夏祭りに行こう!

 大掃除から数日後。俺とトキ、シゲヒラ議員は無事に居酒屋を復旧し、ご褒美として近場の夏祭りに参加することとなった。ご褒美、というとアレだが一応金は全部こちら持ちである。財布が寂しくなるが、まあ漁船『債務者御一行』が手に入るからチャラになるはずである。多分。


 暗黒街の廃墟の一角を占拠して作られた会場は、至る所に提灯と屋台が出ている。残念ながら提灯の色がレインボーだったり出店のりんご飴がケミカルバーに変貌していたりするが、それ以外は懐かしい光景である。俺達はそんな中をゆったりと歩いていた。


「意外と古めかしい文化があるのね」

「ああ、こういう文化に詳しい暗黒街の住人が始めたのがきっかけらしいぞ」 

「懐古厨……?」

「文化と伝統に対して何てこと言ってるんだ!?」


 隣にいるのは和服を着たトキ。頬を膨らませて抗議するアヤメちゃんを宥めて手に入れたのがこの服だ。因みに俺とシゲヒラ議員用の物も借りており、頭が上がらないとはこのことである。まあ変な事言って来たらまた本拠地を更地にしてやるのだが。


 行き交う人々は23世紀の装いをしており、ところどころ身体改造や遺伝子改造が見られる。それでも夏祭りの姿は大きな変化がないことに俺は安堵を覚える。皆和服やそれに近い物を着て、菓子を食べながら提灯の下で出店を巡る。少し北に行けば太鼓とやぐらがあり、人々が踊っているのが見えた。


「どうも~すくってかないかい~」

「金魚すくいか、懐かしいな」


 屋台ではさまざまな催しがされている。俺にはさっぱり分からない機器を駆使した未来的なものもあれば、懐かしい物もある。しかし金魚すくい、未だに健在なのか。金魚が大きくなりすぎるから友達の親が揃って悲鳴を上げていたよなぁ。良い思い出だ。


「金玉すくい、1回1000クレジットだよ~!」

「金玉すくい!?!?」


 前言撤回、全く知らない別のナニカだった。すくうのはスーパーボールと金魚、ミドリガメくらいじゃねえのかよ! 俺は慌てて声がする方を覗く。すると……た、確かに浮いていやがる。氷水の中にプカプカと肌色のものが。


「何で金玉をすくうんだよ! そこはスーパーボールとかだろ!」

「でも景品は高くて使い勝手の方が良くないかしら」

「急に真面目な話をするなよ! 確かに金玉の方が金魚やスーパーボールより換金率良いだろうけどさ!」

「それに見た目もインパクトあるじゃない」

「そりゃ金玉プカプカはインパクトあるよ! 男風呂ですら見ねえよこんな光景!」


 プールの中には肌色の金玉……だけではなく、カラフルな金玉も混ざっている。まあ23世紀、肌の色も自己表現な時代なので何もおかしくはないのだが、レインボーに発光してるやつだけはどうなってるんだ。お前光が漏れたらマジの異常者だぞ。


 通り過ぎる親子らしき二人は「お母さん、あのオレンジ金玉欲しい~」「駄目よ、責任もって飼えないでしょう」なんて話をしているがどうなってんだ23世紀。責任もって飼えるなら金玉をペットにしてOKな家庭なんてあっていいわけないだろ。もっとまともな生命体をペットにしろよ。屋台の親父は通り過ぎる人々に、馴染みのあるワードで呼びかけを始める。


「アメリカ産の質の良い金玉が入荷してるよ~」

「聞き覚えがある話が始まったな」

「数式釣りとかないのかしら……」

「ねえよ!」


 トキは興味深そうに金玉を眺めながら呟くが、俺としては一刻も早くこの場を離れたくて仕方がない。多分その金玉がプカプカ浮かんでる原因の一旦は俺にあるからだ。アルタード研究員の野郎、アメリカで取った金玉はアメリカで消費しろよ、地産地消の精神を尊ぶべきだろ。


