ワンちゃん(比喩)
居酒屋『郷』のマスターである俺は、いわゆる転生者だ。21世紀の日本で生まれ育った俺はある日、会社からの帰り道に車に轢かれ、気が付けばよく分からん水槽の中にいた。そうやって何の前触れもなく2240年のサイバーパンクな日本に転生してしまっていたというわけだ。
単に未来にタイムスリップしたのか、と思っていたがそうでもないらしく、俺の知ってる世界地図や歴史と異なる部分がそこそこある。強いて言うなら並行世界、という表現が近いのだろう。
俺の転生先が良く分からん実験体で、急速成長剤により体が赤子から一気に成長したとか『アルファアサルト』や牙統組と戦闘を繰り広げたとか色々あるが、それはさておくとして。
兎に角大事なのは、組織同士の争いに巻き込まれるのが嫌で早々に逃げ出し、優雅なセカンドライフ(当社比)を送っているのが今の俺だということだ。逃げ出す際に色々警告しておいたし、しばらくの間は向こうから嫌がらせを受けることはないだろう。……多分。
そんなわけで時間は昼の12時。転生前では考えられなかったゆったりとした起床と共に、俺は箒をもって家の外に出た。因みに見た目は前世とそう変わらない、黒髪黒目のアラサー男性だ。無精髭を生やし、ボサボサの髪を軽く整えながら道を歩く。
暗黒街の道は補修が全くなされておらず、地面の至る所がひび割れている。路上にはどこからか流れ着いてきたゴミが落ちており、俺は顔を顰める。
「全く、ゴミを捨てるアホは全員蹴飛ばしたのはいいが、風で流れ着くのは止められないか。まあこれは仕方がない。日々掃除だな」
この周辺は暗黒街と呼ばれているように、警察の権限が及んでいない。元より日本国の権力なんてとうの昔に衰退しているから、ここでいう警察とは企業の保有する治安保持戦闘部隊のことである。
つまりこの周辺は犯罪し放題コースに加入している状態なわけだが、そんな中でも人々は元気に生きている。俺が箒で店の周辺を掃き始めてから数十分後、一人の少女が店前を通りかかった。
16歳の制服を着た美少女だ。実年齢の割に大人びており、少し冷たい印象を受ける。彼女はこちらを見ると軽く一礼し、挨拶してきた。
「おはようございますおじ様、無意味な労働ご苦労様です」
「ちょっと待てその足元なんだ」
「犬ですが、どうかしましたか?」
早速辛らつな言葉をぶん投げてくる彼女の名は牙統アヤメ。ここら辺を縄張りにするマフィア、牙統組の組長の一人娘である。
が、そんな彼女よりも目立つ存在があった。
「は、恥ずかしいですアヤメ様!」
「人の言葉を使うのをやめなさい」
「わ、わ~ん」
「何見せられてるの俺」
首輪を付けられた全裸の女が、犬の物まねをしていた。一応局部はシールらしきもので隠しているが、肌が全面に出てしまっている。身体改造された部分のお陰で全裸感が少し薄まっている事だけが唯一の救いだろうか。柔らかな肉感と豊満な胸、羞恥を堪える潤んだ瞳に整った顔は、大体の男であれば性欲を隠すことは難しいだろう。暗黒街の路地で四つん這いになっているせいで全て台無しだが。
この女の首輪を持つ牙統アヤメの特徴はただ一つ、ドS。人を弄び、管理するのが大好きなド変態。親父さんの指導により、結婚相手以外の男で遊ぶことはしない取り決めになっているのが唯一の救いか。
代わりに彼女の部屋には幾つかの檻と監禁された女の子が……なんて噂を聞くが、この姿を見る限り事実らしい。怖えよまだ16歳でそこまで歪んでるのかお前。あと俺にいちいち絡んでくるのを止めろ。
「この犬の姿を見たら、おじ様も自ら犬に志願するかと思いまして」
「どういう理屈だよ」
「羨ましいでしょう?」
「どこがだよ」
「羨ましくないんですかワン!?」
「どこにキレてるの君!?」
アヤメちゃんに文句を言っていたら思わぬ方向から突っ込みが来てドン引きする。ええ、君志願してやってるんだそれ……。23世紀の風紀はよく分からねえ……。
そんな彼女がここを通りかかる理由はシンプル、この店の周辺が休戦地帯だからだ。主に俺のせいで。なので、各組織の人間が安全に移動ができるということでここを通りかかることが多い、というわけである。
