問診に参りました

 数日が過ぎたある日、シゲヒラ議員は背伸びをしながら店のシャッターを閉める。時刻は既に夜12時で、店の周りには人通りひとつない。


 今日も店は大繁盛だった。マスターは大喜びで料理を作り続け、一か月は持つと思われたコロッケの在庫が遂に切れてしまった。


「明日仕込み手伝ってもらうから、早く寝ろよ変態」

「はいっ♡」

「きっも」


 2階から届くマスターの声は、以前と比べ随分と嫌悪が減っている。何故か知らないが、あのマスターはやたらと感覚が古い。かつて自分がいた家と変わらないほどに。


 違うのは排除する気が無いことだ。もう少しすれば、ネタにされることはあれど本当にシゲヒラ議員の在り方自体を嫌がるようなことは無くなるだろう。


「一先ず受け入れてもらえそうで何よりじゃ」


 それはシゲヒラ議員の本心だった。そもそも今のシゲヒラ議員は犯罪行為を引き起こした、明確な邪魔者。持っている情報の質の悪さを考えれば、いつ誘拐されて拷問されてもおかしくない。


 目覚めた新性癖、ドMで対抗しようにも拷問は流石に範囲外だ。ドエムアサルトほどの深みには、シゲヒラ議員は未だ到達できてはいなかった。そんな中、自分が呑気に居酒屋で店員をやれているのは正にマスターのおかげだった。


「お休みなのじゃ」


 店前を片付け、2階のマスターに挨拶してから3階の元麻薬倉庫に移動する。もともとここは麻薬の売人からぶんどった建物らしく、妙に広かったりトイレが1階にしかなかったりと変な所がある。


 今は全く使っていないのか、コンクリートの床が無機質に広がるだけの広場。それがシゲヒラ議員に与えられた寝床だった。だが今は、その場所は大いに変貌しつつある。


 床にはカーペットが敷かれ、中古ではあるが質の良いベッドが置かれている。箪笥には幾つもの服が仕舞われており、シゲヒラ議員はその中からパジャマを取り出して着替え始めた。


 これらは全て、マスターから貰った給料で買ったものだ。勿論過去の隠し財産に手をつける、ということも考えたが今はしない方が楽しいと判断したのだ。


 裸になった自分の体を見る。陶磁器の如く美しい造り物の肌、所々に存在する換装部の継ぎ目。鏡に映る端正な顔。かつて思い描いた理想そのものがあった。


 そんなことをしていると、自身の置換脊髄機構に一件の着信が入る。見覚えのある名前に、シゲヒラ議員は眉を顰めながら応答した。


「アルタード研究員か」

「久しぶりだな、シゲヒラ議員」


 通信先から聞こえる低い声。かつての自分の声が耳元に響いていた。アルタード研究員の問いかけに、苦い記憶を思い出してシゲヒラ議員は顔をしかめる。


「日本経済会議を延々と引き延ばしながらトーキョー・バイオケミカル社に追い回されているのじゃろう? 儂に構っている暇などあるのか?」

「如何にも。だが今は派閥抗争中だ、隙を突けばやりようもある。日本経済会議の票、貴様から奪った金。それに在社中に得た弱みを組み合わせれば、トーキョー・バイオケミカル社を特定の方向に誘導する程度容易い」


 特定の方向、という言葉の意味するところがマスターだということを、シゲヒラ議員は昨日のハヤサカからの情報である程度察していた。研究者であるにもかかわらずその手回しの早さは流石だ、とシゲヒラ議員は感心しながら嫌味を投げつけた。


「プランM施術後に自我崩壊したのじゃ、お主これを想定していたな?」

「何のことか分からないが、乗り越えたのなら問題ないだろう。それより女の体はどうだ、楽しめているか」

「……そうじゃな。企業どもの陰謀に気を配る必要もなく、身内からの裏切りに怯える必要もなく。一般市民からの嫌悪の目を向けられることもなく、ただ優秀で可愛い店員と見られるのは、紛れもない幸福じゃ」


 それはシゲヒラ議員の本心だった。かつて、シゲヒラ家当主となり、世襲議員として金を得るべく奔走した日々。しかし結果としては周囲からの冷たい目と休まらない心を抱え、稼いだ金をストレスの解消で消費する、虚しい日々だった。