 俺達の視線に気づいたらしい店主の親父はこちらを見てニヤリと笑う。


「おう兄ちゃん、今なら10回連続で1金玉無料キャンペーンをやってるぜ」

「ソシャゲのガチャのノリじゃねえか……」

「1回お願いできるかしら」

「するの!?」


 トキは腕をまくり、店主の親父から金魚すくいで使うような紙製の道具を受け取る。因みにこれの名前はぽい、と言う。金玉用ぽいを持ったトキは慎重にプールでプカプカ浮かぶ金玉に狙いを定め、すっとすくい上げようとする。


「あっ……」


 が、残念ながら所詮は紙製の道具だ。ぽいはあっさりと破け、丸々とした金玉は氷水の中に再び戻っていく。まあ一回やって懲りただろう。それに変なペットが増えてもかなわん。俺はトキの肩をぽんと叩くのであった。


「まあ金玉は重いもんな。ドンマイ」

「悔しいわ、もう一回……!」

「そんなに金玉欲しいの!?」





 ◇◇◇





「悔しい……取れなかったわ……!」

「残念がりすぎだろ。どこに執着する要素があったんだ?」

「シゲシゲの金玉が混ざっていないかと思ったのよ」


 どういう理由だよ、あとシゲヒラ議員へのあだ名が独特すぎる。いや、大掃除とゴールポストの襲撃を共に乗り越えたことで友情が芽生えたのは分かるんだけど。


 まあいちいち突っ込んでいてはキリが無い。次に俺達の目についたのは、やぐらの周りで踊る集団だった。もともとこの場所は爆撃により更地になってしまった空間だったが、そのお陰でこの建物が雑多に立ち並ぶ暗黒街では数少ない、多くの人々が集まれるスペースになった、という過去がある。何故知ってるかって? ……あれ痛かったんだよな。


「おお、向こうは踊ってるなぁ。ああよっこらしょ、どっこいしょってか」


 そういえばこっちに来てから見たダンスと言えば、サイケな光とバカバカしいくらいに五月蠅い重低音の中でのブレイクダンスくらいである。身体改造によりできることが広がった結果、より派手な方向へ進化を続けていった結果らしい。


 とはいっても盆踊りは変わらない。聞き覚えのある音楽と動きが向こうから流れてくる。


『Yo! こらSHO!』

「もう突っ込まないぞ」


 なんでラップ調なんだよ。由緒正しき日本の伝統はどこへ行った。一方トキは驚いた表情でやぐらを見つめる。


「あら、珍しい曲ね。最近のヒットチャートは減衰方程式の歌のはずなのだけれど」

「それお前のアプリだけだぞ。多分履歴見て勝手に調整されてるだけ」

「そんな……全人類の半分が見てるのでは……!?」


 戦慄くトキを横目にラップ調の盆踊りなる怪奇なものを眺める。が、あくまで変わった所はラップになってFワードが飛び出すようになったくらいで、参加者の踊りやリズムは俺の知っている盆踊りと同じだ。


『Yo! 振るうアクス、切れる俺のass、痔に震える夜の悪夢、yeah!』


 歌詞が最悪過ぎるが。もっと夏の情緒とかそういうのを歌ってくれよ。あとラッパーの人は韻踏んでる暇があるなら早急に病院に行ってください。


 トキは手を上げてゆったりと踊っている人々から視線を離さない。そしてようやく俺に振り向いたかと思えば、一言目がこれだった。


「『龍』、ちょっと踊ってみたいのだけれど」

「この歌詞で……?」


 流石にノれない歌詞にも程がないだろうか。ほらあるじゃん、歌詞の内容が嫌に生々しくて、そのくせ聞き取りやすいから音楽にノりにくいみたいな感じさ。だが、それはあくまで俺の考えであって、彼女にとっては踊るという大剣の方が重要らしかった。


