ゴールポストの襲撃!

 異様な音と共に、肉塊が膨れ上がった。


 居酒屋『郷』のカウンターで、マスターの分身を挟んでトキとシゲヒラ議員はまったりとしたひと時を過ごしていた。トキは端末で論文を読みながら合成酒の余りをちびちびと飲み、シゲヒラ議員はキッチンの清掃をする。


 マスターは分身を残して買い物に出かけた。二人の間に鎮座する、マスターと何一つ差異のない肉塊は、心臓の鼓動はあれど身じろぎ一つしない。首元からは肉の紐が伸びて外に繋がっている。


 シゲヒラ議員は時たま無表情で座っている分身を見て、頬を緩めながらその手を何度か触る。それだけならともかくトキに至っては油性ペンを準備し始める始末である。数時間後の分身はさぞ悲惨な見た目になっていることだろう。


「……え?」


 故に二人は、目の前の光景が信じられなかった。先ほどまでマスターの姿をしていた分身は内部から肉が膨れ上がり、人では無い何かの臓器が無数に生成されては地面に落下する。血液はカウンターを汚し、それらの色も赤から青へ一瞬で変化する。落ちた肉からは何かの頭蓋骨らしきものが生成されて、しかし直ぐに膨張した肉に粉砕される。


 一体どこから出てきたのか疑問になる体積の肉が一周回って滑稽なほどに地面を這いずり回り、そしてしばらくして完全に停止する。本体との繋がりを示す肉の紐はいつの間にかどこかに消えていた。


 たった10秒ほどでカウンターは血と肉の海に沈む。明らかに人では無いその残骸に、二人は数秒してようやく事実に気付いた。


「『龍』に何かがあった……?」

「制御を完全に手放すほどじゃ。恐らくどこかの企業の襲撃じゃろう」

「でも、『龍』には無限の再生能力があるはずよ! 爆破音も無かった、『龍』がこちらに何か連絡する間も無かった! そう簡単に一撃で仕留められるはずが……」 


 二人の議論は直ぐに止まる。それは足元の不快感もそうだったが、何よりも恐ろしかったのは店に向かってくる幾つもの足音。そしてそれを止めに来る最高速度マッハ3の最強は今いないということ。


 今までのトキの平穏は、『龍』が近くにいたことにより保たれていた。が、今その平穏が崩れ落ちる。トキは焦った表情でわたわたと手で空を掴む。戦闘慣れしていないトキを見てシゲヒラ議員は今までにない真面目な顔で喝を入れる。


「お主は店の奥に! 儂が買った対クレーマー用ショットガンを構えておくのじゃ!」

「あなたは!?」

「儂は大丈夫じゃ、何とかする!」


 シゲヒラ議員は腰に隠し持っていた拳銃を引き抜く。次の瞬間、扉が蹴破られる。金属製のフレームは鉄板の組み込まれた戦闘靴でへし折られ、3人の兵士が居酒屋の店内に踏み込んでくる。


 その三人組は、丸みを帯びた装甲服にショットガン、そして透明な樹脂製のシールドといった、暴徒鎮圧用の装備をしていた。トキが驚いたのは、彼らの行動は長い訓練により極めて統一されていながら、その装備はオーサカ・テクノウェポン社やトーキョー・バイオケミカル社の物とは明らかに異なるという点であった。トキはその姿から一発で予想を的中させる。


「多分ネゴシエーターの仲間よ!」

「マスターが言っていた奴なのじゃ、なら手加減をしなくて良いのじゃな!」

「逆だわシゲヒラ議員、そのまま戦うと──」


 兵士たちの顔はマスクで隠れていてよく見えないが、明らかにアジア人の骨格とは異なっている。即ち国外より派遣された工作員。練度で言えば、下手すれば『アルファアサルト』にすら匹敵するかもしれない破壊と殺人の専門家たちである。


 トキの制止も聞かず、シゲヒラ議員は机を乗り越え兵士たちの前に飛び出る。兵士たちはにやりと笑い、盾をシゲヒラ議員に向かって押し付ける。


「Take the sex change pervert secessionist senator and the subject into custody!」


 対人戦の装備として、盾は長らく愛用されてきた。攻撃を盾で防ぎ、武器で反撃する。シンプル故に高い再現性を持つ戦略を扱えるということは兵士にとって極めて大きなメリットだった。とはいっても日本国内では西洋のような盾はあまり使われなかったのだが、それはさておきとして。


 そんな盾にとってのターニングポイントの一つが銃の登場であった。並の金属では簡単に貫通されてしまい、分厚過ぎると今度は機動力が下がる。そうやって盾の使用率は瞬く間に下がっていったと言える。


