しょうもない話で騒ぐのが一番楽しい

「僕、匂いが好きなんです」

「じゃあこの納豆はどうだ?」

「何これくっさ……最高です……」


 アヤメちゃんと全裸四つん這い変態女が帰ってから数時間後。そろそろ閉店しようかとでも考えていた時に新たな変態が出現した。2か月ぶりくらいに来たその男を見て俺は軽く手を上げ歓迎する。


 くたびれたコートを着た、背の高い青年の名をシアンと言う。塗装が剥げた眼鏡を付けており、整った顔と合わさって神秘性すらある。まあ実際は貧乏なだけなんだけど。


 俺はシアンの鼻先から納豆を戻し、カウンターで混ぜ始める。この納豆は俺特製、自分の手で大豆を吸水させた後発酵を経て造られた、非常に思い入れのある品なのだ。因みに納豆菌はとある企業から融通してもらった。ちくしょう、納豆一つ用意するのにこんなに時間がかかるとは……。しかも何か臭いし。味は普通なんだけどなぁ。


 そういえば納豆って、元々臭かったけど匂いが減るようにしたんだっけ。そう考えれば俺が21世紀で食べていた頃より数倍臭いのも納得がいく。俺はちょっと顔を顰めるが、シアンは逆に恍惚とした表情を浮かべた。


「いやあ、やっぱりこういう劣悪な匂いを嗅ぐと日ごろのストレスが晴れますね」 

「そんなことあるか?」

「おならをした時、その匂いを嗅ぎたくなる欲求はありませんか?」

「それって自分の匂いだから好き、みたいな話だったと思うが」

「僕は誰のでも好きですね」

「聞きたくなかった……」


 この男、シアンは一見どこも身体改造をしていない。というのも彼はサイボーグとは異なる、強化人間であるからだ。


 強化人間とは遺伝子改造や薬物強化により人間の機能を拡張した存在である。例えばシアンは犬の遺伝子を導入されているらしい。サイボーグより遥かに高価であるが、ハッキングのリスクが無いのが大きなメリットである。その性質上、機密を扱う人間に施されることが多い。


 まあその遺伝子改造のせいで、性癖はなおさら加速してしまったようだが。因みにシアンの弱点は工場からの排気ガス。犬としての遺伝子がどうしてもそういった物質の匂いを拒絶するようであった。なので23世紀キッズ共が食べているケミカルレーションとかもかなり嫌いらしい。



 つまり言い換えると、数少ない俺の出す料理を楽しみにする人間の一人である、ということだった。



 今日手に入れたサーモンの残りを出すと、彼は喜んで醤油に漬けて食べ始める。この美味しさをきちんと理解しているようで、顔には笑顔が浮かぶ。こういうのが居酒屋の店主として一番うれしい瞬間なんだよな! ……ちょっと鼻息が荒いのは置いておくとして。


 俺達がそうくだらない話をしていると、つけっぱなしにしているモニターがニュース番組に切り替わる。この店はびっくりするぐらい客が来ない。一日開店して客0人なんてこともあるくらいだ。だから暇つぶしとしてニュース番組を垂れ流しているわけである。


 下らない商品たちの広告がいくつも流れた後、番組のレポーターがニュースを読み上げ始める。



『オーサカ・テクノウェポン社とトーキョー・バイオケミカル社は法人税の減税及び各種法の緩和を求め、本日21時より政府と第143回日本経済会議を行っています。政府側の要求は跳ねのけられる見込みであり、二社間の合意がどこまで行われるかが最大の注目点となります』


 この2240年、日本は二つの大企業に支配されていると言える。


 一つはオーサカ・テクノウェポン社。近畿地方や中国地方、四国や九州を支配する、軍事企業である。銃器や戦闘用車両などを世界中の紛争地帯に売りさばいて利益を得る死の商人たちだ。


 そしてもう一つがトーキョー・バイオケミカル社。関東や東北を支配する医療関係の企業である。通常の治療も行うが、メインはサイボーグ化手術や化学兵器、その治療アンプルの販売が主な収入源の、人体実験が趣味のマッドサイエンティストの集まりだ。因みに『アルファアサルト』はここ所属だ。


 どちらも非道極まりない、2240年を体現するような企業である。シアンはそのニュースを見て複雑そうな表情をしていた。


「……政府が企業の言いなりになる前提なのは、やはりおかしいですよね」


 政府側の要求は跳ねのけられる見込み、という言葉を聞いたシアンの反応がこれである。こいつ、政府関係のエージェントであることを隠すつもりないだろ。


 現在、この世界は企業により統治されている。そのため国家の影響力は非常に小さい。法はあれど、罰を与える力が無い以上どうしようにもない。日本政府は今、オーサカ・テクノウェポン社とトーキョー・バイオケミカル社の間で翻弄される存在となっていた。


「この暗黒街でそんなことを言われてもな。政府どころか企業の言いなりにすらならない犯罪者の巣窟だぞ。そんな真面目君がいるべき場所はここじゃないと思うけどな」


 この暗黒街は、2社の支配域の隙間に存在している。日々権力闘争や陰謀が駆け巡る場所であるが、一方で犯罪行為やはぐれ者が許容される世界でもあった。


 だから政府の犬がこんな所にいるのはおかしいんだけれど。そんな目で見ると、シアンは俺の目を見つめ返してくる。


「僕にはこの街しかないんです。外に出れば薬品洗浄された人間ばかり。耐えられません」

「シャワー浴びてる奴のことをそう思ってたんだ!」


 ついでに地味に暗黒街の住民がきちんとシャワーを浴びていない事実が判明する。因みに俺は風呂までしっかり入っている。ただし手作り石けんしか使わないだけで。髪がゴワゴワになるからシャンプーも欲しいんだけどな。