「私、踊ったことがないから。そして多分、今日が最初で最後になるわ。ならやってみた方がいいじゃない。えーっと、こうやってこう……?」


 ……確かに、『未来流刑』後の33世紀で、こうやって踊れるかは分からない。今俺が歌詞でげんなりしてしまったように、仮に33世紀のそういう場に行ったとしても何一つ楽しめない可能性は高い。


 だから今のうちの楽しんでおく、というのは当然の考えで。なら歌詞には目を瞑って俺も付き合ってやるか、とぎごちない動きをするトキに歩み寄る。


「そうじゃねえよ。もっとシンプルにこう動かすんだ。どうせスナイパーとか諜報員とか殺し屋とかしか見ていないんだから、それっぽく動ければそれでいいんだよ」

「結構見られてないかしら……?」

「だから気にすんなって。ほれやってみろ」


 トキの手を取り、足の動きに合わせて誘導する。初めはジタバタとするまな板の上のコイであったが、しばらくすると動きが分かってきたらしい。俺が手を離してもそれっぽく踊ることができるようになっていった。


「あっさりだな」

「脊髄置換による動作補助よ。それじゃあ踊ってくるわ」


 トキはそれだけ言い残して、礼の一つもなく踊る集団に駆け寄っていく。全く、感謝というものを知らないやつめ……と言うのがはばかられるほど彼女の足は浮足立っていた。まあトキの過去を考えれば、仕方がないことかもしれない。


 護衛だし、仕方がないかと俺も踊る集団の輪に入るべく足を運ぶ。そういえばきちんと踊るなんて何年振りだろうか。そう思うと少し顔がほころぶのであった。




『痛むヒップ、貼るぜお気に入りの温湿布、痛み増幅震えるmyリップ……』

「だからこの歌詞やめろ!」





 ◇◇◇




 トキが踊り疲れるまで待った後。満足げな表情のトキと共に俺は会場の片隅のベンチに座っていた。トキはさんざん動いたから全身に汗をかいている。お前、それ結構高い和服だと思うんだが……。トキは手で顔を仰ぎながら、俺にぺこりと頭を下げる。


「楽しかったわ、ありがとね」

「いいよ。うん、この肉旨いけどちょっと硬いな、何の肉だ?」


 俺達は休憩しながらトキがそこら辺で見つけてきた謎の唐揚げを食べていた。形状としては脚まるごと、という感じなのだがかなり小さく、骨も無いが皮がきちんとついている。考えられるとすれば小鳥の唐揚げ、とかなのだろうか。そんなの聞いたことないけれど。


 トキはパッケージの表示を何度か眺めて、得心がいったらしく何度も頷いた。


「ブロッコリーのむね肉らしいわね」

「ブロッコリー『と』、じゃなくて!?」


 絶対うんうんと頷いてはいけないところだろ。植物に胸があるわけないし肉もあるわけがない。というか食べてて完全に鶏肉みたいな感じなのに、ブロッコリーなわけないだろうが。全ブロッコリーに謝罪しろよお前。


 が、どうやらそれもまた俺の思い違いらしかった。


「何を言っているのか分からないけれど、ブロッコリーのむね肉は硬いし、当然だと思うわ」

「ブロッコリーにむねももももねえよ、あるのは鶏の方!」

「ほら、ブーブロコ、って朝鳴いてるじゃない」

「ホーホケキョみたいな感じの鳴き声!?」


 どうなってんだとパッケージを慌てて見るが、た、確かに書いてある。しかも誤字ってるから一部が「ブッコロリーのむね肉」になってる。物騒過ぎるだろ。だがそんな謎生物ブロッコリーは聞いた事がない。マッチョどもが好んでブロッコリーと鶏むね肉を食べるのは21世紀でもよく聞くが、ブロッコリーにむね肉があるなんて聞いた事が無い。だいたい野菜なのに肉ってなんだよ。