しかしそれにしても、と疑問に思う。アヤメちゃんがここを通るのは基本朝と夕方で、こんな昼間に出会うことはないはずなのだが。
「何で今日はこんな時間に?」
俺の疑問への返答は、意外な所から返ってきた。
「昨日昼頃、各都市を繋ぐ電磁浮遊式輸送船が爆破されたワン。その捜査の影響で一部通行が差し止め、授業は2時以降の開始となったワン」
「なんでお前が言うんだよ」
キリッとした表情で首輪を付けられた女が答える。うん、格好つけているところ悪いんだけど君、今全裸で四つん這いなんだ。カッコいい返事では相殺できないくらい見た目が終わってるんだ。
そして出てきた情報に一瞬考えこむ。2240年のこの世界では、輸送手段として電磁浮遊式輸送船、つまり巨大なリニアモーターカーが使用されている。これらが大阪シティと東京シティや他都市と接続し、莫大な資源を高速で行き来させているわけだ。特にバイオ関係の鮮度が必要な商品はこの電磁浮遊式輸送船のお陰で普及したともいえる。
そんな最重要の輸送設備が真っ昼間に破壊。ただならぬ話であった。
「マゾおじ様は気にしなくても大丈夫ですよ、こちらで解決しますから」
「元より首を突っ込む気はないよ、というか勝手にマゾ判定するな」
「アヤメ様の前では皆マゾだワン!」
「だからお前は何なんだよ。それはさておきとして、牙統組のお手並み拝見といったところか」
適当に彼女たちをあしらうと、ピシリと二人に緊張が走る。そんなに気にしなくてもいいのに、とは思うけどまあ仕方がない。裏社会的には大阪シティの4大勢力、そのうち二つが牙統組と俺個人と言われてるらしいし。面倒だからその評価今すぐやめて欲しいんだけどね。
アヤメちゃんは背筋を正し、次期当主に相応しい顔つきで俺に向かって一礼した。
「お父様に伝えておきます。おじ様のお眼鏡に適う結果を提供致しましょう」
「そんなもんいらねえぞ。それに今回の件ともなると治安保持戦闘部隊の中でもトップクラス、部隊『アルファアサルト』とか出てくるだろうしな。まあ上手くやれよ~」
適当に手を振る。まあどんな揉め事も、俺にはそこまで関係が無い。身近な人が凄く困っていたらちょっとは手を貸すが、基本的には他人事だ。俺がやるべきことはゆったりとした第二の人生、居酒屋経営に他ならない。
アヤメちゃんは俺のそんな様子を見て少しため息をついた。あれ、適当すぎたかな。そう思っていると彼女はリードを手放し、こちらに近付いてくる。そして俺の顎にその白い手を乗せた。
「私、自分の思い通りにならないものをねじ伏せるのが好きですの。屈服させて、弄び、管理する」
「そして飽きたら捨てる、か?」
「つまらないものならそうなるでしょうね。でも、それが余りにも凄まじい方なら、飽き性の私には珍しく一生の宝が生まれると思うのですよ」
急に何の話かと思ったら、なるほど俺が靡かないことがご不満らしい。手伝ってあげるよ、とか言って欲しかったんだろうな。
彼女の細い指が俺の顎をなぞる。アヤメちゃんの表情は愉悦と期待に満ちている。が、俺はそれに応えることはできない。優しくその手を振り払い、道の先を指さす。
「そんなことになったらまったり居酒屋経営生活は終わりだ、お断りさせてもらうよ。もっとイケメンを探しな」
「マフィアの次期当主として美人の妻とまったり生活するのも悪くないですよ?」
「まったりじゃねえだろそれ、早く学校行きな!」
ふふふ、と16歳とは思えない余裕のある笑みで彼女は俺から離れていく。23世紀の16歳怖い。
流石に今日は諦めたのか、そのまま彼女はリードを握り、全裸の女と一緒に学校に向かっていく。台風一過というやつだろうか。精神的な疲れでため息をつきながら、彼女の背中にふと疑問を投げかけた。
「それで全裸の女は何なの?」
「『アルファアサルト』の元隊長ですわ」
「護衛だワン!」
「嘘だろお前!?」
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