ヵピ、ピカピ……
「どうもおじさま、お手伝いに参りました!」
襲撃翌日の朝。礼儀正しいお辞儀と共に店に入ってきたのはアヤメちゃんであった。銃痕の残る扉が嫌な音を立てるのを聞きながら俺はおう、と手を挙げる。
室内は銃痕のお陰で眩しい日光が差し込んでいる。あの盗り鉄の襲撃は終わり、時刻は既に朝。俺は眠れるけど眠る必要はないので、警備のついでに配信を見ながら起きていた、というわけだ。直ぐに介入したとはいえ、トキたちが命の危険を感じたのは事実だろうしな。安全であることに越したことはないだろう。
そのお陰なのかそれとも生来の図太さなのかは知らないが二人は熟睡し、いい感じで朝を迎えていたようだった。とはいってもトキはいつも通りの寝起きの悪さだったので、うなされていないことが分かったというだけだが。
まあそれはさておきとして。今日の俺達にはやるべきことがあった。
「掃除の時間だ……!」
昨日発生した不可思議な生肉増殖事件のせいで、居酒屋『郷』のカウンターはそれはもう悲惨なことになっていた。どれくらい悲惨かというと、机や椅子から血のシミが欠片も取れない。
シゲヒラ議員は「ハプニングバーになってしまったの!」なんて言っていたがそれどころではない。ハプニングなのはそうだが血生臭すぎる。誰が来たいんだよそんな店。
「というわけで手伝い頼むぞアヤメちゃん」
「はい!」
「……あなた、とんでもないことしてるのわかってるかしら」
俺がそう言っていると、2階から瞼を擦りながらトキが降りてくる。もう返す気が無さそうな俺のジャージを着て、彼女はアヤメちゃんを見て眉をひそめていた。……まあ、確かにヤクザの次期組長に掃除の手伝いさせるの、普通に考えたらヤバイかもしれない。でも向こうから提案してきたんだもん、別にいいじゃん。それにどうせ牙統組と喧嘩しても殴り勝てるし。
「とりあえずこの血まみれの区画はシゲヒラ議員がやってくれるから大丈夫だ。今は血抜き用洗剤を買いにいってるからこっちの掃除はもう少し時間がかかるだろうけど」
「残念、おじ様を堪能できるかと思ったのですが」
「それはハイレベルすぎるわね……」
「お前自分のことを棚に上げるなよ。あと、お前も掃除しろよ」
「勿論、住居は清潔であるべきよ。こんな汚いのは勘弁だわ」
ハイレベル、などとトキは口にするが、時たまカエルやセミの鳴き声に紛れて怪音波を放つ怪人が何を言ってやがるんだ、という感じではある。しかもタイムマシンを作る辺り、どうあがいてもアヤメちゃんより悪質度が高い。お前のせいで俺がどんな目にあったか分かってるのか。レアメタルノコギリクワガタはそこそこ高値で売れるから許すけど。
というわけで早速俺達は清掃を始める。使う道具は23世紀にも関わらず、水で濡らした雑巾と掃除機。技術の進歩に伴い各種洗浄剤の技術も向上したのだが、強力な洗剤はいらない所まで溶かしてしまう。例えば洗剤を垂らすとクッションの色が抜けてしまったりするわけだ。
そんなわけで未だに水で濡らした雑巾と洗剤は現役、というわけである。アヤメちゃんは服が汚れるのを避けるべく、マスクと手袋付きの防護服を早速着用する。こちらは23世紀らしく、防護服とは思えぬほどスリムさと着心地を兼ね備えている製品らしく、正直俺も欲しい。まあ俺が来ている服なんてそこら辺で売ってる奴か自分で合成したやつだし、そんなことする価値はないけれど。
「うわー、汚れてるなぁ」
まずは床に飛び散った血を、出来る限り水雑巾で擦る。毎日シゲヒラ議員が清掃してくれているとはいえ、床には飲食物の飛散や靴の汚れによる影響で少しずつであるが汚れが増え始めている。今までまあ使えているしいいや、と棚に上げていたが改めてみるとだいぶ汚くなっている。暗黒街基準では綺麗とはいえ、21世紀基準では赤点ギリギリといったところだろう。
「昔は全然人が来なかったから、床が汚れる要素が無かったもんな……」
そう考えるとこれも嬉しい悲鳴という奴なのかもしれない。俺の血に関しては100%悲しみの要素しかないけど。マジでネゴシエーターの邪悪な計画による汚れだし。ふざけんなあのやろう、必ず報復はしてやろう。
「そういえばアヤメちゃん、あのネゴシエーターの素性って分からないのか?」
