思想が偏り過ぎてるねん
この世界の倫理観は、端的に言って終わっている。医療という名の人体改造が横行し、かつて禁忌とされていた領域に科学が手を伸ばしたことにより、様々な前提が崩壊した。
例えば殺人。クローン人間や脳のデータ移行による魂という概念の失墜に伴い、人々は倫理と良識から解放され損得と激情を元にそれらを行うようになった。シンプルに治安が悪い。アヤメちゃんもランバーも、周囲を歩いている人たちも一度天秤が傾けばあっさりと殺人を選択肢に組み込んでしまう。
……まあ本当のことを言えば、俺という存在がいる時点で魂の実在は立証されているのだけれど。別の肉体に記憶と精神を保持したまま乗り移るなんて魂かそれに近しい何かで無ければ説明がつかない。初めは科学者たちの造った記憶かとも思ったがそれにしては変だ。記憶が詳細すぎるし貴重な実験体に移植する人格としては俺はあまりにも相応しくなさすぎる。ってか作った記憶なら小学生の頃の黒歴史くらいは消しておいてほしかったよ……。
閑話休題。
店の周りを清掃し終えた俺の次なる日課は買い出しだ。冷凍技術が進化した今、商品の賞味期限というものはそこまで気にしなくてよくなった。店をやる側としては在庫が少なくなるのは大変ありがたい話である。ネットで適当に注文し、届けてもらえばそれでおしまいというわけだ。
問題は俺の好きな食材がそもそもネットでは売っていないことだった。ネットで売られているものの大半はペースト状の謎の棒みたいな、23世紀の奴らが好む食事だ。俺のような21世紀おじさんにとって必要なのは野菜、肉、生魚。それも全て合成品や代替品ではないものだ。
そんなものを普通に買おうとすると高くつく。というわけで俺は毎日のように市場に向かい、特価品を探すわけである。
「お、今日は賑わってるな」
俺の脚力で走って10分程の所に市場はあった。それは一軒の巨大な廃ビルで、外装は所々砕けていて外から中を覗くことができる。元々は大企業オーサカ・テクノウェポン社が保有していたビルだったが、治安悪化に伴い放棄したものだ。それを街の住人が不法占拠した、というのが経緯である。
そして中にいる者たちは皆身なりがきちんとしている。というのも本当にやばい、スラムの底辺とかはこんなところに来ないで電子ドラッグが提供する快楽の世界に旅立っている。なので市場や俺の酒場に来るような連中は裏社会を住処にする『訳あり』ではあるが、比較的コミュニケーションの取れる人間が多い。
「クイズで値引きタイム、イェーイ!」
「うおおお、オレはやってやるぜぇ!」
……こういうアホも多いが。声の方を見ると妙齢の女技師、メジトーナがいる。服装は地味な作業着だが、その豊満な体つきをむしろ強調する結果になっている。普段は落ち着いた物腰の女性なのだが、今日はやけにハイテンションだ。電子ドラッグでも摂取したのだろうか。
そしてもう一人が昨日の夜の客、ダブルチ〇ポ野郎こと何でも屋のランバーである。何やってんだこいつら、と思っているが彼らの会話は止まらない。
「反政府クイズ第一問、
「
「正解!」
「劣悪なのはこのクイズだよ!」
ナチュラルにディスられる日本国の現政権に涙が止まらない。資本主義の権化である企業が力をつけ過ぎてもう権力が無きに等しいのは事実だけれどそれはさすがに可哀そうだぞ。地獄の中で正義を貫こうとする公安の皆さんの努力を思い涙しろよ。
そんな俺のツッコミは空しく宙に消え、メジトーナとランバーは反政府クイズなるものを続ける。
「反政府クイズ第二問、常に権力が無く謝罪し続けている哀れな存在な~んだ!」
「ソーリー! すなわち総理大臣!」
「正解!」
「答えは正解でもお前たちの性根は間違えている気がするぞ……」
遠目にそう呟いていると俺のまなざしに気づいたのだろうか、二人がこちらを振り向く。まあ気づかれてスルーするわけにもいくまい。よっと手を振り彼らに近づく。ランバーは俺に手招きをし、スッキリとした笑みを浮かべ言う。
「マスターもやるか、反政府クイズ」
「俺はやめとくよ。一応仁義ってもんがあるからさ」
21世紀のころは政策に賛否両論あったが、俺自身は国家のおかげで安泰な生活を過ごしていた。今のように誘拐や殺人におびえる必要のない社会づくりには、やはり政府の力があったと思うのだ。だから恩恵を受けた21世紀おじさんとしては、そこまで酷い罵りはあまり聞きたくないのが実情であった。だが二人は俺の言葉を聞いて怪訝な表情をする。……まあ23世紀の彼らからしてみれば関係ないよね。
それはさておきとして、俺も気になっていたのでメジトーナが露店に並べている商品を覗く。魔改造された義手、ロケットランチャーが装着された胸部装甲とサイボーグの部品の切り売りが多い。
「久しぶりだなメジトーナ、しかし今日はやけにサイボーグの部品が多い。誰か解体でもしたのか?」