「あら、ブロッコリーを狭い場所に閉じ込めて飼育する問題、動物愛護団体が槍玉にあげていたでしょう?」

「畑だからそりゃ狭い場所に閉じ込めるものなのでは……?」


 俺の中で足の生えたマッチョブロッコリーの姿が浮かび始める。だが今の所、特にこれを否定する事実が見当たらない。確かに言われてみれば何となく食感が普通の物と違うな、と思い始めてしまうのだ。なんとか否定要素を、と周囲を見渡すと少し離れた場所にさらに酷い光景が目に入ってくる。


「射的、1回300クレジット! 的に当てると豪華景品!」

「あてて欲しいのじゃ♡」

「アヤメ様、申し訳ありません。あ、当てるなおふぉおおおおおお!」

「全裸女の乳首に当てたので+100pt進呈! ああお客様、実弾はおやめください!」


 カスみたいな光景である。シゲヒラ議員、お前いないと思ったら一体何をやってるんだよ。あとドエムアサルト、お前は真面目に仕事をしろ。尾行担当だろうが。


 変態に怪生物に終わってる治安。暗黒街の縮図になっているこの空間にちょっとげんなりしてしまう。まあ居酒屋『郷』も大体似たようなものではあるが。怪生物「電気ネズミ」はいなくなったので一つ欠けたけどな。


 足元にはゴミが散らばり、道路はひび割れ、変な音楽は流れ、客ががさつな笑い声をあげて道を行き交う。だけれど、こういう空間は嫌いではなくなってきていた。疲れはするが、それはそれとして居心地が良い。


 トキはそんな暗黒街の風景を、少し寂しそうに見つめる。


「……刑はいつ執行になるの?」


 呟きは小さく、しかしはっきりとしていた。俺は少し息を吐いて、淡々と彼女の問いに答える。


「明日だ。明日、お前の『未来流刑』が執行される」

「あら、やっとなのね」


 日時を聞いてもやはりトキは平常を保っている。だがそれは見せかけだけだと今はっきりわかった。彼女の手は小さく震えている。


「いいのか。1000年後にあるのはお前の知らない、隔絶された世界だぞ」


『未来流刑』。1000年先への放逐という残酷な刑罰。1000年後には誰も自身を知る者はいない。自身を待っている者はおらず、そもそも自分が生きていられる環境かすらわからない。汚染か、それとも過剰な自立防衛兵器等であっさりと殺されて終わる可能性も十分にある。……死刑と大差ない、と思う者も少なくないだろう。トキは俺の再度の問いかけに、ふっとほほ笑んだ。


「改めてだけど、優しいのね」

「急に褒めても何も出んぞ」

「いえ、力がある人というのは冷酷だと思っていたから。上層部の、指先一つで何でもできる人たちは、そういう感じだったから。初めはちょっと怯えてたのよ」

「初手で性癖暴露した奴が!?」

「まあ今では単なる不死身系時代遅れ居酒屋マスターという印象だけれど」


 そして思わぬ事実判明。まあいきなり最強の要塞が破られたらそうなるよな。でもモヒカンの野郎も攻略しているわけだし、そこまで恐れられることはないと思うんだが。暗黒街ならよくあることだろ、知らんけど。あと時代遅れはその通りなので反論の余地なし。全部200年前に戻ってくれないかねえ。


 それはそうとして、最後だし聞きたいことを聞いておこう、と思うのである。


「結局、どうしてこんなことになったんだ?」

「そうね、そろそろきちんと話しておこうかしら。その方が寝覚めがよいでしょうし」

「おう、手短に頼む」

「数式ア〇〇を──」

「すまんやっぱきちんと説明してくれ」


 無理に端折ろうとしたのを諦める。どうやったらその言葉から今回の事件に繋がるんだよ。お前の性癖の話じゃなくてするべきは研究の話だろうが。


 げんなりした表情の俺を他所に、トキは遠くを見つめながら話し始めた。


「私は研究が大好きだったの。数式に興味がある私にとって、研究者は天職。私は製造番号B10983-103、クローンとして製造された私は、当然のようにオーサカ・テクノウェポン社の研究者になった。その時、背後関係が無く処分していい個体だったからでしょうね。最初にあてがわれた仕事が、『PCW計画』。まあいわゆるタイムマシンね」