「正直海外企業となると中々難しいです。恐らく武装の型式からするとアメリカ辺りだと思われますが、そこから先を調べるには伝手がありません。ジャパニーズマフィアですから。ただ、あそこまで強硬な手段をとるところを見るに、本国の意向だけではないかと」
「あー、本国の意向を上手く曲解して暴れてる感じか。確かにトンデモ案件に首を突っ込んでいる割に動きが変だものな」
この手の奴は極めて厄介だ。兎に角事態をかき回せば目的達成、危険を感じたら亀の如く隠れる。しかも本人の享楽とかそういうのが混ざってるから合理的なやり方が通じなかったりする。
「仮に本気でタイムマシンの話が海の向こうに伝わってるなら、全力で奪いに来るはずだしな。にもかかわらず場を荒らすだけ。大きなバックがある企業の動きとしては小さすぎる」
「その辺りで私たちもかなり困惑しました。まあ派遣された企業の人間が王様気取りで暴れるのはよくあることですが」
「ひでえ話だ。でも、逆に言えばアメリカ国内から調べれば何とかできないことも無いのか……?」
そんなことを話しながら俺達は手を進めていく。血はともかく、銃痕は床については簡易のパテと塗料で、家具については仕方が無いのでテープで補強せざるをえない。うわ、折角レアメタルノコギリクワガタ捕まえたのに、売り上げが飛んでしまいそうだよ……。
そんなわけで見栄えはともかく、俺達の努力のおかげでひとまず機能としては元々の店内の様相を取り戻しつつあった(血まみれのカウンターを除く)。そうやってふぅ、と一息をついているうちに、俺達は素早く動く、手のひらほどの影を見つけてしまう。それは小さな哺乳類であり、俺達の姿を見ると信じられないスピードで壁の隙間に入り消えてしまう。
黄色いネズミである。
「権利的に危ない匂いがしてきたが……それはさておき、ネズミは想定外だったな」
前世ではゴキブリはよく見かけたのでホウ酸団子(23世紀Ver)は配備しておいたのだが、ネズミは馴染があまり無かったせいで意識の外から外してしまっていた。が、よく考えなくてもこの暗黒街はネズミの天国と言える。ましてはここは飲食店。うっかりしていたぜ。
黄色い点だけ気になるが……まあ白や灰色、黄金色もあるから黄色のネズミがいてもおかしくはないはずである。マッハ2のミドリガメよりはマシだろ。
「ネズミって病原体持ってるのよね……」
トキは怯えた表情でネズミが逃げた方向を見つめる。なんか科学者らしい考え方であるが、それはそうとお前は手を進めろ。俺とアヤメちゃんの1/3も掃除できてないぞ。あと角に血が残ったまま放置するんじゃねえ。
それはそうと、ネズミを潰すか……と俺は腕まくりをする。こういう害獣は1匹見えたら10匹は隠れている。さながらドMだ。そう思って足を進めると、アヤメちゃんが俺の間に割り込んできて元気よく声をあげた。
「さて、ネズミを一匹倒すのは簡単ですが、家にいるネズミ全部を根絶するのは困難! というわけで今回おじ様に紹介するのはこちら!」
「急にネットショッピング始まったな」
やたらとテンションが高いアヤメちゃんは、どこからともなく取り出した袋の中から四角い紙箱を取り出す。それは牙と刻まれた製品であり、表面には『ネズミ退治にこれ一本! 牙印のネズミ殺し!』と書かれている。
「室内の電気ネズミを100%退治! 牙統組製薬部門、渾身の一品です!」
「アウト率が急激に高まってきたな」
黄色い電気ネズミなんて一匹しか思いつかないんだが。前世の超世界的人気キャラクターを思い出しながら俺は冷や汗をかく。嫌だぜ、ネゴシエーターとかに潰される前に著作権侵害で逮捕されるのは。
一方でトキは椅子の間に身を隠しながら呟く。
「ヤクザの製薬部門なんて違法薬物しか製造していないと思っていたわ……」
「……ああ、そういうことか」
トキの呟きで俺も流石に理解する。どうしてアヤメちゃんがわざわざ自ら掃除を手伝いにきたか。ネズミなんて勝手に対処させておけばいいのに、どうして自分から製品を見せびらかすのか。
すなわち、牙統組の商売のアピールである。ご存じの通り、俺は牙統組の次期当主に推されている。が、当然俺はヤクザ商売なんてしたいわけではない。つまり。
「ふふふ、牙統組の商売は殺人と強盗と監禁だけではありません。勿論こういったまともな仕事もしているわけです! というわけで」
「次期当主にはなりません。で、効果は?」
