真夏の夜の怪談
「2240年夏季オリンピック、開幕です!」
「おお。もうそんな時期か」
端末から流れるニュースに頷きながら、俺は先導してくれる黒服の後をついていく。盗り鉄ネゴシエーターと遭遇してから数時間後。既に夜となっている中、アヤメちゃんに連れられて俺とトキは牙統組の本拠地に来ていた。
因みにあの後ネゴシエーターは爆発四散した。どうやら足の生えたゴールポストと同じく遠隔操作だったようで、機械の破片が散らばるだけであった。というわけで本来の目的を果たすべく、電車(肉抜き済)……ではなく、アヤメちゃんの車に乗せてもらったというわけである。
初めからそうしてくれよ、という思いもあったんだけど、タイミングの良さを見るに完全に撒き餌だったのだろう。まあ釣れたのは変な奴だったけど。
アヤメちゃんは防具を外してきますと言って別の場所へ行ったので、俺達は待合室で待機してから移動を開始した。しばらく長い廊下を歩いていると、豪奢な機械扉に出くわす。俺が気軽に入ろうとする中で、トキは緊張した面持ちであった。
「暗黒街における強大な勢力、牙統組のボスがここにいるのね……。大丈夫かしら、私急に射殺されたり加工されて肉袋にされたりしないかしら……」
トキはやはりと言うかなんというか、緊張しているようであった。まあそもそも彼女自身が追われる身。加えて、牙統組は忘れがちではあるがれっきとしたマフィア。まあそうやって緊張するのも仕方がない話である。
「大丈夫だ、いざとなったらもう一回爆破するだけだから」
「もう一回!? 既に一度やってるの!?」
「さていくぞ、お邪魔しまーす」
「まってまってまって!」
騒ぐトキを無視して俺は扉を開ける。するとその先には、至極まったりとした空間があった。
畳が敷かれた広い空間の真ん中に、風格のある木の机が置かれている。その上には4人分の料理が並べられていた。そして俺達の向かい側に、2人の女性がいた。一人はアヤメちゃんで、もう一人は見覚えがあるが見知らぬ人物だった。
「あらいらっしゃい」
そういって穏やかに笑っているのは、アヤメちゃんの20年後はこんな感じなんだろうなと思わせる30代の女性だった。長く美しい黒髪に整った顔、艶めかしさを感じさせる声色に豊かな胸。
「初めましてマスターさん。アヤメの母のツキノと申します。牙統組の理事長も務めさせて頂いております、どうぞよろしくお願いいたします」
「どうも、居酒屋のマスターをしている八神といいます。4527号でもマスターでもお好きに呼んでください」
「ちょ、ちょっと待ってくださいおじ様!」
さらりと挨拶を交わす俺達であったが食って掛かったのはツキノさんの隣に座るアヤメちゃんだった。アヤメちゃんは相当焦った顔で身を乗り出してくる。
「おじ様の苗字初めて聞いたんですけど!?」
「いや別に隠してたわけじゃないし。むしろどこかで言わないとなーと思いつつ、言う機会が無かったんだもん」
「もん、じゃないです! そんな、私だけこっそり苗字を教えてもらえる展開を期待していたのに……!」
「それは少女漫画の読みすぎだろ」
「そうやって信頼関係を築いた所で監禁生活で愛を育み始め……」
「それは教科書の読み過ぎですよ、アヤメ」
「そうそ……教科書!?」
アヤメちゃんはおろろと崩れ落ちる。どうやら俺の名前が相当大事なものだと思い込んでいたらしい。そんなわけないんだけど。あと教科書ってなんだよ。
「というか私と違って初手から反応が良い……」
「そりゃアヤメちゃんと会った当初は牙統組と揉めた後だからだよ」
言い換えればアヤメちゃんがここまで関係性を修復してくれた、と言うべきなのだが。まあそれは恥ずかしいので言うのをやめておこう。因みにツキノさんはこちらを見ながらフフフと穏やかにほほ笑んでいる。うわこれ絶対にバレてるじゃん。
『まもなくオリンピックの試合が始まります、砲丸投げの選手入場です!』
そんな横ではホログラムでオリンピックの試合が開かれていた。が、俺の知っているそれとは違い各選手は国ではなく企業の名前を背負っている。
「国別じゃなくて地域別みたいな感じなのか」
「勿論国家としての地位が残っている所は国名だけど、それ以外は地域名+企業名、という感じね。……今更だけどあなた、箱入り娘?」
「どこが娘だ。強いて言うなら箱入りおじさんだ」
「おじ様は自称21世紀少年ですから。あと箱入りおじさんに名実共になりたいならぜひ連絡してください。『バンデイン多重構造複合金』でお待ちしております」
「牢屋だけは絶対NG」
そんな話をしていると、トキはどんどん訝しげな表情になる。大事な会合なら、隣でこんな映像を流しているはずがない。これではまるで普通の食事会みたいだ。
「……それで、呼び出した理由は何かしら?」
そう、トキにとっての重要事項はアヤメちゃんの漫才ではなく『未来流刑』に関わることである。が、それはさらりと流されてしまう。
「強いて言うならさっきのネゴシエーターとの話が全てです。彼らは本国と連携してあなたの研究を盗もうとしています。私たちはあなたの古巣、オーサカ・テクノウェポン社と連携してあなたを『未来流刑』にしようとしています。それをお伝えしたかっただけです」
つまり。あのネゴシエーターを釣るのが目的だったので、それが終わった今完全に一緒に飯を食べるだけ、ということらしい。確かに目の前の料理はご褒美ということなのかやたらと凝っており、そうそう食べられなさそうなラインナップが並んでいる。うわ、刺身も種類が多い、でもマグロマンって記載されてる奴だけは絶対食べないからな。マンってなんだよ。