 クローン人間の扱いは法律上、普通の人間と変わらない。生まれた子宮の材質で差別するような時代は当の昔に過ぎ去った。だが、親の有無は想像以上に大きな差が出る。親の遺産がない、親同士の繋がりによる人脈も無い。自然とクローン人間は危険な仕事に従事することが増えてしまっていた。


「私は自分が思うより数十倍才能があったわ。数多の困難が紐解かれて、理論上は可能だったけれど非現実的だった『PCW計画』の肝、時転座標改竄機が遂に開発されたわ」

「何か一番大事な場所が端折られた気がするぞ」


 そしてトキがしれっと開発の過程を吹っ飛ばす。多分そこ、クローズアップ現代(23世紀)で取り上げられるくらい紆余曲折あったと思うんだが。時転……ああもうめんどくさい、タイムマシンを作り上げるなんて並大抵の努力では成り立たない。無数の試行錯誤と、地獄の如き理論の考証を積み重ねて出来上がったもののはずだ。


 だがトキの顔にはそんな苦難は無かったかのように澄んだ笑みが浮かんでいる。それがどこか、俺には気持ち悪かった。


「理論的には、世界を情報体と見立ててその際の量子移動の……といっても分からないでしょうね。次元の解釈、量子力学、電磁気学。その他無数の知見と理論が無ければ成り立たない技術の結晶。今、ソラとネゴシエーターが持っている装置はそのうちの一つよ」

「破棄したはずが一つだけ回収されていたってわけか。でもじゃあどうしてトキを追うんだ? 別に装置があれば、あとは本国で解析すればいくらでも制御可能なはずだし、あるいはトキの同僚をさらうという手もあっただろう?」


 結局、今回の件の一番の謎はこの部分だ。何故トキだけなのか。トキだけが制御できる、みたいな言い方をしていたが技術としてそれはおかしい。伝達しにくいノウハウのようなものはあるかもしれないが、それでもオーサカ・テクノウェポン社という大企業にそれができる技術者が1人だけ、というのは考えにくい。そもそも装置を作ると言っても数多の行程がある。たかが一介の研究者であるトキが、これほどの重要人物になるわけがない。


 例えば全員殺されて、残りがトキだけ、というのであれば理由になるが、それならクローン人間を残す理由にはならない。


「装置を扱う上で一番問題だったのは座標の指定。自分が今どこにいるか、そしてこれからどこにいくか。それを計算できるのが、私だけだった。だからネゴシエーター達は制御せず、単なる破壊兵器としてしか使えなかった。けれど本来の使い方をすれば、正確な年月に人をそのまま送り込めるわ。ノコギリクワガタを取りに行ったあなたみたいに」

「座標の指定の計算も、プログラムやAIとかで出来るだろ。というか論文とか読み解けばいくらでも再現可能な気もするけれど」

「ええ、普通に考えれば、私以外でも座標指定の計算なんてできるはず。同僚なら手馴れているし、そんな重要な役目に私だけが据えられるはずがない。様々な資料を組み合わせれば再現も容易なはず。でも、気づけば私しかいなかったの。……いなくなっていたの。まあ、私にとっては想像でしかないのだけれど」


 想像でしかない。そういうわりには彼女の言葉は具体的で、彼女の顔は後悔に満ちていた。


「ある日、私が研究室で横を振り向くと。誰の物か知らない机がいくつもあった。昨日まで人がいたように見えるのに、私は誰一人として知らなかった。無数にある研究結果が、不可能なはずなのに一人だけでできたかのようになっていた。あるべき論文とデータがどこにも無くて、でもその結果だけが私の頭の中にあった。研究室には、私一人だけが佇んでいた」


