咳をすれば二人
夜の10時を回ったころ、最後の客が帰る。シゲヒラ議員が既にある程度片づけを終えてくれたので、残りを清掃した後俺は仕込みを行う。やっぱ肉は一晩寝かして味を染み込ませないとな。まあちゃんとやってもケミカルスティック『ラジウム3』なる謎商品に売り上げが負けるあたり、やはり23世紀キッズ共の味覚はおかしい。もっと良い物を食え。
季節は8月、しかし秋という概念が薄くなったこの23世紀において、カエルとキリギリスは夏に鳴く。昼はセミ、夜はカエルにキリギリスと地獄の如き環境。それが暗黒街である。仕込みをしている俺の耳に、多種多様な鳴き声が響く。
「ケロロ、ケロロ」
「ギー、ギー、ギー」
「「スーシキイグッ、イグッ」」
「ギリギリギリギリ」
「「ちょっと待て変態の声が二重に聞こえるんだが!?」」
最近は数式ア○○セミが鳴くのも知っていたが放置していた。こいつの鳴き声はやたらと大きくてギャグと流しやすいからな。一番反応に困るのは聞こえるか聞こえないか絶妙な声と共にナニカをしているメス堕ち世襲議員だ。そういう方向のポルノを楽しむのは程々にして欲しい、何故なら洗濯物を任せるのが怖くなってくるからな……。
それはさておき、あまりにも悍ましい声を放置しているわけにもいくまい。しかも何故か二人で合唱している。慌てて俺が二階に上がる。この街で異常事態が起きるのは日常茶飯事。とはいっても狙われているトキの異常は流石に気になる。
「「どうしたトキ!」」
「「スーシキイグググググ」」
「マスター、見て欲しいのじゃ!」
俺の視界にいたのは3人の女。一人はシゲヒラ議員。そして残り二人が、片方は俺のジャージを着たトキ、もう一人は全裸のトキである。二人揃って顔を赤らめて変な姿勢で痙攣しているが、まあそれはいつものことである。
俺の視線は自然と全裸の方のトキに吸い込まれる。ジャージのトキはあまり肉体の凹凸が分からないが、全裸になるとその扇情的な肉付きが露わとなる。俺がじっと全裸のトキを見ているのに気付いたシゲヒラ議員は無駄に可愛く頬を膨らませる。
「マスター、背が高い女性の方が好みだったりするのじゃ?」
「「そういう意味じゃねえよ。偽物を探ってるんだよ」」
「冗談じゃよ、それはそうとマスターにクイズじゃ。トキが二人、どうしてじゃ?」
「「体拡張してもいい?」」
「だめじゃ」
まあシゲヒラ議員がそう言うということは危険な存在ではないらしい。二人いる理由を適当に考えてみるとしよう。
「「足の生えたゴールポストの本体。あれトキと同じ遺伝子だろ」」
「もしそうじゃったら今回の事件は終了なのじゃ。ハズレ!」
「「平行世界の自分を呼んだ」」
「それができるならマスターをかき集めて逆ハーレムしたいのじゃ」
「「俺が集まったら暗黒街終わるだろ」」
『龍』が10人くらいいる暗黒街、有体に言って終わっている。俺は一人だからまだ許されているのだ、10人もいればもう世界征服できる。いや今でもできるんだろうけど、統治できないしする気も無いんだが。
「「じゃあ未来から来たターミネータートキ」」
「残念、未来に行く技術はあっても戻る技術はないのじゃ」
「「変装したぴょん吉」」
「もしそうじゃったら儂は息子に弟子入りするのじゃ」
「「うーん最悪の光景」」
まあそろそろクイズも飽きたか、と俺は自分の目をちょちょっと変化させる。すると見えるのは異常な熱。一見人肌と同じに見えるが、所々が60度を超える高温に至っている。そして全裸の方だけ少し動きが異常。つまりこいつは。
「「盗り鉄の野郎と同じ義体か」」
「「正解よ。牙統さんと女装バニーさんから融通して頂いたのよ。もしかしたら攪乱に使えるかもと思ってね」」
「「ぴょん吉、ちゃんと仕事してるんだな……」」
「儂の息子じゃからの」
「「お前の息子はもうねえだろ」」