「ふふ、実は真逆でね。自分から解体して欲しいなんていう奇特な奴がいたらしい。ドMだったんだろうね」
「そのワードを今すぐやめろ、さっきの光景が思い浮かぶんだ……」
もうドMと聞いただけであの変態全裸アルファアサルト女を思い出してしまう。やめろやあの部隊マジでかっこよかったんだぞ。戦った時の好印象があいつのせいですべて崩れたよ。今日からお前はドエムアサルトだ。
そう思いながらそれらのパーツを見ていると、少し奇妙な点がある。装甲や部品の一部にむしり取られたような形跡があるのだ。硬いパーツにこんなことをするには専門の工具がいるし、やったところで価値が下がる。元の持ち主が特定できるエンブレムや刺青でも刻まれていたのだろうか。ランバーはそれらのパーツが目当てらしく、しきりに眺めては「これをどこで買ったんだ?」とメジトーナに質問を繰り返している。
そんな二人を横目に商品を漁っていると、思わぬものを見つける。おいおいこいつは……
「代替品じゃない本物の生サーモン……!」
バッテリー付きの小型冷凍機に入ったそれは、どう見ても冷凍サーモンそのものだった。ラベルを見ても有名企業のロゴが記載されている、間違いない。俺がやたらと驚いているのにも理由がある。確かに自然環境が大方破壊されたこの時代でもなお、漁や酪農といったものは行われている。ただし人々の好みが移り変わったこともあり、生産数も少なく価格も高い。
ましてや他国から入手しなければならない生サーモンなんてそうそうお目にかかれたものじゃない。俺はメジトーナに顔を近づけ、細い目を覗き込む。眼下インプラント特有の反射を持つ目は、直ぐに俺から逸らされた。あ、こいつ吹っかける気だな。
「このサーモン、いくらだ?」
「3万クレジットだね。なんせ手に入れるのに苦労した」
「盗品だろ」
「大企業どもは軒並み違法行為にあたる人体実験や薬物の開発、人身売買を行っているわけだし、むしろ私たちは義賊にあたると思わないかい?」
「屁理屈をこねなくてもいいだろ、同じ穴の狢だよ」
「そりゃ残念」
とはいっても、本当に大企業どもはやばい事をやっているのは事実だ。例えばマフィア牙統組はサイボーグを数多抱え、オーサカ・テクノウェポン社と持ちつ持たれつの関係を保っている。その大企業オーサカ・テクノウェポン様は本年度ホワイト企業大賞No.1に選ばれているわけだから、まあ笑い事じゃない。やっぱり倫理観が終わってるんだよなー。
ただ言い換えるとはみ出し者でも結果さえ出せば受け入れられる土壌がある社会ではあるのだけれど。短く太く生きたい人間にとってはある種の楽園といえるだろう。
それはさておき、値切り交渉を始めることにする。反政府クイズなんてしなくても値引きしてもらえることを証明してみせるぜ……!
「3万クレジットは高い、1万5000」
「2万7000。それ以上は譲れないね。値引きクイズをするならもう少し安くするけれど?」
「おいおい分かってねえな、こんな天然の生臭いもの買うのは俺みたいな物好きだけ。それに盗品ってことは追手がかかっている可能性もあるよな? 足がつく前に売り払いたいのはお前だろ。あと値引きクイズは絶対にしない。1万2000」
「足元を見ないでくれよ、2万4000クレジットだね」
「残念、じゃあ1万クレジット。タイムイズマネーだ、時間がたつごとに値段を下げていくことにしよう」
「……1万5000クレジット」
「よし決まりだ」
この手の交渉は強気に行くことがコツだ。そんなわけで俺はあっさりと半額シールを手にすることに成功する。よっしゃ、かなり割安で買えたぞ、今日はサーモンパーティーだ!
「まったくあんた、交渉慣れしてるね」
「相場勘があればこんなものさ。天然食材の鬼と呼ばれた男だぞ」
「なんだいその呼び名は……」
あきれた様子のメジトーナにちょっと胸を張りながら俺は代金を支払う。使い捨ての電子マネー、昔で言えばプリペイドカードである小型電子端末をとり出し、彼女に手渡した。額を確認したメジトーナは頷き、サーモンを俺に手渡してくる。
「また天然物があったら連絡くれ」
「あいよ、まいどあり」
しかしこんな強気な値引きに応じるなんて、相当急いで盗品の換金をしたかったらしい。こういったことにも慣れているメジトーナにしては珍しいものだ。そんなことを思いながら俺はランバーとメジトーナに手を振り、その場を後にする。こうやって俺は値引きクイズとかいう茶番から逃走し、無事に《居酒屋『郷』本日のおすすめ 生サーモンの刺身》を入手することに成功したのであった。
「反資本主義クイズ、イエ~イ!」
「イエ~イ!」
「全方面に喧嘩を売ればバランスが取れるって思ってる人!?」
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