「GO!」

「ぐふっ!」


 が、それを覆すのが23世紀。銃弾を通さぬ特殊樹脂に衝撃に耐えうる義肢。それらがあることで盾は本来の役割を取り戻す。タックルのようにして叩き込まれた盾の一撃によりシゲヒラ議員の拳銃は弾丸ごと弾かれ宙を舞う。


 身体改造を繰り返した兵士たちの身体能力は圧倒的で、盾の衝撃でシゲヒラ議員の体が軽く浮き、メイド服の一部が千切れる音がする。


 兵士たちは嫌な笑みを浮かべる。彼らがこのまま拘束してしまおうとしたその時。シゲヒラ議員は自身の右手を兵士の盾に当てた。


「……?」


 兵士は怪訝な顔をするが、気にしてられないと視線を戻し、ショットガンを盾の隙間からシゲヒラ議員の腹めがけてねじ込む。引き金を引こうとした瞬間、兵士の体に熱が走った。


「a……AAAAAAAA!!」

「what!?」

「Use the fire extinguishing mechanism!」


 ぼん、という爆発音とともに兵士の体が盾ごと吹き飛ばされる。シゲヒラ議員の右腕から放たれた炎熱は周囲の兵士諸共燃やして飛ばして、一撃で彼らを居酒屋『郷』から退場させる。ぽかんとするトキと兵士たちを他所に、シゲヒラ議員は右手をひらひらと振って笑った。


「これが『絶対爆殺機構(非殺傷)』じゃ!」

「名前が矛盾してるしメイドに仕込んで良い機能なのかしら……?」


 兵士たちは燃える体を起こし、シゲヒラ議員に一矢報いようとショットガンを構える。が、それより早くシゲヒラ議員の足がショットガンの可動部を蹴り飛ばして破損させる。射出機構を失ったショットガンは引き金を何度引いても無様な金属音しか鳴らさない。シゲヒラ議員はいつもは見せない、裏を感じさせる妖艶さを醸し出しながら破壊したショットガンを足で念入りに踏み潰す。


「儂も暗殺者に狙われる身じゃったからの。戦闘術は一通り叩き込まれておる」

「……そういえばあなた、シゲヒラ家当主だったわね」

「おっと家の話はやめてほしいのじゃ。ぴょん吉に言われた嫌味を思い出してしまうからの」


 トキは押入れから引き出したショットガンを握りしめながら、平然と対応するシゲヒラ議員に戦慄する。この居酒屋にいる人物は一筋縄ではいかない者が多いが、彼女はその最たる人物である。


 そうやって話していると、パチ、パチ、パチと乾いた拍手が路地の向こうから聞こえてくる。そこにいたのは片眼鏡をした老人の義体。


「いやあ、流石万能と謳われたアルタード研究員の義体、戦闘力も見事です。おっと初めましてシゲヒラ議員殿。私はネゴシエーターと申します。そしてこちらが」

「……姉さん」

「……ソラ」


 そして背後から現れるのは脚の生えたゴールポストと20人ほどの兵士。ゴールポストに向かってトキは怒りの表情を向ける。ゴールポストはトキの表情を見てネットを縮こまらせる。


 トキはシゲヒラ議員の後ろで憤怒を隠さない。何故ならソラが出てきたことで、『龍』に何が起きたかを直感的に把握したからである。すなわち。


「あなたたち、私の『PCW計画』の成果を使って『龍』を消したのね」


 ゴールポストはポールを震わせ、ネゴシエーターはニヤリと嫌味な笑みを浮かべる。夜空を見上げ、大げさな身振りでネゴシエーターは語り出した。


「正解です。PCW計画。Propitious creating world。まあ直訳通り、好きに世界を作り変える計画です。対象にした物質を過去や未来に自由自在に送る夢のような装置。例えば私が他企業役員のスキャンダルを持って過去に行けば、強請るも追い出すも自由自在です。それだけではない、未来から干渉を続けることで強制的に暗殺やテロを成功させる、あるいは各時間軸の研究者を呼び出して開発を加速させる。やれることは無数です!」

「あら、過去を変えるならもっと面白いことをすると思っていたのだけれど、そうじゃないのね。例えば『龍』の製造方法を盗み出して、世界中に『龍』を拡散するとかかと思っていたわ」

「『龍』が再現不能、という事実は既に知られていますから。それに、混乱と破滅を引き起こすにはそんな大それたものは必要ありません。この23世紀、至る所に導火線はあり火がついていないだけ。私がやるのは、そこに火を灯すだけでいいのです」