 でもこいつが匂いフェチとはいえ、清潔という概念はあるはずなんだよな。そう思って少し聞いてみる。


「お前、汚いのは大丈夫なのか?」

「苦手です。なので『本業』とは別に、流行らせようと思っているものがありまして」

「……つまり汚くないけど匂いがする、ということか?」


 『本業』についてはさておきとして、俺は少し前のめりになる。政府のエージェントがお勧めする、匂いフェチ向け商品。そんな性癖はないが、流石にちょっと興味が湧いてくる。シアンは意気揚々とその商品を取り出した。


「香水スプレー『シュールストレミング』です!」

「よし帰れ、二度とこの店に立ち入るな」

「待ってください、このスプレーには合理性と夢が詰まってるんですよ!」


 眼鏡細身イケメンエージェントが出す代物ではない。匂いフェチにしてももっと選択肢はあっただろ、そう思わざるを得ないがまあ一応言い訳は聞いてやろうと思う。


「どこが合理性と夢なんだ?」

「まずこのスプレーは硫化水素やアンモニアをベースにした、実験室での合成品です。つまり汚くない悪臭を発するんです!」

「硫化水素とアンモニアって、実質うんこじゃねえか! そんな匂いがする時点で汚いよ! あとお前鼻が潰れるぞ!」

「訳の分からない薬品の匂いを嗅がずに済みますから!」

「シュールストレミングを芳香剤だと思ってる!? 食べ物だぞ!」

「次に匂いの調整! 合成時のガス流量を変更することでオリジナルブレンドを作れます!」

「コーヒーと同じように言うな、どれだけブレンドしても臭いだけだろ」

「そして最後に、消臭効果が高いです」

「どこがだよ! 逆に臭い付けてるだろ!」


 勘弁してくれ、何で連続でこんな変態の相手ばっかりしなきゃならないんだ俺は。実質うんこの匂いについてこんなに熱く語られるのはマジで勘弁なんだが。


 そう思っていたがしかし、彼の表情は真剣だった。え、これガチの効果あるの? 


「匂い成分を起点とした調査は、こういった匂いがノイズとなります」

「どういうことだ?」

「犬は尿で縄張りを示すと言いますが、言い換えると尿の匂いを識別できるくらい、その部分の嗅覚が発達しています。他者と自分を比較するための機能ですね」

「……なるほど、香水を使うとその匂いばかりを識別してしまって、追跡の精度が下がるのか。シュールストレミングの匂いの元は、尿とかと近しいから」

「はい。ですので薄めて振り撒きながら逃げれば、生物嗅覚由来の探知技術は無効化できます」


 急に真面目な話をされて面食らったが、これについては納得だ。確かに匂いを元にした追跡は彼のような犬の遺伝子を導入された者や改造された犬を用いて行う。だから硝煙の匂いを頼りに追跡しようとしても、シュールストレミングの匂いが鼻を完全に妨げてしまうというわけだ。


「加えて特殊感覚器持ちにも最適です。硫化水素などの一部物質は、少量でも過剰に検知してしまう機構になっていますから」


 思わぬ利便性に唸る。確かに薬品にまみれた2240年では、こういった対策は確かに効果的だ。


 例えば昨日の全裸四つん這い女が腹を壊していたように、効率化と適応を極めた結果、逆にこういった原始的な方向のものは苦手にしている者も多い。21世紀でも、結局デジタルよりアナログの方が良い場面、かなりあったしな。


 流石政府のエージェント、思考が冴えてやがる……! 


「って別にシュールストレミングじゃなくてもいいだろそれ! 花の匂いとかでもさ!」

「バレましたか。上手く言いくるめれば誤魔化せるかなと」

「誤魔化せねえよ変態! どんだけ言いつくろってもシュールストレミング is うんこ臭!」

「下品な言葉を連呼しないでくださいよ、もしかして変態さんですか?」

「お ま え が 言 う な !」


 だけど男友達ってやっぱりいいよな。何歳になってもガキみたいな話でガンガン盛り上がって笑いあえる。幼稚を許しあえる関係って、大人になると本当に貴重だからな。


「ってことはシュールストレミング食べたことあるのか?」

「昔の缶詰が残っていまして。強化した嗅覚がやられて数日寝込みましたが、おかげでこういった匂いの良さに気付けました」

「気づくなよそんなの……」


 俺たちは酒瓶を開けながら夜中まで騒ぎ続ける。数少ない21世紀の食を共有できる友人との、久しぶりの宴会を噛みしめながら。






 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇







 翌日の朝の出来事である。


「そういや納豆、美味しかったのでお持ち帰りしたいんですが、行けますか?」

「おう、ランバーにもやったしお前にもやるよ」

「ありがとうございます。大事に嗅がせてもらいますね」

「いや食えよ」


 ……ランバーが納豆の匂いに苦しめられていたことを知るのはしばらく後の話である。マジでスマンかった。

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