ゴールポストの憂鬱
「……以上が現状です」
「……どうして『龍』は動かないのですか!」
オーサカ・テクノウェポン社の追手から逃れるために用意された、暗黒街の片隅にある部屋で、足の生えたゴールポストの操縦者、トキの妹であるソラは絶叫していた。
普段はゴールポストであるが、あくまで操縦者の彼女は生身だ。長期間にわたる追手からの逃走のせいで散髪ができておらず、ソラの青髪は伸ばしっぱなしになっている。それでも姉と同じ整った容姿は何一つ損なわれていない。唯一、健康状態のせいかソラの背が姉に比べて伸び悩んでいるくらいが二人の違いであろうか。
報告に来ているのはネゴシエーターである。とはいっても彼は遠隔操縦の義体であり、本体がどこにいるのかはソラも知らない。ネゴシエーターはソラの絶叫に対し、静かに肩をすくめた。
「何故クワガタを取ったりカードゲーム大会に行ったりしている! やることがあるでしょう、やることが!」
ソラの目標は、あくまで姉であるトキの救出。そのために得体のしれないネゴシエーターと組み、オーサカ・テクノウェポン社を裏切ったのだ。にもかかわらず、状況は良く分からない方向に移動している。
トキをネゴシエーターに引き渡す方向で進むのかと思ったらその様子もない。かといって牙統組、そしてオーサカ・テクノウェポン社に引き渡し『未来流刑』を執行する方向で進めるのかと思えば特にその様子もない。尾行を担当する者から送り付けられてきた、姉が「カードバトル、スタート!」と叫ぶ音声がソラの耳にこびり付いている。
法を超越する暴力を持つ大企業に睨まれ続けてるのに、トキはまったり(暗黒街基準)と居酒屋ですごしているだけ。そんな日々が続くことに、ソラは焦りを感じていた。
「本来の行程では、もうこの時期には牙統組から姉さんを回収し国外に脱出できていたはずです」
「その通りです。しかし牙統組が『龍』に依頼し、挙句の果てに匿ったまま時間を稼ぐのは想定していませんでした。牙統組とは以前の抗争でひどく揉めましたし、関係修復を図っているとはいえども、依頼を引き受けるほどとは」
つまるところ、ネゴシエーターとソラの計画の落とし穴こそが、居酒屋の経営不振と漁船『債務者御一行』の存在、そして何より『龍』の変化だった。今までであれば面倒くさがって依頼の一つたりとも受けなかった『龍』が能動的に動くようになった。
転機は牙統アヤメの粘り強いコミュニケーションと、シゲヒラ議員の一件ではあるのだが、そんなものを部外者の彼らが知るわけもなく。牙統組を強襲しトキを回収する予定だったのに、結果として絶対に手出しできない位置にトキが匿われるという絶望的な事態に陥ったのであった。
なおこの策が牙統アヤメによるものであることは言うまでもない。ネゴシエーターたちがトキを襲撃し奪いにくる可能性が高いと判断した彼女は、『龍』に回収のみを依頼し引き渡しを要求しない方向に変更したのである。
「ネゴシエーター、早く『龍』から姉さんを引きはがして」
「無理ですね」
ソラの当然の願いを、ネゴシエーターは当然却下する。
「『龍』に勝てる戦力を、我々は保有していません」
「あなたたちは大企業です。それくらい」
「いいえ、ありません」
本来であればこういった弱気の発言はネゴシエーターがするべきものではない。海外企業という強大なバックを売りにする交渉屋としては、自らの動かせる実力を誇張することも多々ある。
しかし誇張にも限界がある。それほど彼我の実力には歴然とした差があった。ソラは信じられないと首をふり、ネゴシエーターに食ってかかる。
「以前の『アルファアサルト』との戦闘を見る限り勝ち目はあるはずです!」
「ないですよ。あれは小手調べにすらなっていません。前回の戦闘はあくまで『アルファアサルト』を殺さないよう手加減をしていました。今回我々が用意可能な戦力は大半が無人兵器。なすすべもなく瞬殺されるでしょう」
