聖王歴4302年

002 新しい世界の始まり

002 新しい世界の始まり


 彼女は暗闇の中で目を覚ます。

 ぼんやりとした意識の中で考える。


 ここはどこだろうか?と。


 世界の始まりを見ていた。

 人間たちが文明を築き成長する様子を見ていた。

 人々がものすごい速さで動き、家ができ、集落を作り村となり、街となり、やがて国へと発展していく。人族と亜人族が手を取り合い闇を打ち払う姿には感動を覚え、疫病に侵され朽ちていく村や街を見ては心を痛めた。

 そして、世界が目まぐるしく変化していく。

 山が雨に削られ渓谷となり、河は平地に流れ肥沃な森をつくり出す。森には生き物があふれ、活気に満ちていた。

 その様子を俯瞰しながら彼女の意識はまたも混濁する。

 ゆっくりと温かな光に包まれながら彼女は夢を見続けた。


「……さま」


 夢の中で声が聞こえた。


「お……さま」


 懐かしい声が耳元でささやく。


「おじょうさま」


 身体を揺すられる。まどろみの中、彼女はゆっくりと目を開けた。

 目を開けてまず最初に目に飛び込んできたのは漆黒の髪と白い肌。そして黒色の澄んだ瞳が彼女の瞳をじっと見つめている。


「わっ!?」


 思わず彼女は叫んで飛び上がった。先ほどまで心地いい夢を見ていたような気がしたが、そんなものすぐに吹き飛んでしまった。

 

「お嬢様、どうかされましたか?」


 不思議そうな顔で首をかしげているヴェル。ヴェルは小さい頃から彼女の世話をしてくれていた。


「おはようヴェル。なんだか不思議な夢を見ていたの」


 彼女はヴェルに夢で見たことを話した。ヴェルは彼女の話をゆっくりとかみしめるように聞いていた。


「……そうですか」


 話を聞き終わると満足したように頷いた。どうしたの?と聞くよりも早く「では、ご飯にしましょう」といってさっさと身支度を手伝い始める。


「もう、私の話をちゃんと聞いてよ!」


 ぷくっと頬を膨らませて抗議する。


「もちろん。ちゃんと聞いていましたよ」


 彼女を朝食の席へと向かわせながらヴェルは微笑んだ。

 着替えを済ませ彼女は靴音を響かせながらドアを開け外に出る。

 出るとすぐに待ちかねたように白い小鳥が彼女の肩に舞い降りてきた。


「こらピイちゃん、まだ遊べないんだから!」


 耳たぶをピイちゃんと呼ばれた白い小鳥につつかれ彼女はくすぐったそうに笑い声をあげた。

 風が吹いた。風は彼女の白銀の髪をなで、太陽の光はその黄金色の瞳に光を反射した。白銀髪黄金瞳の少女。その頭部には耳の上あたりから後方へと伸びる二本の銀色の角があった。大人になれが画家や貴族たちが黙ってはいないだろう。今でさえ幼いながらもその輝くような愛らしさを周囲に振りまいている。