 俺は言葉を失う。過去改変。言葉では理解していて、実際に自分もやった身ではあるが、だからこそどこか軽視していた。俺の場合ではレアメタルノコギリクワガタが乱獲される程度で済んだが、彼女の場合は。俺は逡巡しながら、なんとか言葉を続ける。


「……過去が改ざんされたせいで消えたのか」

「ええ。どうして消えたのかは今でも分からないわ。私が見えたのは無数に起きた改変の結果だけ。過程を見ることはできなかったわ。そして判明したもう一つの事実。時間軸の改竄は完ぺきではない。あなたも時間転移をしたけれど、おかしいところはなかったかしら」

「強いて言うなら……そうだな、俺が二人という衝撃の情報に、あまり多くの人間が気づいていないことだ」

「そう。本来の時間ではあなたは一人。だから、それに沿うように不自然に情報に気付けない者が出てしまった。時間軸の剛性……まあつまり、壁に杭を打ち込んでも、その周辺は変化しても少し離れた位置には何も起こらくなってしまうように。だから私は同僚がいたことは分かるけど、顔は思い出せない」

「変化に気付いたのはお前だけだったのか?」

「いいえ、もっと大きな何かがあったようね。全て時間の彼方に消えてしまったから分からないけれど、社内でいるはずの妻子がいなくなった、いないはずの人間がいるなんて事態が多発して。そして原因が『PCW計画』の装置であることが分かって全装置、研究成果の廃棄が決定された。あとは知っての通りよ」

「『未来流刑』か」

「ええ。彼らとしては、既に自分の首を絞めている厄介な研究は即座に破棄したかったわ。でも、中途半端に殺そうとすれば遺体の脳から情報を引き出したり、命を助けるという名目で他企業からの関与が危惧される。ご存じの通りこの世界は汚職まみれだから。そこで私は提案したの。私はこの研究を続けたい。あなたたちは厄介な研究を確実に消し去りたい。なら、『未来流刑』で時間の改竄が及ばないほど遥か先まで飛ばせば、両方の目的が叶うとね」


 ……一つ意外なことがあったとすれば、今回の『未来流刑』についてトキ自身が志願した、ということだった。確かに汚職が蔓延るクソ社会、受刑者自ら望んで刑を受けるのであれば様々な干渉をシャットアウトできる可能性が高まる。


 だが、それにしては1000年という時は余りにも重すぎるのではないだろうか。俺の疑問にトキは笑う。


「私ね、この研究が好きなの。無限の未知がある。無限の可能性がある。生涯をかける価値のある途方もない謎がある。そして何より、もう顔も覚えていないけれど私を育ててくれた同僚や師匠。彼らがこの世界にいた最後の証明だから。これを消し去るという選択肢だけは私になかったわ」

「それなら、ネゴシエーターの提案に乗ればいいだろう」

「一番駄目な選択肢よ。あいつ、知識だけ吸い取ったら真っ先に私のこと処分するタイプよ? そうでなくとも、裏切り者の末路なんて大体知れているわ」

「裏切らせなければいいのに……」

「それができるのはあなただけよ……」


 まあそれもそうか、と俺達は笑う。話し込んでいるうちに祭りもいよいよ終盤になり、人々は花火を見るべく川辺に移動していく。人気の減ったベンチで、俺達は空を見上げた。


「お前は悪くないのにな」

「まあ、誰かが貧乏くじを引かなきゃいけなかったってだけよ。それに、時間の彼方に消えるよりはよっぽどいいわ」

「……助けることもできるぞ。こっそりアルタード研究員の技術を流用して意識を移すとか」

「でもバレた時にあなた、オーサカ・テクノウェポン社と完全に敵対することになるわよ。最強の生命体『龍』がタイムマシンの技術を持つなんて異常事態、この街の誰一人認めるわけがないわ。あなたの目的は居酒屋でまったりとすることであって、全ての企業と戦争をすることではないでしょう?」

