第28隔離室襲撃事件

 オーサカ・テクノウェポン社本社ビル最深層第28機密隔離室。かつては本社の一部だったそれは、今では暗黒街の片隅に佇む巨大な要塞と化していた。幾重にも重なる分厚い装甲と自動兵器たち、ミサイルを迎撃する短距離超電磁砲に反撃用の重力兵器とありとあらゆる武装を詰め込んだ、オーサカ・テクノウェポン社の傑作の一つである。


 その最奥から今日も異常な叫び声が聞こえる。


「数式ア〇〇いぐぅぅぅぅぅぅっっ! このエルマン重力波第6方程式美ししゅぎるのぉぉぉぉぉ!」


 ……足の生えたゴールポストの姉、トキの目覚めの第一声はこれであった。美しい青髪を短く切りそろえ、すらりとした長身を白衣で包んだ女は監獄の中で身悶える。監視役の男はいつものやつか、とため息をついてカメラの映像から目を逸らした。


「ふぅ、ふぅ、夢の中まで現れるなんて本当にこの方程式は最高ね。実に美しいわ……!」


 B10983-103、個体名『トキ』。彼女の性癖は見て分かる通り数式である。その中でも好みなのが物理現象を示す方程式。故に彼女が物理学を専攻するのは必然と言えた。ただ急に大声を出すのでマイクオフか猿轡をつけてしか学会に参加できなくなったのも、同じく必然なのだが。


 そんな彼女は今、オーサカ・テクノウェポン社本社ビル最深層第28機密隔離室に拘束されている。理由は言うまでもなく、『PCW計画』を立案し、成功させてしまったことであった。


 研究を進めたことに悔いはない。だが残念なことがあるとすれば 


「……『未来流刑』まであと2週間もないのね」


 息を整え、壁の狭い穴から押し出てくるペースト状の食べ物を口に入れながらトキはそう呟く。このところ、数式で『楽しんで』からふと冷静に刑の執行を思い出し憂鬱になる。それが彼女のルーティンとなっていた。


『未来流刑』の最大の恐怖。すなわち断絶。


 例えば21世紀の1000年前といえば平安時代、藤原道長の時代である。たった1000年で言語も技術も文化も、全て変わってしまう。平安時代の人間が急に21世紀に投げ出されたとして、適応することなどできるだろうか。


 そもそもこの23世紀の1000年後、33世紀ともなれば地球が生活できる環境なのかすら怪しい。未知への恐怖は確実に彼女を蝕んでいた。


 とはいっても研究内容的には仕方がないとも言えるのだけど、とトキは心の中でぼやく。そうこうしているうちに、壁面のモニタに映像が映る。この要塞を統括する管理者である、壮年の男は珍しく額に汗を浮かべていた。


 この男が管理者の権限を濫用していることを、トキは知っている。禁止されている面会や差し入れ、情報の伝達や脱獄などを密かに手助けし、数多の資金を懐にしまっていた。しかしこの男の隠ぺい力は大したもので、それが本社にバレている様子は無い。トキはまたしても『誘い』の類かと疑ったが、しかし今回は異なるようであった。


『トキ研究員、おはようございます』

「あら、12回目の研究データの密売の誘いかしら? 今回の賄賂は幾ら貰ったの?」

『そうではありません、今後の護送及び刑の執行について、連絡事項があります』


 トキは画面をいぶかしげな表情で見上げる。実を言えば、刑の執行において最も難題であるのは『未来流刑』執行地への移動であった。社内の『PCW』計画を利用しようとする者は勿論、社外の人間の魔の手も忍び寄ってきている。


『現在、あなたを奪還すべく襲撃が行われています』

「またなのね」


 トキは管理者の男の言葉に淡々と相槌をうつ。この要塞に配備された無数の兵器、そして建築当時は機密扱いだったバンデイン多重構造複合金の装甲に勝てるものなどいるわけがない。つまりここからの話は、彼らが誰の差し金でやってきたのか、というものになる。この管理者の差し金でないとすればいったい何者なのか。まさか海外の企業なのか──


『無血開城と抵抗したふり、どちらがいいでしょうか?』

「……ん???」


 が、トキの予想は大きく外れる。オーサカ・テクノウェポン社の威信をかけて造られた無敵の要塞に対して放たれる言葉ではない。どういうことだ、とトキが立ち上がると同時に、もう一つのモニターが映り現状を映し出した。


『ボールを相手のゴールにシュ────ト!!!』

「機動戦車はサッカーボールだったかしら……?」


 端的に言って、ありえない光景が映っていた。単体で数十トンはある機動戦車が宙を舞う。巻き込まれた無人兵器たちは無残に弾け飛び、何もできずに地に伏す。破壊の中心に一人の男が立っていた。一見無精ひげの生えた普通の男に見えるが、彼の脚は明らかに異常であった。


 分厚く、筋肉質で、硬い二本の脚は飛蝗のそれを連想させる。だが人間サイズのそれは、さらに複数種の機構が合わさることにより圧倒的な暴力を生み出していた。


 遺伝子改造を施された人間であれば、体の一部が変質しているのはよくあることだ。問題はそれらが常に動き、入れ替わっている点である。機動戦車を倒し終えた瞬間、歩行を早めるべく無駄な筋肉が解けて落ちていく。同時に恐らく哺乳類の何かと思われる鼻が出現し、匂いを嗅ぐと直ぐに消失する。