「ユナ様、お席におつきください」


 彼女の目の前には広大な草原が広がっていた。

 その中にぽつんと白いテーブルクロスをかけたテーブルが置かれていた。テーブルの上には果実ジュースのコップとパンと果物を載せた皿が置かれている。


「はーい」


 元気よく返事をしてユナは席に着いた。朝日とそよ風が心地いい。

 涼しい風にうっとりとしながらユナは手を合わせる。


「風と大地の実りに感謝を!」


 宗派などはない。これは物心ついたころからずっと行っている習慣だった。


「それではいただきます」


 ユナはおいしそうにパンにかじりついた。

 パンの端を小さく千切るとそれをテーブルの上に置いた。ピイちゃんがテーブルの上に舞い降りるとパンの切れ端をつつく。


「どうお、おいしい?」


 ユナの問いかけにピイちゃんはピィ!と答えた。

 ピイちゃんの鳴き声にユナは満足そうにうなずくと再びパンを食べ始めた。


「ユナ様、こちらは苺のジャムです」


 ヴェルがユナのパンに苺を塗る。


「ユナ様、ほっぺにジャムがついております」


 ヴェルがユナの頬についたジャムをふき取った。


「もう、自分でできるんだから」


 ユナはヴェルからタオルを受け取ると自分でほっぺをごしごしと拭いた。


「そんなに荒々しく拭いてはほっぺが傷ついてしまいますよ」


 心配そうに見つめるヴェルにユナは「大丈夫よ」と言うと、そのまま果物にかじりついた。ヴェルが「ナイフをお使いください」と言われてもユナは気にせず果物を咀嚼する。


「またそんな食べたかを……お行儀が悪いです」


 ヴェルは苦笑交じりにため息をつく。


「いいのいいの!」


 ユナはそう言って楽しそうに笑った。


「そんなことでは古竜様に笑われてしまいますよ」


 ヴェルの優しい声に、ユナはふっと笑いながら振り返った。彼女の視線がその先に向かう。ヴェルとユナが暮らす家の裏手、そこには巨大な岩が静かに佇んでいた。しかし、よく見ればそれがただの岩ではないことがわかる。遠くからその姿を眺めると、それはまさに巨大な竜の形をしていた。

 それは、はるか昔に世界を創造したとされる伝説の古竜。その名は「世界創成記」として語り継がれ、最古にして最初の竜とされている。魔法の始祖であり、知恵の神、そして命の根源とも呼ばれる存在。ヴェルはいつも、古竜が今もここで眠っているのだと話していた。

 ユナは古竜の話が大好きだった。何よりも、古竜のことを語るヴェルが本当に楽しそうだったのだ。ヴェルの表情が輝き、彼女の言葉にはいつも温かさと敬意が感じられた。それを見ているだけで、ユナの心も自然と嬉しくなってしまう。

 けれど、ユナが好きなのはそれだけではなかった。彼女は冒険者の話にも夢中だった。名も知らない若き剣士が、厳しい修行を経て魔物を退治し、やがては魔王を倒すまでの冒険譚。それはユナの心を掴んで離さなかった。彼女はいつもワクワクしながらその話を聞き、自分もいつか冒険者になりたいと夢見ていた。まだ見ぬ世界、そして未知の冒険――世界は広く、ユナにはまだ知らないことがたくさんあるのだ。


「古竜様は行儀の悪い子が嫌いなのかな?」


 ユナは少し心配そうに問いかけた。古竜がどんな性格をしているのかは知らないが、強大な存在だからこそ、厳しいのではないかと思ってしまう。


「そうですね……ユナ様を嫌いになることはないでしょうけど、きっと少し嫌な顔をされるかもしれませんね」


 ヴェルはまるで昔を懐かしむように微笑んで、楽しそうに答えた。だが、ユナはその笑顔の奥に、わずかな寂しさを感じ取った。

 ヴェルはいつも楽しく話してくれるが、どこか遠い過去に思いを馳せているような表情を見せることがある。その表情は、まるで失われたものを懐かしむかのようだった。ユナは、その小さな寂しさに気づきながらも、どうすることもできず、ただヴェルの話に耳を傾け続けていた。


「さあ、早く食べてください。今日は村に行く日ですよ」


 ヴェルの言葉に、ユナの瞳がぱっと輝いた。


「そうだった!」


 今日は年に数回だけ訪れる特別な日――人族の村に遊びに行ける日だ。ユナにとって、それは何よりも楽しみな時間だった。村には行商人が集まり、村人たちも顔を見せ、ちょっとしたお祭りのような賑わいを見せる。普段は歴史の勉強や作法、ダンスの稽古に追われる日々だが、この日ばかりはすべて免除され、自由な時間が与えられる。

 ユナは食事を急いでかき込み、慌てて家の中へと駆け込んでいった。


「急がなくちゃ!」

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