 呪毒とは毒のみならず呪いを付与した毒の中でも最悪のものだ。毒は解毒できても呪が残る。そして、侵された者は一日と経たずに死を迎えるのだ。


「……なんということだ!」


 女騎士は小さく震えながら少年を抱きしめる。


「王子、レオン様!」


 涙を流しその胸にすがりついた。


「大丈夫。この状態は治せます」


 ユナは静かに女騎士の肩に手を置いた。驚きと希望が入り混じった表情で、女騎士は振り向く。


「ほ、本当なのか!?」


 ワラにもすがる思いで、女騎士はユナの手を取った。冷たく震えるその手が、彼女の不安を物語っている。


「この少年は必ず治ります。その代わり、一つだけ約束して欲しいのです」


「約束……?」


 女騎士は眉をひそめたが、ユナの真剣な瞳を見つめると、ゆっくりと頷いた。


「ああ、騎士団長シャルティアの名において必ず守ると約束する!」


 シャルティアは迷うことなく力強く答えた。彼女の目には決意が宿っていた。


「命を差し出せというのであれば差し出そう。私にできることであれば、なんでもする!」


「そんなに難しいことじゃないわ」


 ユナは穏やかに笑みを浮かべたが、その目は鋭く光っている。

 周囲を見渡せば、騎士たちは心配そうな顔で二人を見守っている。彼らの間にも緊張が漂っていた。


「約束してほしいのは、『ここで見たことを誰にも言わない』ということ」


 シャルティアは一瞬、目を見開き、唖然とした表情を見せた。


「そんなことでいいのか?」


 予想外の要求に拍子抜けしたように、シャルティアは呟く。周りの騎士たちも、口をぽかんと開けたまま、ユナを見つめていた。


「そう。それが私とあなたたちとの約束です」


 ユナは穏やかに告げたが、その言葉には揺るぎない力が込められていた。シャルティアは真面目に頷いた。


「約束しよう!お嬢ちゃんのことは誰にも話さない。騎士たちにも必ず約束させる!」


 シャルティアは剣を掲げ「この剣に誓って!」と声を上げた。

 他の騎士たちも同じように剣を掲げる。


「分かりました」


「「姫様!」」


 グリルとソルが少年との間に割って入った。


「おやめください。御身を人族の前にさらすなど」


「グリル、ソル」


 ユナは二人の精霊を見つめる。その瞳には真摯な思いがあった。


「「……分かりました。姫様のお望みのままに……」」


 二人の精霊が姿を消す。

 ユナは少年の前に立ちあがる。


(精霊を従わせるだと!?)


 畏怖にも似た感情が湧きおこった。目の前にいるこの少女は何者なのだろうかという思いが脳裏をよぎる。精霊を従え、その力で騎士たちを癒し、瘴気すら浄化した。

 そして、先ほどまで張り詰めるようにしてあった殺気は消え襲撃もぴたりと止んでいた。魔物も気配を感じなくなっていた。


「あなた様は聖女様なのですか……」


 それは伝承や伝説の中でしか語られることのない存在。

 そんな尊き存在が目の前に……と歓喜にうちふるえる彼女の前で信じられない光景が繰り広げられる。

 少女が頭巾を取った。


 次の瞬間。


 神秘的としか言いようのない光景を目にした。

 頭巾を取った。すると陽の光を髪に宿したかと思われるほどに髪が白銀に輝いた。瞳は太陽の如き黄金色。その頭には銀の光を放つ二本の角。その姿は教会や王宮のみならず、街の壁画や祭事の際に皆が目にする姿。白銀の髪、黄金色の瞳はどの種族にもいないとされている。ましてや銀の角を持つ存在は唯一無二。

 光を浴びた木々がざわめき、枯れた枝に生気が宿った。若葉が芽吹き大地の草花が息を吹き返した。

 目の前の光景に誰もが度肝を抜かれたまま声も出せない。

 開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 

「ま、まさか……!!!」


 その場にいた誰もが我を忘れひざを折り首を垂れる。それは高貴な者に対する礼儀。神聖な神に匹敵する者に対する崇拝。

 神々しい光に包まれた少女。

 伝承や伝説どころではない。

 神話級の存在。

 驚愕がゆるゆるとやってくる。


 光を司る白竜ーー竜神ヴァナルガンド。


 天地創造の神にも匹敵するといわれる竜神だ。

 しかし、その存在は神話の世界の話であり、今はその役目を終え深き眠りについたと言われている。

 その存在が目の前に現れたこと、王子の危機に際しその姿を現したこと。


「おお、神よ……」


 その場にいる誰もが動くことができなかった。


「癒しを!」


 少女の言葉と共に光があふれ、少年の体を包み込んだ。

 するとどうだろう。少年の土色だった顔に生気が宿り、荒々しかった呼吸も穏やかなものへと変っていった。


「王子!」


 女騎士が少年を抱き上げる。

 腕に少年の体温を感じた。少年は確かに生きている。


「……あ、ありがとう……ございます……」


 それ以上は言葉にならなかった。


「休息が必要です。皆、おやすみなさい」


 少女の言葉が騎士たちの耳に届く。

 同時に。

 あらがい難い睡魔が襲ってきた。

 次々にその場に崩れ落ちる騎士たち。

 女騎士も抵抗を続けたが、ついにはその場に崩れ落ちてしまった。


(竜神……ヴァナルガンド様……)


 女騎士の意識は闇の中に落ちていった。

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