 トキは思い出す。かつて目の前のネゴシエーターは、海外の企業から派遣された者であり、そして暗黒街に混乱をもたらすことを目的にしていると語っていた。つまり日本に進出できる足がかりとなるのであれば彼らにとっては何でもいいのだ。爆弾でも毒ガスでも、タイムマシンでも大差はない。


 自身の発明を、完全に政略の道具として扱われていることにトキの怒りは頂点に達する。それを抑えるかのようにシゲヒラ議員がネゴシエーターの前に立つ。


「口だけは回るようじゃの。それで、結局マスターに何をしたのじゃ」

「意図的に制御せず、タイムマシンを起動しました。制御しなければどうなるか。各細胞がそれぞれ滅茶苦茶な時間帯に飛ばされて、再生できずに終わりを告げる」


 まあトキさんがいない以上、そもそも制御なんてできないのですが、とネゴシエーターが笑う。シゲヒラ議員は信じられないと食って掛かる。


「マスターなら再生できるはずじゃ!」

「それは細胞再生器があればの話ですよ。脳も無い、細胞再生器もない。そんな状態で細胞一つで路地裏に放りだされてみなさい。数分もせずに脱水で死亡です。いいですか、無敵や不死身は存在しません。そこには種としかけがあります。ああ、後ろの肉塊を見た時は焦りましたが。まさか予備があるとは、もしそちらから再生したらどうしようと不安でしたから。でも再生に失敗している。それこそが全ての答えです」

「……」


 ネゴシエーターの流れるような喋りにシゲヒラ議員は押し黙ってしまう。その表情を見てトキも『龍』の生存があり得ないことを理解する。本当に『龍』が大丈夫なら肉紐を介して分身から再生するはずなのだ。にもかかわらず今彼はいない。ネゴシエーターの言う通り、今の状況が全てを示していた。


「ソラ、あなたはそれでいいの」


 一方、トキは縮こまるソラに語り掛ける。一旦怒りを横に置き、現状を解決するのが最適だと判断したトキの言葉は柔らかい。しかし、追い詰められたソラに正常に対話する余裕などなかったのだろう。彼女の言葉は乱暴で理路整然としていたとは言い難かった。


「姉さん、何でまだ会社に義理立てしてるんですか。会社は姉さんを処分する。私は会社に使いつぶされ捨てられる。そんな相手に、そんな企業の人間が何人死んだところでどうでもいいです! 姉さんは努力して成果を出した、なら報われるべきだと思います!」


 ソラの紛れもない本心なのだろう、とトキは思う。が。


「それはあなたの話でしょうソラ。努力して成果を出したのに裏切られたのは。私はあくまで、成果を出して、自分の意思で刑を受ける気でいるわ」


 トキは牙統アヤメを通してソラの境遇を知っている。同じ社内ではあるが秘匿されていた事実に、驚愕と同情はしたものの、トキは同調だけはできなかった。


「どうして! そもそも姉さんがそこまで刑を受けることに固執する意味が分かりません!」

「あなたは自分の隣の席が、見知らぬ筆跡の書類で埋もれていたことがある?」

「……?」


 その言葉の意味を、ソラは理解することができないというように体を傾ける。トキも分かってもらうつもりなどなかった。ただ、たったそれだけのことがどれだけの意味を持つか。自分が時間の彼方に誰を飛ばしてしまったのか。それを理解している今、『未来流刑』にて『PCW計画』を自分ごと葬ることに何一つ躊躇は無い。


 二人の話を途中から聞いていたネゴシエーターは、牙統組とオーサカ・テクノウェポン社の介入を恐れたのだろう。早くしろといわんばかりにパンパンと強く手を叩いて、ソラとトキの間に割り込む。


「もういいでしょうお二人とも。いずれにせよ『龍』は死にました」

「なら私はここで死ぬわ」

「ただいまー」

「良い覚悟です。ですが、そうなればあなたの研究成果は……ん?」


 長々と話そうとするネゴシエーターの声が急に止まった。何が起きた、とトキはネゴシエーターの視線の先を追う。そこにあったのは大きな虫かごと虫網をもった短パンの男性。ここにいる全員が、その姿に見覚えがあった。


 咄嗟に兵士の一人が男が銃を発砲する。至近距離での対改造人間用のショットガンの一撃は、通常であれば生身の人間などあっさりとミンチにしてしまう。しかし男は一歩たりとも後ずさりせず、生身の肌で銃弾を受け止める。男はそのままショットガンを掴み、男の体ごと持ち上げ壁に向かって投げつける。鉄筋コンクリートの壁がひしゃげ、兵士が血反吐を吐く姿を見て全員が叫んだ。