それはそうと、そろそろ俺にも教えて欲しいことがあったので流石に質問することにする。俺の名前と同じくタイミングを逃したので聞けてなかったんだけど、本来最初に開示するべき情報なんだよな。
「なあ、いい加減聞きたかったんだがこいつの研究って何なんだ? 強制数式ア〇〇マシンとかか?」
「おじ様、それは既に開発されています」
「開発されてるの!?」
衝撃の事実をさておき、アヤメちゃんはぼそりと呟く。
「すなわち、『未来流刑』はあくまで欠陥品。トキ研究員が作り出した物こそが、本来の兵器です。……とはいっても、調整が厳しすぎてトキ研究員無しではまともに使い物にならないようですが」
「もう少しくわし……」
「それ以上私の研究を知った口で語らないで貰えるかしら、アヤメさん?」
俺はそれについてもう少し踏み込もうとした。が、トキの今まで見たことのないような険しい表情が俺の口を縫い留める。彼女は本気で怒っていた。今の部分のどこで怒っていたのか。……恐らく、兵器という部分なのだろう。
俺はこれ以上踏み込むのを一旦やめることにした。仮にこの件について踏み込むとしても、トキの頭が冷えてからだ。そう思って、再びオリンピックの映像に視線を向けた。
「砲丸投げの選手出場です! まずは日本地域、オーサカ・テクノウェポン社代表!」
おお、早速トキが所属していた所が選手を送り出すらしい。俺は気を取り直してワクワクしながら画面を見つめる。
こういうスポーツ観戦、結構好きなんだよな。応援している選手が勝つと嬉しいし、試合の駆け引きや凄まじい身体能力は見ているだけで驚嘆する。やはり古くからある伝統的な娯楽だけあって、人としての何かが引きつけられるんだよな。
そしてゲートの中からキャタピラが現れた。
『機動戦車、入場!』
「いや駄目だろ!」
なんで機動戦車が出てくるんだよ、おかしいじゃねえか! だがアナウンスは何一つ間違いではないらしく、ガタガタというキャタピラの音とともに機動戦車が出現する。砲丸投げじゃなくてそれは砲丸射出だろ、何やってんだ!
「あの戦車は自認が人間ですので」
「凄いパワーワード来たな」
『続きまして、バイオゴリラ2世選手!』
「おじ様、あの人はゴリ認が人間らしいですよ」
「ゴリ認ってなんだゴリ認って!」
確かに俺の時代にも自認という概念があった。性自認が女性で体が男性の選手は、果たして女性枠としてスポーツに出れるのかという議論が結構されていた記憶がある。
まあそう言う話ならまだ分かるけど、種族を超える話は流石に聞いた事が無い。ゴリ認が人間なら人間枠として出場できるだなんて例は俺の時代には無かった。
ツキノさんは平然とした顔で画面を見ながらほほ笑む。
「4年前は自認が猫の青年がサッカーの試合に乱入して話題になりましたね」
「自認が猫の青年……?」
「シュートを妨害したのですが、にゃーんと言っていたので猫だろうということで御咎めなしでした」
「判定が雑過ぎる!」
あまりにも酷い話であったが、続きを聞くと納得できる部分もあった。すなわち猫が侵入できるようなスタジアムが悪いのであり、猫では破壊できない仕組みにしたらしい。まあ確かにこの異常な23世紀の社会で妨害できるガバガバ警備の方が不味いよな。
が、ツキノさんが言うにはそれ以上に重要な理由もあるようであった。
「それにバイオゴリラなどの改造生物は特にそうですが、知能が高まり過ぎた彼らは元の種族の群れに帰属できません。都会の人が猿の群れで暮らすようなものですから。だから一定の資格を得た人々は、生物学的には人間ではなくとも人としての資格を持ちます」
「なるほど……?」
そういう意味で言えば、多種多様な人が生きやすい世の中になったとは言えるのかもしれなかった。様々な技術が発展した今、人間の差、例えば男女差や才能の差といったものがかなりの割合で無視できるようになりつつある。それこそ今回の例で言えばゴリラと人という種族の差も超えられたわけだ。
そういった中で、この23世紀では従来の枠組みに囚われる必要が無くなった人々が思い思いの生き方をして、それが受け入れられている。種族がゴリラでも人として生きても良い。自身の生きたいように、生きやすいように自認しても、周囲は受け入れてくれる。例えばこのオリンピックで選手として認められているように。
「よい世の中になったのかもしれないな……」
でも機動戦車については理由になっていない気がするけど。機動戦車の群れに馴染めなかったのかな……?
◇◇◇◇◇◇◇◇
流石に食事が冷めるということで俺達は机の上の料理に手を付ける。うん美味しい、俺の好みを事前にリサーチ済なのだろう、流石の腕前だ。そう頷いていると、アヤメちゃんが端末を取り出して何やら確認を始める。そして俺に向かって急に畏まった口調で語り始めた。
「父と母から伝言です。二人とも、しばらく海外出張のためご挨拶できない点、申し訳ございません。今後ともアヤメと牙統組をよろしくお願いいたします、とのことでした」
「あーなるほど、組長の親父さんいなかったもんな……ってちょっと待て」
そういえば思い出す。アヤメちゃんは、隣の人物のことを一度たりともその呼称で読んでいなかった。あまりにも自然だったから気づいていなかったけど、でも確かに俺が昔アヤメちゃんの写真で見たあの人は、こんな姿ではなかった気がする。
俺は震えながら、念のため確認した。まさか、そんなはずないよな……?
「このツキノさんって……?」
「私の母を自認する組員です」
「どうも、アヤメの母です♡」
そんな怖いことある?
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