 完全に制御された遺伝子発現。遺伝子改造を研究する者たちの目指す極地は、無造作にバンデイン多重構造複合金の扉の前に立った。


『これがモヒカンの言っていた多重装甲だな、でもバンデインは酸で行けるんだよ。合成合成、ちょちょいのちょいと』

「……即席での化学合成、体内人工特殊臓器、トーキョー・バイオケミカル社の『賢者の石』……!? あれは制御不能で開発停止したはずでは」


 侵入者の指先からどろり、と透明な液体が流れだす。その流れは止まらず、明らかに体の体積を超える酸が生まれ、バンデイン多重構造複合金の無敵の装甲を穿っていく。同時に彼の足元は少しずつ沈んでいた。いや、酸の原料を得るために分解していた。


 トキは暗黒街のことを詳しくは知らない。だが、生化学系の研究者たちが話していたのを聞いた事がある。当時は眉唾で、裏どりをしようにも情報が出てこず、ただの嘘だと断じてしまった一つの噂。


 不死の存在で、ありとあらゆる生命の形態を模倣でき、無数の物質を体内でいともたやすく合成する、馬鹿馬鹿しいまでに無敵の存在。


 暗黒街には、最強の『龍』がいる。


 画面の向こうでは溶かした扉の穴に向かって圧縮可燃ガス砲を放つ男の姿がある。トキのいる牢屋に激しい振動が届き、何かが開いた音がした。


『トキ研究員、君に対して一時的な釈放を認めます』

「どういうつもりかしら?」

『脱獄事件が発生し本社から監査部隊や私の責任を追及する裁判の通知からは何があっても逃げなければならない。しかしあの『龍』を倒すことなど不可能』


 無理が通れば道理が引っ込む。この場合、無理とは『龍』の存在でしかない。管理者は暗黒街で過ごして長いからなのか、それとも過去に辛酸を味合わさせられたのか。『龍』には勝てないという事実を完全に理解しているようであった。


『我々が『龍』に、防衛試験及び『未来流刑』の刑場への護送依頼をしたことにすれば全て解決……! これなら本社からの監査部隊がやってくることもない、何故なら全て想定通りだからです……!』

「そんなわけないでしょう」


 管理者の言うことは滅茶苦茶であった。トキが静かに否定したように、全てがおかしい。無理をしすぎているし、言い訳にしてもあまりにも苦しすぎる。


『想定通りなのでセーフ、セーフ、セーフ! 監査部隊だけはやめてください! 汚職パラダイスを汚さないで……』

「いや、この方向に落とし込まざるを得ないことを見越していたの……?」


 トキは暴れまわる怪物の背後にいる人間の思惑をおおむね理解する。ここの管理者の特技は汚職と賄賂。故に突っ込まれてしまえばボロは無限に出てくる。無理を通さなければ、沈むのが自分であると分かっている。だからどれだけ苦しい言い訳であったとしても、この男は保身のためにそう言わなければならない。『龍』の襲撃は想定内で、我々から依頼したものであると。


「おー、ここにいたか。モヒカンの情報通りだな」


 ついに『龍』は、気安く家の扉を開けるかの如く分厚い壁を引きちぎり侵入してくる。恐るべきはその顔に緊張など欠片もないということだ。当然だ、彼にとっては自身たちは敵ですらない。地を這う蟻への感情は無関心や鬱陶しさであって、間違っても緊張などではない。それほどに彼我の差は隔絶している。


「……他の企業に研究は売らないわよ」

「それでいいさ。とりあえずここを出て飯でも食おうぜ」


 ナンパの類かと勘違いしそうになるほど気軽な言葉。トキはため息をつき、自分に選択権がないことをはっきり自覚する。あるとすればここで舌をかみちぎる程度……であるが、採算を度外視するのならば死後直後の脳からデータを吸い出すことは理論上可能だ。無論データの破損や誤謬などの問題はあるが、自分が今死んだところで状況は好転はしない。



 トキは、『PCW計画』の全てを遠く彼方に消し去る義務がある。



「……連れ出した瞬間舌を嚙みちぎってもいいのよ?」

「そこはお前の自由さ。俺が依頼されたのは救出までだ。まあ仕事が終わったからといって適当に放り出したりはしない。胸糞悪い結末にはしないよう頑張るさ。主に俺に脅された牙統組が」

「……それを決めるのはあなたの背後にいる企業でしょう?」

「まあどうしても意見が食い違ったら企業の方と『お話』するだけだ。無理が通って道理が引っ込む、そんなことは駄目だろう?」

「あなたが言うの!?」

「──それに、『未来流刑』は気に食わないんだよ、個人的にな」


 だが、その言葉だけは信用できた。これだけの要塞を単独で突破できる戦力。そんな存在であれば、金も名誉も権力も自由なはずだ。だからこそ個人的な好悪、という概念はトキにとって受け止めやすい行動指針であった。


 現状のままではいつになっても話が進まず、管理者の汚職を恐れ続ける必要がある。それなら賭けに出てみる必要があるだろう、とトキは判断した。トキは大人しく両手を上げて『龍』の後に続く。後には破壊痕と言い訳に奔走する管理者のみが残されるのであった。



「さあ行くぞ、漁船『債務者御一行』!」

「急に行きたくなくなってきたわね……。あ、自己紹介がまだだったわね。数式〇ク〇です、よろしくね」

「自己紹介なら名前を言えよ!」




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