「「「『龍』!?」」」

「おい抱きつくな変態世襲議員」

「良かったのじゃ~!」


 シゲヒラ議員を片手で簡単に引きはがすその姿は、正しくトキたちの知る『龍』に他ならない。だが、疑問が無数に残る。


「何故その方向から? というか虫網は何なのですか?」

「順を追って説明しよう。まず俺は奴らのせいで散り散りの肉塊になって様々な時間帯に吹き飛ばされた」

「うむ」

「そんなわけで分身を使って戻ることもできたが、俺はせっかくだし時間旅行をしてみることにしたわけだ」

「「ちょっと待て!!!」」


 全員がその場で突っ込みをいれざるを得なかった。まずそもそも自分から時間旅行を選択したということ。次にその理屈だと細胞の一片から再生したということ。その二つの疑問点に、『龍』はあっけらかんと答えた。


「ああ、細胞再生器はあくまで再生スピードアップアイテムだからな。別に細胞の一つでもあれば、細胞からアメーバに、アメーバからスライム、キングスライム、そして龍という感じに時間をかければ進化できるぞ」

「滅茶苦茶ね……」

「単細胞生物でもない限り、細胞の一片からの完全再生など無理なのじゃが……」

「失礼な、単細胞生物でも我慢できるってだけだ」

「人間とは一体……? というか記憶や精神は破壊されるのでは……?」


 とりあえずこれで謎の一つは解決した、とトキは胸をなでおろす。不死身が自身の想定をはるかに超えるレベルだったのはさておきとして。問題はもう一つだ。


「で、時間旅行って何かしら」

「ああ、まず俺の体が様々な時間帯に分断されるだろ?」

「ええ」

「次に分断された細胞の中から一番よさげなタイミングのを選択する。感覚的には一番遠かったのが10年前で、一番近いのが2日前だったな。そして、魂で選んだ時間にピョン、というわけだ」

「「ピョン……?」」

「おう、肉体に魂が宿る。けど魂は一つ。ならどこに行くか選べてもおかしくはないだろう?」


 おかしいし何一つ説明になっていない。トキと仲間が何年もかけてようやく計算が成功した、転移先の時間指定。無数の計算式と、ピョンという間の抜けた擬音がトキの頭を駆け抜ける。というかその理屈なら同じ時間帯にいる本来の自分の肉体に宿ったりしないのだろうか。いや、恐らくしないように選んだのだろう、とトキは混乱した頭で推理する。


 呆然としたトキを何一つ気にせず、『龍』は意気揚々と虫かごを見せつける。


「というわけで、2週間前くらいに戻ってレアメタルノコギリクワガタを捕まえてきたという訳だ!」

「全然捕まらないと思ったら、マスター自らが乱獲していたというわけじゃったのか……」

「一番の敵は自分。あ、流石に他の時間軸の細胞は死んだのか捕えられなくなったわ。魂と肉体は一対一だしな」

「どの口が言っておるのじゃ……?」


 シゲヒラ議員は背後の血の海を見てげんなりとした表情を浮かべる。一方ネゴシエーターは無いはずの額の汗を拭い、そして手を挙げた。明確な降参である。そもそもネゴシエーターは『龍』を排除できることを前提にこの場に立ったのであり、『龍』が虫取りして帰ってくることなど想定はしていない。


「今回は引きます。もうこうなってはあなたを敵に回しても勝ち筋が無い。今は、『龍』が分裂して増えなかったことを喜ぶことにします」

「おうおう、俺の店を滅茶苦茶にしておいてよく言うぜ」

「……半分は分身のせいなのじゃが」


 ここで戦うとトキを巻き込む可能性があるという判断なのだろうか、それとも他の理由があるのだろうか。『龍』は追撃する様子を見せない。ネゴシエーターたちが肩を落としながら夜の闇に消えていく中で、ゴールポストは一度だけ振り向いた。


「姉さん。私は諦めません」


 それだけを言ってゴールポストもまた暗黒街の闇に消えていく。それを見届けた3人は、ほっとした表情で目を見合わせた。そしてトキは静かに口を開く。この事件も、ようやく終わりに差し掛かりつつあった。


「早速で申し訳ないけど、牙統さんに連絡してもらえるかしら。4日後、『未来流刑』の執行をお願いするわ」

「あ、その前に掃除手伝って。肉片の色がこびり付く前に」

「マスター、今こそ魂の出番なのじゃ! カウンターに蔓延る肉塊を操るのじゃ!」

「そんなに便利じゃないからな!?」


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