まあ多分ぴょん吉があまり出てこないところを見るに、牙統組とオーサカ・テクノウェポン社を繋げることで役目を果たしこの件からは手を引いたのだろう。とても偉い。足の生えたゴールポストと海外企業、そして一般居酒屋マスターが関わる面倒な案件だ。三十六計逃げるに如かずである。
「というかマスター、いまさらなのじゃがどうしてマスターの声も二重なのじゃ?」
先ほどからずっと気づいていたが、言い出しにくかったのだろう。恐る恐る聞いてくるシゲヒラ議員に答えを与えるべく、俺はもう一体を登らせる。
開け放たれた扉から出てくるのは、俺の予備の服を着た、全く俺と同じ姿をした男。即ち。
「「俺も分身できないかなって思ってさ」」
「人外すぎるわよ!」
「「いやほら、咳をすれば二人って言うだろ?」」
「言わないし咳で分身できるならクローン製作業者は苦労しないのじゃ……」
やってることは単純なんだが、と俺と義体は同時に頭を傾げる。つまり義体と同一だ。脳のない肉体をもう一つ形成し、俺の首元から伸びる肉の紐で有線接続する。残念ながら同時に別の動きをするのは難しいが、監視や牽制には十分だ。面倒な時は片方の体の動作をオフにしておけばいいからな。
「ま、マスター。儂に一人もらえたりせぬか……?」
「やらねえ、ナニに使われるか分かったもんじゃねえだろ」
「完全な同一体を培養、特殊方式で接続……。理論上は可能だけど、意味が分からないわね。性能も明らかに高そうだし……」
「あ、戦力はほぼ同等だぞ」
「ネゴシエーターが泣くわよ」
というかスッと数式ア○○状態から真顔に戻れるトキが恐ろしすぎる。先ほどまでの痴態は何だったのか、真面目な顔でトキは俺と自身の義体を何度も触る。
「「というか操縦できるんだな」」
そう、意外だったのがトキが人間の義体という操縦が困難なものを扱えるということだ。基本的にドローンや義体など自身と異なるものを追加で動かす場合は専用のプログラムを構築・操作する必要がある。
義体を直接脳に接続してしまうと自我崩壊のリスクがあるので仕方がないのだが、それ故に直感的に扱うのは不可能と言ってよい。足の生えたゴールポストがきちんとサッカー(?)出来ていたのは彼女の技術力の表れと言える。
俺の尊敬(?)の目線に対しトキは首を振る。
「「残念ながらできるのは指定された動作だけよ」」
「「じゃあさっきの鳴き声は……」」
「「テスト動作ね」」
「「最悪なテストだな。もっとあるだろ、真っすぐ歩くとか」」
少なくとも一階まで声を響かせるのは勘弁して欲しいものである。盗聴を頑張ってる皆さんになんて説明すればいいんだよ。
因みにこの店の周辺では色んな組織が盗聴を頑張っている。一般人に対して何たる仕打ちか、と定期的に見つけ出して破壊したり盗聴器周辺に爆音で音楽をかけたりしているのだが、意外と効果はあるようで。何故か分からないが耳に包帯を巻いたおじさんが謝りに来たりする。小さい音を拾おうと音を大きくし過ぎるからそうなるんだよ……。
「「あら、発声と運動を兼ねた最高の動作なのだけれど」」
「「屁理屈こねるなよ。というか、お前やっぱり『未来流刑』を受ける前提なんだな」」
俺がそう言うと、トキの動きが少し止まる。以前から気になっていたことだった。トキは一度たりとも、俺に『未来流刑』から助け出してくれと言わなかった。かといって、早く『未来流刑』に処してくれとも言わない。
その奇妙な態度について、そろそろはっきりさせないといけない時が近づいていると思っていた。アヤメちゃんは焦らすことで利益を得ようとしているが、それはあくまで牙統組の理屈。
この現状で最もストレスを感じているのはトキのはずだ。頭脳を狙われ続ける日々。安全地帯にいるとはいえ、いつそれが無くなるかも分からない。
「「……まあ、それはそろそろ考えるわ。牙統さんに調べてもらってることもあるし。それが終わったら、『未来流刑』を受けるわ」」
「「……お前はそういうが、200年でも辛かった。世界と自身が隔絶した。当たり前が当たり前でなくなる恐怖。お前は、1000年後の世界に行かなければならないほどのことをしたのか?」」