「なら人を無人兵器にくくりつけて肉壁にすれば!」
「不可能ですよ。その場合は『龍』が少し時間をかけるか、あるいは面倒くさくなって殺しを許容するかのいずれかです。それに、あと切り札が70個ほど残っているとの情報もあります」
ソラがその理不尽さに押し黙る。『龍』が強いことは聞いていた。暗黒街最強、本人曰く企業を敵にしても勝てる。
だがその言葉をソラは一部脚色が入っていると思ってしまった。あまりにも非科学的すぎる。最新鋭の戦車やミサイル、化学兵器を凌駕する居酒屋のおっちゃんという存在を、少し疑ってしまっていたのだ。
だが、このネゴシエーターの言葉で確定した。あの男は紛れもない本物だ。
「姉さん……」
ソラは座り込み、無意識に端末を操作しホログラムに一枚の映像を投影する。それは10年程前に撮影した写真。まだ学生時代の姉妹ふたりで撮ったものだ。どちらも無邪気な笑顔をしている。それを見てネゴシエーターは優しく声をかける。
「以前にも伺いましたが、確かお二人はオーサカ・テクノウェポン社のクローン、その中で『アタリ』などと呼ばれる個体だったのですよね」
「……うん。私は並列思考及び操縦技術、姉さんは学術に優れてた。だからオーサカ・テクノウェポン社の特待生として恩恵を受けながら、寮で生活してた」
あの頃は良かったとソラは天井を見上げる。だがそこにあるのはあの時いた部屋と打って変わって無機質な金属であった。あの部屋もここも、事実上の牢屋であることには変わりがない。ただ当時のソラたちには夢があった。
「将来は汚染区域再開発事業にオペレータとして関われるんじゃないかとか、姉さんは研究が上手く行って偉大な研究者になれるんじゃないかと期待してた。……でも、そうじゃなかった。私はトーキョー・バイオケミカル社との抗争に駆り出されて画面越しに人を殺す仕事についたし、姉さんは研究を完成させた挙句、上層部の判断で『未来流刑』に処されることになった」
そしてこの数年で、それらの夢は全て潰えた。楽しかった時間は地獄の前座と成り果てて、二人揃ってオーサカ・テクノウェポン社の犠牲になろうとしている。
ソラがオーサカ・テクノウェポン社を脱走し、ネゴシエーターに助けを求めたのは姉を助けて貰うためだけではなく。人殺しに加担させられる自分を救うためでもあった。だが今、その道は閉ざされつつあった。
万一この脱出劇が失敗に終われば、トキとソラは処分される未来しかない。ソラの焦りは頂点に達していた。
「心中お察しします。殺人は、暗黒街の住人や適性のある人間でなければ負荷がかかります。特に他に夢があるのに、無理強いされているソラさんのような方はなおさらです」
そしてそこに悪魔がつけこむ。ネゴシエーターは機械の手をぽんとソラの肩に乗せる。
「大丈夫です。私たちには秘策があります。お姉さんの研究を応用したあの兵器。『PCW計画』破棄に伴い破壊される研究装置を極秘裏に回収し、異常動作だけは行えるようにした欠陥品であり、兵器としての完成品。それがあれば、『龍』だろうと消し飛ばすことが可能です」
「でも姉さんは……」
本来であれば、ソラはこの提案を断ることができる。自らの姉が、自身の研究『PCW計画』を悪用されることをひどく嫌っていたから。そのために『未来流刑』に処されることすら受け入れたのを知っていたから。
だが今、ソラに断るほどの精神的余裕などあるわけもなく。
「……姉さんにバレないようにしてくれるなら」
「承知致しました」
かくして8月某日。『龍』への『PCW計画』を応用した兵器の使用が決行されることとなる。
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