「初めは金が欲しかった。……それが間違いだったのじゃ。儂の根本にあったのはつまらない承認欲求。他人から認めて欲しい、褒めて欲しいなんていう幼児でも分かる願望。それら全てが金で買えると勘違いして走り切った後には虚無が残った。目的と手段が逆転していた。今までの労力が無駄だと知った瞬間、精神の枷が崩壊した。今まで戒めていた本心に従い様々な物に手を伸ばした。『伝統的』な家では忌避されることにも」

「女装趣味や性転換、というよりはシンプルに可愛くなって周囲からちやほやされたい、という話だったな。くくく、数十年もの間それにしっかり蓋をしていたと知った時、少し感心してしまったぞ。思ったよりお前、仕事人だったのだな」


 意外とこういうものは隠せないからな、と言うアルタード研究員にシゲヒラ議員は少し黙る。改めて見ると、シンプルにそれだけの話だ。それだけの話のために、自分は他人を危険に晒しこのアルタード研究員という人間を野放しにしてしまった。


 今、シゲヒラ議員の体の中にアルタード研究員の意識が入っている、と知っているのはトーキョー・バイオケミカル社と限られた者のみだ。日本経済会議中に彼が何かをしでかすのであれば、シゲヒラ議員は自分に止める義務があると思っていた。


「アルタード研究員、お主は何を目的にしておる?」


 覚悟を決めてシゲヒラ議員はそう告げる。シゲヒラ議員は自身の肉体が何の保険もなく渡されたものだとは思っていない。自爆機構の一つや二つ隠れていて、アルタード研究員の気分一つで爆発してもおかしくないと思っている。


 だが、アルタード研究員は特に気を悪くした様子もなく、「私の体は面白いと思わなかったか?」と返した。


 アルタード研究員の体。数多の身体改造を繰り返した、何にでもなれる肉体。本来は男であったのに、性器を抜き取り腕や胴体を置き換え、僅か数日の間で完全な女の体に変換してみせた。アルタード研究員の歪みの象徴とすら言える、何にでもなれる肉体。


「私は、トップに立ちたかった。何でもよい。足の速さでも暴力でもゲームでも研究でも、何でもよい。誰よりも優れている一つが欲しかった。どんな他者にも誇示できる、最高の一が欲しかった」


 その気持ちはシゲヒラ議員も分からないではなかった。世界一の何かを持つことは、電脳世界が発達し世界が狭くなったこの世ではとてつもないことだ。


 かつて世界は広かった。ネットのない世界では村一番でも他者に誇るには十分だった。しかし今は簡単に上位互換が見つけられる。常に誰かの下位互換として生きるしかない。


「私にはそれが許せなかった。だからありとあらゆる方法で自身を強化した。戦闘用に脊髄と四肢を置換した。研究用に脳を肥大化させ、制眠機で時間を手に入れた。だが結果として分かったのは、私には才能がないということだった」

「身体改造をしても、届かなかったのじゃな」

「如何にも。無数のジャンルに手を伸ばし、世界一を目指した。お前が持っている肉体はその過程で生まれたものだ。だが結局の所、私には身体改造に耐える肉体はあっても、それ以外は無かった。どれだけ改造しても先が無かった。だから、他人になろうとした。自身に才が無いという現実を乗り越えようとした」

「……」

「『不死計画』プランM。完全電脳化構想をベースにした意識の入れ替え。やっていることは簡単だ。まず元の脳と培養した脳、もしくはそれに相当する機械を接続する。接続すれば、二つの脳を一つの意識で支配していることになる。次に薬で徐々に本来の脳を停止させていく。すると自然と足りない処理能力を補うように、停止した分の処理は培養した脳で行うことになる。それを少しずつ繰り返していくことで、連続性を保ちながら意識を移動させる」


 つまりこのプランMとは、主観と連続性の概念を元にした不死の研究であった。この方法であれば、主観は維持されたまま、使用しているCPUが入れ替わったような形になる。あとは記憶などのデータベースさえ外付けの機械などで補えば、古い脳から新しい脳に意識を移し、連続性を保つことができる。


