漆黒の聖女と白銀の魔女

須賀和弥

001 プロローグ

 世界開闢と同時にその竜は生まれた。


 光を司る白竜、闇を司る黒竜。

 世界に大地が生まれた。大地の守護者、地竜。

 大地に雨が降り川が流れた。水の守護者、水竜。

 風が世界を包み込む。風の守護者、風竜。

 大地の力、火山が生まれ大地が動き出す。火の守護者。火竜。

 六匹の竜は世界を支える柱となり。世界には命が芽生え始めた。 


 白竜は永遠とも思える時を生きていた。

 まだ猿に等しき人間たちに「火」を与え、生きる術、戦う術を教えたのも彼女だ。

 猿はやがて「人」へと進化し己が力で文明を築き上げるほどにまでに昇華させた。

 彼女の力は世界を満たし、その力はやがて「魔法」と呼ばれるようになった。

 魔法は彼女の力であると同時に世界を包み込む神の力でもある。

 既に彼女の力は世界を作り上げた「神」と同等の力となっていた。

 その世界の始まりのきっかけを与えた彼女の心はひどく沈んでいた。


 嗚呼、世界が終わる。


 長い時を経て育て上げてきた世界。

 血肉を分け与え、知恵を授けた世界。

 その世界が今、滅びの時を迎えようとしている。


 それは最初小さな歪みから始まった。

 世界の端々に現れる黒い靄のような歪み。それはやがて意思をを持つかのように吹き溜まり淀みいつしか人の形を取るようになっていた。

 それは地を歩き、時には空を飛び人の暮らす町や村へと辿り着くと人や獣へと乗り移った。

 そして、闇をまき散らすのだ。

 それは病であり、争いであり、死であった。

 人々がその闇に気づき対抗し始めた時、闇は世界のほとんどを埋めつくそうとしていた。

 世界は闇に包まれていた。

 人々力を合わせ闇に抗い魔法の力で祓うようになった。

 人族だけでなく亜人までもが力を合わせ、ついには世界から闇を一掃するまでに勢力を取り戻した。

 再び世界は安寧の時を迎える。

 

 彼女はようやく安心して暮らせる世界を手に入れたのだ。


 しかし、平和を手に入れた世界は再び戦火に包まれることになる。

 かつては手に手を取り合った者たちが今度は互いに争い世界を炎に包み込もうとしていた。

 竜は戦いの炎を見るたびに悲しくなった。

 闘いが起これば再び世界に闇が現れる。

 闇とはすなわち心の「負」の力が具現化したものだ。

 知恵をもつ者が現れれば必ず闇が生まれる。

 光があれば闇が生じるのは必然。

 再び闇が力を取り戻しつつあった。

 世界は混沌に包まれ始める。

 その最中、彼女は最期の時を迎えようとしていた。


「王よ」


 光に包まれた少女が老いた竜に声をかける。

 竜は彼女の言葉に応じることはなかった。

 竜が動かなくなってから既に何百年もの月日が流れていた。動かぬ主に少女はさらに語りかけた。


「王よ。近くの丘に綺麗な花が咲いております」


 彼女は愛おしそうに竜の前足に寄り添う。

 彼女には最古の竜の命があとわずかだということが分かっていた。

 命にはいずれ終わりがくる。


「世界を創りし偉大なる王よ」


 彼女は言葉を紡ぐ。たとえそれが竜の耳に届いていなくとも、たとえそれが彼女の自己満足でしかないとしても、彼女は言葉を続けた。


「人々は疲弊しております」


 たとえそれが良くない事柄だとしても、


「世界にはあなたの力が必要なのです」


 竜の耳に届けたかった。


「世界には闇がはびこっております」


 少しでも、


「世界には……私には……あなたが必要なのです」


 自分を感じて欲しかった。

 言葉を交わしたかった。

 その時、奇跡が起こった。

 今まで何百年と動きを見せなかった竜の目がゆっくりと開けられたのだ。


「おお、王よ!」


 彼女は歓びの声を上げた。

 竜の瞳に力が宿り、彼女を見据える。


「長い……夢を見ていた」


「そうでございますか」


 彼女は竜の言葉に聞き入る。一言一言一字一句漏らすことのないよう。全ての言葉を聞き洩らさないよう。

 それが今の彼女にできる唯一の事だった。


「どのような夢でございましたか?」


 竜の言葉を聞くことができただけで彼女は満足だった。

 歓喜が彼女の心を満たす。

 同時に奥底に湧き上がる暗い影。

 それを振り払うかのように彼女は大きく頭を振った。


「世界に……光が満ちていた。建物は天にも届くほどに高く。街は夜の闇から解放されていた……」


 夢か現実か、それは分からない。


「ヴェルよ」


 竜が彼女の名を呼ぶ。


「なんでございましょうか」


 たとえ命を絶てと言われても従う気でいた。それほどまでに彼女は従順だった。

 竜は彼女の母であり、目標であり、命であり、全てであった。

 

「私はもうじき死ぬだろう」


 その言葉は彼女に大いなる衝撃を与えた。それは彼女が今まで決して口にすることも心の中に呟くことすら禁じていた事柄だった。


「そのようなことをおっしゃらないで下さい」


 声が震えているのが分かる。悲しみに打ちひしがれ膝から崩れ落ちてしまいそうになる身体を必死になって支えた。


「私はもうじきこの世界から消える。でも心配することはないよ」


 慈愛のこもった瞳でヴェルを見つめる。


「私は再び世界に帰ってくる。魂は全て繋がっているんだ」


 竜の言葉にヴェルは悲しみに耐え嗚咽を押し殺して頷いた。

 言葉に力はなく。竜の周囲を覆うオーラが急速に弱まっていく。

 竜の衰退。それは世界に大きな影響を与えることにつながる。


「王よ。ご安心ください」


 うつむいてはいけない。悲しいんではいけない。

 王であり、母である竜に心配されるなどあってはならない。


「世界は必ず私が守ります」

「ヴェルよ。愛しい我が娘よ」


 竜が名を呼んだ。


「……はい」


「世界を……世界の行く末を……」


 竜が光に包まれる。


「はい。この目で見届けます。見届けて見せます」


 光が空に舞う。

 闇夜に浮かぶその光はやがて世界を包み込んだ。

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