「残念です。まず大前提として、あの電気ネズミについて説明していきますね。このネズミの鳴き声、ご存じですか?」
アヤメちゃんは残念……にはあまり思っていなさそうな表情でけろりと話を続ける。うん、これ第二段第三段とやって徐々に懐柔していく作戦だ。でも、仕事内容以前に監禁が趣味な娘と結婚するのはちょっとね……。
それはそうと鳴き声である。
「ピカピカ言うんだろどうせ」
俺は諦めと共に呟く。が、アヤメちゃんはぶぶー、とかわいらしく手で×を作った。
「惜しい、カピカピ! ですね」
「何が!?」
「糞が、ですね」
「カピカピウンコ!?」
ほぼアウトだしもうそこまで行けば存在自体が名誉棄損だよ電気ネズミ君。あといつの間に俺はでんじゃらすじー〇さんの世界に来たんだ。ウンコなんて鳴き声の生物はコロコ〇コミックにしかいないんじゃなかったのか。
「さて、この電気ネズミは電気配線を食べることで有名です」
「ああ、ヒアリとかそんな感じだよな」
「そしてお尻はレールガンです。奪った電力で金属の混じった乾燥糞を射出します」
「それ野生に存在していい生命体か!?」
「鳴き声は『カ~ピ~カ~ピ~ウンコー!』ですね」
「もう種まるごと訴訟されちまえ!」
最悪の生命体である。戦闘力も存在も明らかに居酒屋にいてよい存在じゃない。というかそうなると俺達、レールガンと同居してたことになるので恐ろしすぎるんだけど。まあ21世紀の生物でも結構やばいやつはいるにはいたけどさ。
「これって、『龍』のせいってことはないかしら?」
俺とアヤメちゃんが話している横で、トキは端末で何か調べながらそう呟く。何という言いがかりだろうか、と俺は憤慨せざるを得ない。あまりにも酷い発言である。
「俺のせいにするなよ。大体証拠もないだろ」
「電気ネズミの発生はここ10年。そして鳴き声が時たま意味のある日本語である時があるって書かれてるわ。そういえば、あなたの細胞が時間転移したのは10年くらいの範囲じゃなかったかしら」
トキが語ったのは状況証拠のみであるが、俺の背に冷や汗が走る。いやでも、俺の遺伝子って魂があってこそのものだから、取り込んだ程度でどうこうなるもんじゃないはずだし大丈夫だ。だってマグロを食べたからってエラ呼吸ができるようになるわけがないじゃないか。それよりも暗黒街の極悪非道な実験体という可能性の方が高いに決まっている。
『気を付けるのだ。今は魂とやらで制御できるかもしれないけど、もし制御を離れたらその肉体がどうなるかは分からないのだ。死滅するなら兎も角、最悪は暴走、他の生命体を侵食──』
遠い昔、研究所を風通しの良い空間にリフォームした際に博士から言われた言葉がリフレインする。……うん、大丈夫なはず。きっと。多分。恐らく。
「そ、それは一旦棚に上げといてだな……!」
「棚に上げるのは良くないわよ。必ずどこかでツケは来るわ。私みたいに」
「うっせー、いいから早くあのネズミ捕まえるぞ! あと清掃!」
◇◇◇
数十分後。無数のチャレンジの末、遂に俺たちは2階の廊下の前に電気ネズミを追い詰めることに成功した。ネズミ、殺すだけなら簡単なんだけど壁や床を傷つけない、という制約が入ると途端に難しくなるんだよな。家丸ごと圧縮可燃ガス砲で吹き飛ばせば一発なんだけどさ。
電気ネズミは小さく鳴き声を上げながら開けっ放しのトキの部屋に入っていく。その先は当然行き止まり。トキの部屋の中で籠城する以外の選択肢はもはや存在しない。
「よっしゃ袋小路にいった! 捕まえるぞ……?」
「ヵピカピ──────!」
が、次の瞬間電気ネズミはあろうことか悲鳴を上げて俺達の方へ逆走してくる。そして俺達は気づいた。トキの部屋から漂ってくる、ネズミすら嫌がる異臭に。扉の隙間からはみ出るゴミとペットボトルに。
「……」
「……お前、これで住居は清潔であるべき、とか言ってたのか……?」
俺とアヤメちゃんが絶句する横で、トキは顔を伏せたまま呟く。
「……た、棚に上げるのも悪くないわよね……」
さっきまで格好つけてたやつはどこに行ったんだよ。とりあえず立つ鳥跡を濁さずという言葉を実戦させるべく、俺達は無言でトキを掃除道具と共に部屋に叩き込むのであった。
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