 だが、アルタード研究員はそれを転用した。


「私は才能とは、脳の形質に依存すると思っている。脳そのものの改造は、困難も多く外部と連携させるのが精一杯だった。才能を直接埋め込むような技術は存在しない。だから私は、才能のある脳に移ろうとした。現実を乗り越え、夢を叶えようとした」


 とした。その表現が意味することとはすなわち。


「失敗したのじゃな」

「プランMを奪い、実行するより早く『龍』が出現した。奴が暴れ回ることで『不死計画』自体が中止になり、散り散りになった。プランMは未完成で、記憶や性格の一部が抜け落ちる問題は、解決しないままだった。またしても私の夢は失敗に終わり、もはやどこが元の自分だったのかすらわからない肉体だけが残された。現実が、お前は何をやっても世界一にはなれない、他人の下位互換だと再び突き付けてきた」

「マスターの肉体を奪えば世界一位になれるのじゃ」

「それは無理だ。あれはそもそも人間ではない。それに、私の夢を潰し現実を突き付けてきた奴の肉体など反吐が出る。だから、復讐してやるのだ。今度は私が4527号、『龍』に現実を突きつけるのだ。最強も不死も存在せず、貴様は井の中の蛙でしかないのだと」


 アルタード研究員はそこまで語ってから、ふぅと息を吐いた。シゲヒラ議員の耳元には彼の息遣いと背後で鳴り響く足音と金属音が聞こえる。すなわち私兵と武器。


 もうここまで来たならばアルタード研究員の目的は明白だった。とてもつまらなくて理不尽で、しかし確固たる目的。


「マスターを殺す気なのじゃな」

「如何にも。お前の体を貰ったのも、動かせる金と権力を最大化するためだ。入れ替えに気付かれるのが想像以上に早かったが、まあ問題はない。日本経済会議を引き延ばしている間に全てを終わらせてやる」


 アルタード研究員は低い声で笑い続ける。シゲヒラ議員は深くため息をつきながら、パジャマに着替え始める。


「逆恨みにも程があるじゃろう。これだけの事態を引き起こした動機がマスターへの復讐じゃとは」

「感情というものはそもそもそんなものだろう。他人にとってはどうでもいいものが、私にとっては命をかけるに値する」

「そういうことではないのじゃ」


 シゲヒラ議員はため息をつきながらくまさんパジャマ(フード付き)を被り、ベッドに倒れこむ。今回の件は本当にマスターからしてみればとばっちりもいいところだ。


 『不死計画』についてシゲヒラ議員はアルタード研究員から貰った情報しか知らない。だがその計画の唯一の成功体であるマスターについては、身近で見たからこそその強さを感じていた。


「議員として生き残るコツが一つあってな。普段の相手の立ち振る舞いからその力量を測るというものじゃ」

「?」

「儂が見るに、マスターの戦闘能力は怪物そのものじゃ。牙頭組全員を相手に回しても本気で勝てると思っている。いや、既にやったのかもしれんの」

「……確かに戦闘面で言えば、そういう記録もある。故に先手を取って……」

「違うのじゃ」


 シゲヒラ議員は深くため息をつく。ここしばらくの間、シゲヒラ議員はマスターの周りにいた。その上で思ったのはあまりにも無防備だ、ということだ。鍵は旧式のものだけで、周囲に防衛設備を置いている様子もないのにぐっすりと寝ている。シゲヒラ議員でも夜襲を仕掛けられるほどに。


「恐らくお主が想定しているほどの弱さではないのじゃ」

「……私は奴の無敵の秘密を知っている。潰しようがある」

「そうとは思えぬのじゃ。……まあ、儂が言うことではないが、目的と手段を取り違えぬようにの。お主は何のために世界一……」

「……通信を切る。捜査かく乱の礼に、貴様は狙わないで置いてやる」


 アルタード研究員は極めて不機嫌な様子で通話を切る。この通話は本当にシゲヒラ議員の様子を聞きに来ただけなのだろう。


「なりたかった者に、なれたのか。じゃな」


 シゲヒラ議員にとって、その答えは言うまでもない。嵐の前の静けさという言葉を思い出しながら彼はベッドの中に入るのであった。


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