俺の当然の問いかけに、彼女は当然頷く。
「「ええ。『PCW計画』は何があっても消さないといけないわ。仮に私が死んだとしても」」
◇◇◇◇◇◇◇◇
トキが全裸の義体と共にキメ台詞を吐いてから数時間後。既に深夜であるが、暗黒街に夜は無い。多くの店は機械化による24時間営業を達成しており、商店の類で買い物をするのも容易である。銃弾と薬品と産業ごみが落ちる汚い路地裏を、俺はビニール袋を持って歩いていた。
「うげー、分身あると制御が面倒だな……」
深夜。俺は買い物をしに外に出ていた。最近きな臭過ぎて買い物に行きづらくなっていたからな。こういうタイミングで買い込んでおかないと、店を開けなくなってしまう。
因みにトキの護衛は大丈夫なのか、と思うかもしれないがそこは大丈夫。なんと分身は出しっぱなしである。おかげでヘンゼルとグレーテルの如く自身の置いた跡を辿り帰宅する羽目になってしまった。まあ伸びているのは有線接続用の肉の紐なんだけど。これオンライン化できねえかな……。
分身の視界を覗くと、俺に向かって何やらしようとしているトキとシゲヒラ議員の姿が見える。とりあえず二人を分身でデコピンしながら俺は店に戻る。
夜の道は嫌いじゃない。適度に灯りがあるから暗闇の恐怖もなく、ただ路地裏の静かさだけが心を落ち着かせる。深夜徘徊が趣味という人がいるのも頷ける話だ。
「ん……?」
が、その道中で違和感が走る。静かであるが響くタイヤの音。消音ブーツで路地を駆け抜ける音。僅か数秒で、俺の周囲に見慣れぬ装備をした兵士たちが現れる。
全体的に丸みを帯びた装甲服に、腰に掲げる筒状のナニカ。彼らは一切の無駄を排除し、腰の筒を俺──ではなく、俺の周囲に向けて発射する。それは網だった。ただし捕まえるためというよりは空間を遮るためのもの。網は各端点に取り付けられた小型ドローンにより綺麗に立方体を描くように俺を取り囲んだ。
「おいおい、なんだ……!?」
結論から言うと、彼らは極めて優秀だった。俺が違和感に気付くと同時に動き、俺が戸惑いから立ち直る前に初手で即死攻撃を叩き込み、戦闘を終わらせる。
いつも俺が不死身すぎるから忘れていた。本来まともな人間が特殊工作員と対峙すれば。状況を把握し、言葉を交わし、対応する間などない。一瞬の間に攻撃を行い、次の瞬間に離脱する。実に無機質な殺傷行為。
この網は空間を区切るための檻であり、そして対象を一撃で殺傷するための下準備である。網に電流が走り、異様な熱と特殊なガスを生む。
「コードネーム『PCW』起動!」
俺の聴覚がその音を聞いた瞬間。肉体が断絶する。切り裂かれるのではなくずらされる。空間ではなく時間が、俺の細胞を分断し離散させる。名状しがたき酔いが、肉体の破壊により打ち消され意識が薄れていくのを感じる。かつてない勢いの破壊が俺を襲い、再生が何一つ追いつかず体がただただ崩れていく。
アルタード研究員が諦めた作戦。体内27箇所に存在する細胞再生器の同時破壊による『龍』討伐作戦。不可能故に一蹴されたその案は、トキの成果により実現する。
そういえば、ヒントは山ほどあった。
例えば、ぴょん吉と初めて会った時の言葉。ハヤサカがツキノさんと会った日の話。
「会話を拒否して逃げ出したと思ったら、こんな所に……!」
「『龍』さんが分裂してた日に会ったッス」
違和感が繋がる。ああなるほど、トキお前、そりゃ『未来流刑』になるに決まってるだろ。なんてもの作ってやがる。『不死計画』に並ぶくらいにぶっ飛んだ話じゃねえか。
すなわち『PCW計画』の肝とは。
「完成されたタイムマシン、かよ……!」
そしてそれを兵器に転用することにより。無敵のはずの俺の肉体はバラバラに分断され、時の彼方へ散り散りに消失するのであった。
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