「……まあ、そうだな」

「それにあなたの経営手腕じゃ潤沢な研究資金は望めそうにもないじゃない。だから折角だけれどその提案、断らせてもらうわ」

「……じゃあ、仕方が無いか」

「ええ、仕方が無いわ」


 二人で笑みをこぼす。結局、トキがどうしても研究を諦められないから『未来流刑』という選択肢を取らざるをえないのだ。本人の望みならば、もうそれはどうしようにもないだろう。


 結論は出た。話せてトキはスッキリとしたらしい。うーんと伸びをしている彼女に、折角なので追加で質問をしてみることにする。


「そういえば、どうして1000年後なんだ?」

「エネルギーの総和的に、時間の遡行は100年が限界よ。だから、1000年後に送れば自分たちの時代が脅かされることはないってことね」

「200年前には戻れないのか……」

「うすうす思っていたけれど、あなた狙っていたわよね……」


 だって期待しちゃうじゃん。未来に飛ばす技術があるなら俺を21世紀に送る技術もあるんじゃないかって。勿論俺のいた世界とは微妙に異なるんだろうけれど、それでも相当馴染むはずだ。鮮魚食べ放題、焼肉食べ放題。街中で銃をぶっ放すやつなんていない、平和な21世紀日本に戻りたくて仕方が無いのは分かって欲しい。……まあ、問題として21世紀の技術力では絶対に対抗不可なチート生命体が出現してしまうことなんだけれど。でも許して欲しい、23世紀でもあんまり対抗できてないし。


『間も無く花火の打ち上げ時刻です。スリ、打ち上げ音に紛れた銃殺、川から出てくる人食い手長エビにご注意ください』


 最悪なアナウンスと共に、花火を見に人々は皆川岸に移動したのだろう、周囲には誰一人いなくなった。風の音、僅かに聞こえる何かの音楽、スナイパーの身じろぐ音、カエルの鳴き声だけが辺りに響く。


 今日が終わればトキとは一生の別れとなる。だから最後に、もう少しだけ話をしておきたかった。


「研究は楽しいか」

「最高よ。知的好奇心が満たされる、それこそが私の人生。だからどれだけ辛いことがあっても、私はそこに向かって進むだけ。まあ、この暗黒街での生活でも相当知的好奇心は満たされたけど」

「俺はお前の生態にびっくりし続けたがな……」

「あら、私はあなたの生態の方にびっくりし続けていたわよ。……色々ありがとうね、お世話になったわ」

「いいってことよ。俺だって狙いは漁船だ、善意100%じゃない」

「あら、その割には結構遊びに連れて行ってくれた印象だったけれど」

「何、時代に取り残される辛さは知っているからな。俺みたいに後で後悔しないよう、色々やっていて欲しかったんだ。虫取りは楽しかったか?」

「ええ。青く光るのだけはトラウマだけれど」

「カードゲームは面白かったか?」

「実は対面での大会は初めてだったから。最後に出れてよかったわ。人の顔を見ながら紙のカードを触るのは、やはり楽しいわね」

「今日の祭りはどうだった?」

「そうね、良かったわ。色々楽しめたし、金玉釣れなかったことだけが心残りだけれど」

「まだ気にしてたの!?」


 俺達がそうやって騒いでいると、ひゅぅ、という音と共に光が撃ちあがる。そして俺の記憶と違わぬ、懐かしい光の束が空を駆ける。何度も何度も空に浮かぶ花火を、自然と二人で無言になって見つめ続けた。


 汚染ガスに包まれた空を、それ以上に強い光が何度も照らして光り輝く。トキは空を見上げながらぽつりとつぶやいた。


「最後に。ソラのことを頼める?」

「まあ寝覚め悪いしな。いいぜ、約束してやる」

「信頼してるわ。……明日、よろしく」

「ああ」


 空に最後の花火が撃ちあがる。夏が、終わろうとしていた。

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